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2010年11月 2日 (火)

ヤマトタケル/やまとの謎(5)

日本古代史において、ヤマトタケルは最も人気の高いキャラクターだといえよう。
表記は、以下のように史料により異なっている(Wikipedia101011最終更新)。

200pxemperor_family_tree815『日本書紀』では日本武尊、『古事記』では倭建命に作り、またの名を日本童男・倭男具那命(やまとをぐな)ともいった。また、『尾張国風土記』逸文と『古語拾遺』では日本武命、『常陸国風土記』では倭武天皇、『阿波国風土記』逸文では倭健天皇(または倭健天皇命)に作る。

つまり、倭と日本である。
共にヤマトと読ませている。
『日本書紀』と『古事記』に共に登場するが、『日本書紀』では景行天皇の第二皇子、『古事記』では第三皇子である点が異なっている。
左図は、最近刊行が始まった朝日新聞出版の週刊「新マンガ日本史」の第01巻が『ヤマトタケル』である。
現代でも高い人気を保っていることを示しているのではないかと思う。

上掲書により、『日本書紀』と『古事記』における差異をみると、主要な点は以下の通りである。
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『古事記』の倭建命は、一言で言えば「荒ぶる人物」であるのに対し、『日本書紀』の日本武尊は「優等生」的である。
『古事記』の方が原型で、『日本書紀』は正史としての編纂の手がより加わったと考えられている。

遠征ルートについても下図のような差異がある。
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コメント

このヤマトタケルの表記について、いつも疑問に思うのは・・・特に、日本書紀の「日本武尊」の表記ですが、なぜ、「日本」の表記なのかということです。古事記の「倭」についてはまだ納得できる面があります。しかしながら・・・「大和」の表記をありながらこのヤマトタケルに限ってはこの「大和」の表記はどの資料にも見あたらない。おそらくは"国家"の英雄としての「ヤマト」を意味させようとしたのでしょう。万葉集の中にも遣唐使の一行として唐に向かった山上憶良がその歌の中で「日本」と書いてヤマトと詠ませていますが、例えば「日本」の歌という意味でのヤマトウタには「和」の表記を用います。この辺りをどう理解すればいいのか・・・どうも分かりません。

投稿: 三友亭主人 | 2010年11月 2日 (火) 22時49分

老婆心ながら、いつも思うことを。
せっかくの素晴らしいブログなのに、こう重たくてはなかなか寄り付きにくいのはもったいないことです。

投稿: Kawakatu | 2010年11月 6日 (土) 22時32分

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