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2010年11月29日 (月)

左手のピアニスト

昨日の産経新聞に、舘野泉さんの紹介記事が載っていた。
舘野さんのことは、入院中に新聞記事で名前を知った。
改めて略歴を記すと以下の通りである。

昭和11年、東京生まれ。35年東京芸大を主席で卒業しデビュー。39年からフィンランドに住み、国立音楽院シベリウス・アカデミー教授を務めた。フィンランド女性と結婚。平成14年、脳出血で倒れ、右半身不随となったが、2年余の闘病生活を経て「左手のピアニスト」として本格的な演奏活動を開始し、音楽の新境地を開く。
日本と北欧5カ国をはじめ、世界各国で行ったコンサートは3500回を超え、リリースされたCDは130枚に及ぶ。著書に『左手のコンチェルト』『ピアニストの時間』など。
演奏生活50周年のツァーが、来年2月まで続く。

産経新聞&ttp://www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/038.html
下の写真は、http://www.izumi-tateno.com/
Izumi_03_4

私たちは、プロの演奏家は、両手でピアノを弾く、という固定観念を持っている。
しかし、舘野さんは、左手だけでその境地を開いた。
それはもちろん平坦な道ではなかった。

脳出血で倒れた後、猛然とリハビリに励む。
しかし、右手の麻痺は思うように回復しない。
絶望と希望の繰り返しが1年半ほど続く。

左手のためのピアノ曲があることは、舘野さんはプロだから以前から知っていた。
しかし、右手が動けなくなって、左手で弾こうという気になったわけではない。
それどころか、音楽家仲間がラヴェルの『左手のための協奏曲』があるじゃないかと励ましたとき、「嫌なことを言う奴」と腹を立てるようなこともあったと
いう。

そんな舘野さんの考えが変わったのは、長男のヴァイオリニストのヤンネさんが持ってきた楽譜だった。
わずか1,2秒の間に考えが180度変わった。
結局リハビリで格闘している間に、音楽への渇望が蓄積されていたということか。

舘野さんは、左手だけでどのように演奏するのか?

舘野は低音部の和音を弾くとすぐに左手を移動させ、高音部のメロディを弾きにかかる。楽譜の上下の段に書かれている音符を省略することなく弾いているのがわかる。
では、伴奏と旋律のそれぞれを舘野はどのように弾きこなしているのだろうか?
舘野は、五本の指を二つのグループに分けて右手と左手の役割を分担していたのである。親指と人さし指が主に右手が担当する旋律のパート。残りの指が主に左手が受け持つ和音のパート。
しかし、どうしても左手一本では出来ないことがある。それは、ひとつの音を長く伸ばしながら同時に次のメロディを弾く部分である。ピアノは音を伸ばす時、鍵盤を押え続けなければならない。両手なら左手で鍵盤をずっと押さえながら、右手でメロディを弾くことが出来る。片手でも手を開いて指が届く範囲なら不可能ではないだろうが・・・。片手では届かないパートをどうやって弾いているのか?
こんなとき舘野が手で押える代わりに活用しているのが、足で踏む『ペダル』である。このペダル捌きが、流れるような旋律を生み出している。

http://www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/038.html

もともとの才能が類まれであることであったことは間違いない。
しかし、厳しいトレーニングにより達しえた境地であるともいえるだろう。
舘野さんが倒れた年齢は、私とほぼ同年齢である。
もちろん、舘野さんは仰ぎ見るような存在だけど、リハビリ中の人間にとってはまさに希望の星である。

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