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2010年11月19日 (金)

「藤原宮の大嘗宮跡は誤認だった」と奈文研が訂正発表

藤原宮跡で、大嘗祭のために造営されたとみられる建物や門、塀などの柱穴が発見された、と奈良文化財研究所が発表したのは、7月1日のことだった。
大嘗祭は、天皇の即位後、初めて行う新嘗祭(収穫した穀物を神に供える儀式)である。天武天皇(在位673~686年)が始めたとされ、室町時代~江戸時代に一時中断したが、現在も続いている。
『続日本紀』には、698年に文武天皇、708年に元明天皇が営んだとの記述がある。
つまり、この発見は、文武もしくは元明の即位のときのものと考えられる。
歴史的にきわめて重要な意味を持つことは、私のようにキャリアの浅い古代史ファンでも理解できる。

ところが驚いたことに、この発表は「全面的に誤り」だったと、11月18日に訂正発表があった。
奈良文化財研究所といえば、考古学と歴史学を繋ぐ領域のリーダーである。

■奈良文化財研究所 日本を代表する考古学の研究機関で平城宮跡、藤原宮跡をはじめとする古都・奈良の発掘調査を手がける。昭和27年に設立され、平成13年に国立機関から独立行政法人化された。研究員は現在56人。自治体の発掘調査担当者の研修などを行うナショナルセンター的な役割も果たす。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/101118/edc1011182011001-c.htm

旧石器遺跡捏造事件から10年経つ。
今回の誤認は、旧石器遺跡捏造事件のような故意によるものではなく、過失によるものである。
しかし、再び、考古学という学問の基盤が問われることになるのではなかろうか。
モノを対象とする考古学は、そのモノの持つ意味をどう認識するかということが出発点である。

7月の発表では建物跡や四方を囲う塀跡、門跡を確認したとし、「平城宮(奈良市)の大嘗宮跡と類似した構造」と説明。建物や塀を構成する柱穴が42基あるとしたが、藤原宮があった時代の柱穴は1基だけだった。
発表時は後世の水田耕作による溝の断面部分の土の色の違いなどを手がかりに「柱穴」と特定したが、石敷きを外して確認しておらず、奈文研は「異なる土が複雑に混ざり合っていたことなどで確認しづらかった」と“釈明”。発表前に幹部らがチェックしたが、確認できなかった。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/101118/edc1011182011001-c.htm

仮説に基づいて発掘調査が行われる。
しかし、その検証は、客観的な目で行わなければならない。
奈文研でも、7月の発表に際しては、当然他の研究者も加えた判断があったであろう。
それがなぜ?

よく知られているように、藤原京は日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)を採用した本格的な中国風都城である。しかし、平城京遷都までのわずか16年の短い都城だったにすぎない。平城京遷都によって宮城や寺院の主要建築は平城京に移築され、廃都はまたたくまに田園地帯となってしまった。一方、大嘗祭の儀式を行うために建設された大嘗宮は、わずか1日儀式のための仮設住宅にすぎず、儀式が終わればすぐに撤去されてしまった。その大嘗宮の跡がよく判別できたものと感心する。
残っていたのは、門とみられる1辺約1・8~2メートルの大型柱穴4基と、塀とみられる直径0・5~1メートルの柱穴約20基、それに東西12メートル、南北3メートルの建物跡だけだった。あるいは朝堂院朝庭という場所は、本来は建築物など何も無いはずの礫敷きの広場だったからこそ、大嘗宮跡と判断されたのかもしれない。
奈文研は、「藤原宮の大嘗宮が後の時代の原型になった可能性もある」として、今後は「調査区の下層や南側の発掘を進め、建物配置や時期などを検証したい」としている。
それにしても、天皇家の秘儀にも等しい大嘗祭を行なう場所として、なぜ朝堂院の朝庭のような場所が選ばれたのであろうか。現代流に言えば、霞ヶ関の官庁街のど真ん中で、神事を挙行するようなものである。当然、一週間にわたって官人たちの朝堂院での勤務も差し控えられたであろう。多忙な官人たちにとっては迷惑な話だったはずだ。周囲には天香具山の山麓などもっと神聖な場所はいくらでもあったであろう。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-4/2010_0704.htm

上記は、『橿原日記』と題するアマチュアの方(?)のサイトからの引用である。
上記のなかで、「よく判別できたもの」とあるが、結果的には判別できなかったわけである。
判別できるか否かは、「情報」というものを考える際のキーワードであろう。
⇒2008年2月17日 (日):判読と解読
⇒2008年2月18日 (月):右と左の識別
⇒2008年2月19日 (火):問題を感知する力

「情報」という言葉・概念を定義しようと思うと一筋縄ではいかないが、私が気に入っているものの1つは次の定義である。

情報とは,均一なbackgroundの中に,これと区別できる何等かの特徴をいう。ただし,均一とか区別とかは,すべてわれわれの認識の限界内での話とする。
牧島象二『Patternに憑かれて』牧島象二先生記念会(1969)

新しい発見というのは、常に間違える可能性がある。それを恐れてはいけないであろうが、組織としてしっかり検証しなければならないことは当然であろう。
奈文研が、事業仕分け等を過剰に意識して、悪しき成果主義に陥った結果でなければ幸いである。

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