半身全麻痺から半身半麻痺への1年間/闘病記・中間報告(18)
今年の元旦は、救急病院の病棟で迎えた。
爾来一年が閲したことになる。振り返ってみると、短いような長いような不思議な気分である。
もっとも、そういう感覚は、加齢とともにあったともいえる。
わずか一年前のことに過ぎないにもかかわらず、急性期のことは既に記憶が朧である。
動転が治まらないといったことも理由だと思う。
元日に、病棟で、おせちとか、雑煮の類が供されたのかどうかすら覚えていない。
元日は、足首さえ動かない半身全麻痺状態だった。
一段落して、リハビリ専門病院に転院したのが1月半ば。今にして思えば、まだ、うろたえていたと思う。
何で自分の身に、という思いと、やっぱりという後悔の念と。
果たして、これからの人生はどうなるのか?
ひょっとして、このまま車いすで過ごすことになるのか?
考えても仕方のないことについて、あれこれ思いを巡らした。
麻痺はゆっくりと進行していった。
もちろん、発症そのものは突然だった。
しかし、未だに指の屈伸ができない右手は、夕食時まではほとんど随意に動いていたように思う。
夕食中に、右手に持っていた箸の位置感覚に違和感があり、やがて不随意状態になった。
それが1年かけても戻らないのである。
先に麻痺状態に陥った下肢の方が回復は早い。
なぜかはよく分からない。
神経経路の太さによるものだろう。
下肢の神経系の方が太いので、麻痺するのも回復するのも早いのだろう。
上肢の場合は、入り組んだ路地のように神経経路が発達していて、細やかな動きに対応している。
その経路から神経が抜けていくのにも、浸透していくのにも時間がかかる。
そんなアナロジーが当てはまるのではないだろうか。
初めて外泊許可を得て自宅に帰ったのが3月の初めだった。
既に陽光が眩しい季節となっていた。
2か月半ぶりに自分の部屋に入ると、書籍や資料の類が、未整理のまま積み重ねられていた。
手にする確率の小さいと思われる書籍のかなりのものを処分したが、未だ整理しきれていない。
5月末に退院してからの時間の経過は早い。
外来患者としてリハビリを続ける一方で、できる範囲ではあるが、ある程度の社会参加をするまでになった。
この間、実に大勢の方々の励まし・支援をいただいた。
変わったのは、飲食に関する生活習慣である。
毎日摂取していたアルコール類は、基本的には中断している。
忘年会等も、ノンアルコール・ビール等で済ませている。
今後ともドライな生活に完全に切り替えようということではない。
のど越しのビールや、肺腑に染み渡るような冷酒の味は、まったく捨て去るのは味気ない。
ただ、発症前のように、ただ酔うために飲む、ということは止めようということである。
食については、野菜を多量に摂るようになった。
1日の総カロリーも、制限している。
そのため、体重は、退院時を超えたことはない。
発症前に比べると12㎏減程度である。
美酒、美食、美人は、やはり人生の愉しみというものだろう。
幸いにして。血圧、血液検査の値も正常値の範囲内に収まっている。
恐れていた再発という事態も今のところセーフである。
二度と入院生活に戻らないよう心掛けるつもりである。
麻痺は一生完全には消えることはないだろう。
しかし、まだ少しずつ回復しているのも事実である。
完全な半身不随状態から、半身半不随状態への1年であった。
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