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2010年12月10日 (金)

大田皇女の墓?/やまとの謎(14)

奈良県明日香村の牽牛子塚古墳に隣接して、新たな古墳が発見された。
牽牛子塚古墳は、先に八角形の石敷きが発見されて、斉明天皇陵である可能性が高まったとして注目を集めたばかりである。
⇒2010年9月10日 (金):牽牛子塚古墳は、斉明陵か?

Photo_4 石室の位置関係などが、斉明天皇の墓の前に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)の娘「大田皇女(おおたのひめみこ)」が葬られたとする奈良時代の歴史書「日本書紀」の記述と符合しており、専門家は日本書紀の記述を裏付ける歴史的な発見として注目している。
・・・・・・
大田皇女は飛鳥時代の政治改革「大化の改新」の立役者・中大兄皇子の娘。夫は中大兄皇子の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇)だが、夫の即位前、2人の子どもを残して他界したとされている。

http://www.asahi.com/culture/update/1209/OSK201012090100.html

Photo_7 3_2

一昨日、持統天皇に触れたばかりだったので、ひときわ興味を惹かれる。
大田皇女は、持統天皇とは同父母の姉である。
天武天皇との間に、大伯皇女、大津皇子の姉弟を産んだ。
早く亡くなったが、持統天皇(鸕野皇女)と立場が入れ替わったとしても不思議ではない女性である。

大津皇子は、私が古代史に魅せられるきっかけとなった人物である
⇒2007年8月27日 (月):偶然か? それとも・・・②大津皇子
⇒2007年9月 1日 (土):大津皇子処刑の背景・・・②上山春平説
⇒2008年5月21日 (水):大津皇子処刑の背景…③林青梧説
⇒2008年11月13日 (木):岡本正太郎氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子について
⇒2008年10月29日 (水):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子と朱鳥(朱雀)年号

大伯皇女は、大来皇女とも書く。弟を愛する心が伝わってくる歌により『万葉集』の歌人の中でもファンが多いと思われる。
⇒2007年12月24日 (月):当麻寺…①二上山
⇒2008年1月30日 (水):大来皇女

牽牛子塚古墳は、天皇クラスの墓に限定される八角形墳であることが今年9月にわかり、被葬者が斉明天皇(在位655~661年)であるとほぼ確定したとされる。
今回見つかった石室は「横口式石槨」という構造で、牽牛子塚古墳の約20メートル南東で出土。地名から越塚御門(こしつかごもん)古墳と名付けられた。
667年、斉明天皇陵の前に孫の大田皇女を埋葬したと記している『日本書紀』の内容と一致する。
 

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