聖武天皇の陰陽剣/やまとの謎(9)
個人的には、リハビリに状況を確認する意味もあった奈良への小旅行の最中に、明治期に出土した2本の刀が、聖武天皇の遺品である宝剣であることが確認されたというニュースが流れた。
⇒2010年10月26日 (火):聖武天皇の宝剣?/やまとの謎(3)
その後、日経新聞(101106)に比較的大きなスペースを割いて解説記事が載っていた。
先日、反省会と称して行けなかった仲間も集まって、飲み会があった。
私は依然として基本的にはノンアルコール・ビールだが、アルコール濃度5~6%の缶入りのサワーの類を1本だけ飲んでみた。結構快い気持ちになる。
この折に、座興として下記の問題を切り抜いて持って行った。
日経の記事の中では、エックス線で判明したことを、“検査入院”で見つかったと表現していた。保管場所を移すことになり、ひび割れがないか調べていたら、「陰」と「陽」の文字が写ったというわけである。
この「陰」と「陽」の文字により、行方不明だった宝剣であることが確認された。
行方不明というのは、正倉院の「国家珍宝帳」の聖武天皇の遺品の刀が、「除物」とされていたからだ。
つまり、後で持ち出されたまま、ということになる。
静岡新聞101026
情報とか知識には、「知れば知るほど、知らないことが増える」というパラドックスのような性質がある。
⇒2008年8月 8日 (金):2年目を迎えて
行方不明の宝剣が大仏の膝下から見つかった刀であることが確認され、たとえば「除物」として持ち出したのが光明皇后だとしたら、その意図は何だったのか、という次の疑問が湧いてくる。
ちなみに、宝剣を献納してから除物とするまでの期間は3年ほど、除物として運び出した翌年には、光明皇后は死去している。
静岡新聞101026
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