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2010年11月17日 (水)

裁判員裁判の死刑判決と控訴を勧める裁判長

危惧していた事態が起きたといえよう。
裁判員裁判で死刑判決がでた。
死刑制度がある以上、いつかは下されることではあった。
永山基準という半ばオーソライズされた基準があることも、裁判員にプレッシャーとなったであろう。
判決は恣意的であってはならない。
Aに対する基準とBに対する基準が異なるものではならない。
死刑等の重罰を課す場合には、ことさら公平性が担保されなければならないであろう。

裁判員は、くじで選ばれる。
偶然、裁判員になった市民は悩むであろう。
死刑か否か。
量刑の公平さを保たなければならない。日本には死刑があって、ある条件を満たすと考えられる場合には、死刑に処することになっている。
しかし、死刑判決に加担したくはない。

あるいは、自分は死刑に反対であっても、死刑の判決となってしまうかも知れない。
⇒2010年10月31日 (日):裁判員裁判と死刑の求刑

それに、そもそも死刑の基準も絶対不変のものとはいえない。
それこそ、ケースに応じて考えなければならにであろう。
⇒2008年4月23日 (水):光市母子殺害事件判決の常識性

この事件を担当した裁判員の肉声は、守秘義務があるため、聞くことはできない。
おそらくは逡巡の果ての結論だろう。
こういう判断を一般人に求めることになる裁判員制度は、導入すべきだったのだろうか?
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問
しかし、今回の判決を言い渡し終えると、裁判長が異例の説諭をしたらしい。
判決文を読み上げたあと、裁判長は「控訴することを勧める」と異例の言葉を付け加えた。
http://www.j-cast.com/print_window.html
この説諭に対する反応はさまざまのようである。
ある検察幹部は「被告が反省して刑を受け入れると言っているのに、その心情をかき乱す」と批判した。「裁判員の中で死刑か無期懲役かで意見が割れたからではないか」と推測する幹部もいた。
被告の弁護人からも「被告には人間性があり、更生の可能性もあると言いながら(死刑を言い渡し)、『控訴したら』というのはよく分からない。何なんだろう」と疑問の声が上がった。
国民が加わった判断の重みをどう見るべきか。ベテラン刑事裁判官の一人は「結論に自信を持っていても、命を奪う重大な刑に変わりはない。控訴審でも、あらゆる角度から検討を重ねてほしいとの裁判員の思いが、説諭に込められたのかもしれない」と理解を示した。

http://www.asahi.com/national/update/1117/TKY201011160516.html
私は、産経抄氏の次の意見に近い。
判決は当然の結論とはいえ、神ならぬ身の裁判員のみなさんはさぞ苦しかっただろうが、裁判長が主文を言い渡した後で、被告に控訴を勧めるとは何事か。▼そんな自信のない裁判官はプロ失格だが、・・・・・・
裁判官には、プロとしての判断力が求められる。
しかし、裁判員は、一般の市民である。
たまたま裁判員に選ばれた人に、かくも重い意思決定を強いる必要があるのだろうか。

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