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2010年12月23日 (木)

インターネット時代における情報の保秘と公開

わが国でも、情報の保秘に関する問題が議論されている。
尖閣諸島における中国漁船衝突事件のビデオ映像流出問題や警視庁のテロ情報流出問題である。
ウィキリークスの功罪については、未だ判断を下すのは早いと思われる。
アサンジは次のように言う。

「透明性が高くオープンであることは、多くの場合、そうしたゴールに社会を導く傾向がある。なぜならば、権力を乱用する計画や振る舞いは市民の反対を受け、権力者がそうした計画を実施する前に人々の反対に遭うことになるからだ」
政府がわざわざお金をかけて特定の情報を秘密にし、人々に知られないようにするということは、一般の人々に知られては都合の悪い情報だからである場合が多い。そこでこうした秘密を暴くこと(透明性)で権力の乱用を防止し、より公正な社会の実現に寄与することが、ウィキリークスとその活動を支援している人たちが望んでいることだ、とアサンジは述べている。

『ウィキリークスを作るために生まれた男』

尖閣諸島の中国漁船衝突ビデオを、わが国政府は秘匿する方針をとった。
その理由は、当初は裁判上の証拠ということであったが、実際上の判断根拠は不明である。
海保職員が職務違反という形でそれを公開した。
私は、石原都知事と同様に、「結構なこと」と考える。
⇒2010年11月 9日 (火):政府は、誰に対し、何を謝罪するのか?

本来は、政府が堂々と全面公開べきものであったとは思う。
結果として、ビデオ流出を実行した海保職員は停職処分を受け、辞職するに至った。
彼はウィキリークスを利用すべきだったのか?
私はウィキリークスに頼ることなく、実行者が自ら名乗り出ることができる社会の方が好ましいと考える。
しかし、世界には、ウィキリークスのような形でなければ情報を発信できない国もあるのだ。
保秘の判断を下した政府当局は現時点でどう考えているのだろうか。
菅首相の懲戒処分に対するコメントは以下の通りである。

尖閣沖の漁船衝突映像流出事件で、警視庁は22日、流出させたと認めた海上保安官を書類送検した。海上保安官はこの日、海上保安庁から停職処分を受け、その後、退職した。これについて、菅首相は「実際にそういう行為を行った人に対して、しっかりとした一つの処分が行われたと、このように受け止めています」と語った。
http://news24.jp/articles/2010/12/22/04172891.html

遵法は大事だという一般論であり、首相にそれ以上の発言を求めるのは無理というものだろう。
しかし、問題の本質は、別のところにある。
これで幕引きとなるのでは、釈然としない気持ちが残るのは否定できない。
一方、警視庁のテロ情報が漏洩した事件は、決して公にされるべきではない情報が表に出てしまった事案といえよう。

インターネットの最大の特徴は、障壁がないことであると思う。
誰もが容易に世界中に情報発信できる。
その影響力は別として、である。
ひとたび発信された情報は、瞬く間に増殖する可能性を持っている。
YouTubeの中国漁船衝突ビデオは、オリジナルが削除されてもコピーが大量に出回った。
それは、限りなくコスト0でコピーできるデジタル情報というものの本質による。

インターネット時代になって問題が大きくなったのは、プライバシーに係わる情報であろう。
個人情報に関する取扱いが、「そこまでやるか」というほど神経質になっている。
私も住んでいるマンションの管理組合の理事長を輪番でやったことがあるが、防犯・防災等のためにはある程度詳しいデータを盛り込んだリストが必要で、兼ね合いに悩んだ記憶がある。

プライバシーという言葉が一般化したのは、三島由紀夫の小説『宴のあと』が、有田八郎氏(元外務大臣)からプライバシーを侵害したとして訴えられた事件以降であろう。
東京地裁の判決(昭和39年9月28日)で、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」としてのプライバシーの権利を承認したケースである。
プライバシーの侵害による不法行為の成立要件として、判決は次の基準を示した。
http://www.hogen.org/research/paper/jp/

1.公開された内容が私生活の事実またはそれらしく受けとられるおそれのある事柄であること
2.一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められること
3.一般の人々に未だ知られない事柄であること

プライバシーの問題は、必ずしも悪意をもったものでなくても、当事者が公開により不快、不安の念を覚える場合もあり、しかもそのことには個人差がある。
一般に、情報を流出させた側は極めて小さなリスクであるのに対し、情報を流出された側は大きなリスクを被る。
リスクの非対称性である。
ウィキリークスもその非対称性を利用したリアル社会での弱者の戦略といえよう。

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