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2010年11月16日 (火)

尖閣ビデオ問題を「もしドラ」的に考えてみる

尖閣ビデオ問題は、私にとって不可解である。
仙谷官房長官ら政府首脳が、いかなる意図でビデオを公開すべきではない、と考えたのか?

情報は的確な意思決定のために必要である。
株式の取引において、一部の人しか接することができない情報をもとに売買を行って利益を上げることは、インサイダー取引として厳しく罰せられる。
企業は株式の取引に必要な情報を、速やかに開示することが要求される。

情報の保秘の範囲(何をどこまで)の決定は、要するに、意思決定者は誰かということと同じである。
官房長官らは、ごく一部の国会議員に大幅に編集した映像を見せることがベストだと考えた。
民主党(と社民党)の議員の何人かは、自分が映像を見たうえで、一般公開すべきではないと考えた。
⇒2010年11月 9日 (火):政府は、誰に対し、何を謝罪するのか?
⇒2010年11月15日 (月):尖閣ビデオ問題の失敗学

情報を限定するメリットは何か?
情報に接することのできる立場にある人とそうでない人には格差が生じる。情報格差である。
秘密だといって拡散することを禁じた人は、一般人は意思決定する必要はない、と考えたのであろう。
しかし、それは、国民主権という言葉と全く対立するものである。
菅首相自ら次のように言っていることと矛盾する。

最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ

国家公務員法の守秘義務違反が問われている。
岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 』ダイヤモンド社(0912)という長いタイトルの本がベストセラーになっている。
略して『もしドラ』。

仕事をいかなる基準で遂行するか。
P・F・ドラッカーは、営利であるか非営利であるかを問わず重要であるのは、「成果とは何か」を問うことである、という。
続いて、「顧客とは誰か」を問え、と。

国家公務員にとって、顧客は誰か?
政府ではなく、国民であることは明らかである。
とすれば、海保保安官の行為をどう考えるべきか、言うに及ばない。
ドラッカーは主著『マネジメント』において、「事業」について次のように説明する。

企業の使命と目的を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようととする欲求によって定義される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。したがって、我々の事業h何かとの問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。

この有名な言葉は、企業だけに当てはまるものではないだろう。
また、責任ある立場の人間の条件については次のように言っている。

人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは十分ではない。スキルの向上や仕事の理解では補うことのできない根本的な資質が必要である。真摯さである。

菅内閣に、真摯さを感じることができるだろうか。
⇒2010年11月13日 (土):菅内閣の無責任性と強弁・詭弁・独善的なレトリック

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