大和君、お誕生おめでとう!/偶然か? それとも・・・⑤
久しぶりに、「偶然か?」と思う出来事に遭遇した。
今までに、そういう機会がある度にブログに残してきた。
⇒2007年8月21日 (火):偶然か? それとも・・・
⇒2007年8月27日 (月):偶然か? それとも・・・②大津皇子
⇒2008年5月27日 (火):偶然か? それとも……③『雲の墓標』
⇒2008年7月22日 (火):偶然か? それとも…④幻視する人々
平城遷都1300年という年であり、体長は万全でないとしても、何としても今年中に、という望みをかなえることができた。
その機会に、かねてから疑問に感じていたことを断片的に「やまとの謎」と題して書き留め始めたところであった。
昨日、久しぶりに旧知の若い知人と食事をする機会があった。
彼に男児が誕生したと聞いて、その祝意を兼ねてである。
いささか発語が不自由な身ゆえ、談論風発というわけにはいかないが、折り目正しい若者と一緒に楽しい時間を過ごすことができた。
自然に、彼の赤ちゃんの名前の話題になった。
3300グラム位で誕生したとのことであり、今では大きい赤ちゃんの方だろう。
名前を聞くと、ちょっとはにかみながら、「『大和』にしました」という。
彼の名前から、「和」の一字をとったのだそうだ。
「和」の字を含む名前になると余り候補がなくて、といささか弁解口調であったが、そのことが「大和」という名前に込めた彼の期待を物語っていた。
名前を決めるとき、おそらくは、父親としての誇りと責任感を同時に実感したであろう。
名づけ(ネーミング)には、親としての願いが込められる。
それは、世相を反映することもあり、普遍の価値の希求のこともある。
⇒2010年8月21日 (土):family name
まさに、ネーミングにおける、「不易と流行」である。
「大和」というのは、お世辞抜きに良い名前だと思う。
日本人としてのアイデンティティそのものであり、力強さを感じさせる。
戦艦「大和」にも同じような期待が込められていたのであろうが、今の時代には宇宙戦艦「ヤマト」のイメージの方が大きいかも知れない。
余り物騒な世の中は御免蒙りたいが、尖閣諸島やら北方四島やら、わが国固有の領土とされてきたものがきな臭い。
私は、原理論的には改憲派である。
現行憲法の制定の経緯や日本語としての格調などに問題があると思うし、「不磨の大典」だとも思わない。
しかし、情勢論としてみた場合にどうか。
現時点で、日本国憲法は世界に誇り得る普遍的価値を体現していると考える。
江藤淳などが唱えた改憲論の主張は理解するが、政策論として加藤周一らの護憲論に与する。
毅然として近隣の大国に対処しつつ、日本国憲法の有する普遍的価値を実現していく方策を探るべきではないか。
話は逸れたが、「大和」というネーミングを聞いて、清々しい気持ちとなった。
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