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2010年11月10日 (水)

いじめと自殺の因果関係/因果関係論(7)

群馬県の桐生の市立小学校の女子生徒が自殺した問題で、学校はようやくいじめの事実があったことを認めた。
Photo
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010110990071601.html
学校側はいじめを認めてこなかったが、調査を経て一転して認めることになったわけである。
認めざるを得ない状況になってやっと認める。
いつものパターンである。
いじめの背景として児童らが担任の指導に従わないなど「学級崩壊状態」にあったことも明らかになった。

しかし、看過してはならないのは、自殺との因果関係については、「自殺を予測することはできず、直接の原因はわからなかった」と認めなかったことである。。
どうしてこうなんだろう。
「自殺を予測」なんかできるはずがない。
予測できるものならば、誰だって止めるだろう。
結果として、世の中から自殺という現象がなくなるだろう。

自殺に限らず、世の中の事象で、「直接の因果関係」が明確なことなどむしろ例外ではないか。
「直接の因果関係」がある事象は、むしろ1セットと考える方がいい。

リモコンのボタンを押すと、それが原因となってテレビ放送の開始という結果をもたらす。しかし、通常、私たちは、この因果連鎖を「テレビをつける」という単一の行為として記述する。では、どのような時にこの行為を二つに分割し、「リモコンのボタンを押すと、テレビがつく」というような因果関係として記述するのだろうか。
それは、リモコンのボタンを押しても、テレビがつかず、「リモコンのボタンを押す」という出来事と「テレビがつく」という出来事の結合が、必然的ではない時である。すなわち、私たちが「リモコンのボタンを押すと、テレビがつく」というような因果的表現を用いるのは、リモコンにまだ慣れていない時やリモコンの故障を修理した後など、不確定性の楔が、出来事を二つに分割している間だけである。

『なぜ因果関係は必然的ではないのか』
http://www.nagaitosiya.com/a/uncertain_connection.html

要するに、この学校の教師たちは、何も言っていないのに等しい。

因果関係を把握する場合は、考えられる要因を細大漏らさずあげて、その中から関係の大きなものと軽微なものをえり分けていく。
つまり、「疑わしい要因は、まず疑ってみる」姿勢を持つのが常識である。
でなければ、QCの7つ道具といわれる魚の骨様の特性要因図など必要とされないだろう。

あなたが脳梗塞になった原因は何か?
一般論でなく、私の場合に限定して、発症の直接的な原因を問われても、明確に答えられる人は、医者でもいないだろう。
確かに、生活習慣病、いわゆるメタボリックシンドローム気味ではあった。
しかし、厳密に言えば、基準には「該当せず」だった。
ストレスももちろん人並みにあったと思う。
しかし、そんなもの他人と比べようがないではないか。
C6c3c0adcdd7b0f8bfde1280
http://homepage1.nifty.com/QCC/2009TokuseiY/%93%C1%90%AB%97v%88%F6%90%7D.pdf
上の「魚の骨」は、健康長寿という結果を得るための要因を整理したものである。
このうち、結果に対して、相当の影響力を持つものを抽出した場合、その因果関係を相当因果関係という。

相当因果関係とは、「社会生活上の経験に照らして、通常その行為からその結果が発生することが相当だとみられる関係」(因果経路の通常性)といわれる。
Wikipedia100803最終更新

概念的には分かるとしても、過労死などの裁判例に見るように、現実的な判断は難しい。
小学児童の場合も、明確な因果関係を示すのはできなだろう。
そのことを織り込んで、生徒を指導するのがプロの教師というものだろうが、学級崩壊の状況をオープンにできないような教師やそれを放置しておくような校長にはムリというものだろう。

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コメント

女子が遺体で発見され、警察が介入する展開になり、操作して、学校でのイジメは表沙汰になりました。
女子が描いた給食中の絵などがテレビにも映りましたが、
私は、そのような、死んでしまった子が残した僅かで、不確かな情報をつぶさに見て、その子供の生きていた時の心境を汲み取った時の捜査人の洞察力に、感心します。それをもって、イジメ自殺だと立件しようとする、警察官の人としての意地、と云うか、犯罪を赦さない という気概、と云うか。
おそらく、子供が死ぬまで、残念ながら親も先生も、イジメなんて、きっと、無い、と、思い込んでしまっていると思います。犯罪なんて、自分の身近なところで起こる訳がない と、平凡な生活をしている人は皆思っています。
見なかったこと、気付かなかったこととして、それで済んでしまうこともありますが、イジメや虐待は、そういうものではないということなのだと思います。

投稿: 五節句 | 2010年11月18日 (木) 13時51分

五節句様

コメント有難うございます。
自分が体験したことのないことを想像するのは難しいことです。私も身体不如意になってはじめてハンディキャップとはどういうことかを体感しています。
それでも私は恵まれています。左手だけでも、こうして「モノ」が言えるわけですから。
教師とか医者とか裁判官には特に実生活的な想像力を持ってもらいたいと思います(もちろん政治家にも、と言いたいのですが「ないものねだり」をしても・・・・・・、という気持ちですね)。

投稿: 夢幻亭 | 2010年11月20日 (土) 05時54分

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