江戸の仕掛け人-蔦屋重三郎
昨日、東京ミッドタウンのサントリー美術館で開催されていた「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」を見てきた。
発症後美術館は遠い存在だったし、雑踏の中を歩くのも心配だったが、思い切って出かけた。
蔦屋に関しては写楽との関連で、かねてから関心を持っていた。
こつ然と現れて消えた謎の絵師・写楽。
およそ10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版した後、浮世絵の分野から姿を消した。本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている
Wikipedia101212最終更新
ドイツの美術研究家ユリウス・クルトがレンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家と激賞した写楽。
活動期間は10か月。作品総数は役者絵が134枚のほか、全部で160点ほど。
その正体は謎に包まれている。
写楽とは何者か? 多くの人が論考を著わしている。
その写楽作品のすべてを出版した男・蔦屋重三郎。
人の才能を見抜き、面倒見がいい。写楽だけでなく、今回の展覧会のタイトルからも分かるように、歌麿の美人画や山東京伝の洒落本を手掛け、曲亭馬琴や十返舎一九などの世話をした。
展示は以下のような構成で、蔦重の世界をバランスよく理解させるものとなっていた。
第1章 蔦重とは何者か? ― 江戸文化の名プロデューサ―
第2章 蔦重を生んだ<吉原> ― 江戸文化の発信地
第3章 美人画の革命児・歌麿 ― 美人大首絵の誕生
第4章 写楽“発見” ― 江戸歌舞伎の世界
膨大な作品が出展されていた。
会期も終わり間近(12月20日まで)ということもあるのだろうが、大変な賑わいぶりだった。
たまたまタイミングよく出席できた「フレンドリートーク」というスライド解説が参考になった。
特に、写楽のデビューに際し、豪華な黒雲母摺の役者大首絵を28枚同時に出すという鮮烈な演出をしたこと、出版物にしばしば蔦重本人の姿が登場し、店の広告塔的な役割を担っていたという話は、プロデューサー魂が感じられ、面白かった。
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