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2010年11月13日 (土)

菅内閣の無責任性と強弁・詭弁・独善的なレトリック

沖縄知事選の立候補の状況により、菅内閣の無責任ぶりがいよいよはっきりしてきた。

沖縄県知事選で、普天間飛行場の辺野古移設を目指す党本部と調整がつかず、自主投票のまま選挙戦に突入した民主党県連。告示日も党本部からの応援はなく、県外・国外移設を掲げる同県連に対して「節度ある慎重な行動」が求められたためか、地元国会議員の姿も見えなかった。「自主投票なんだから何もできない。選挙中はテレビでも見て過ごすよ」。県連代表の喜納昌吉前参院議員(62)は11日夜、那覇市内の自宅でさばさばとした口調で話した。知事選での活動自粛は党勢の衰退にもつながりかねないが、「これで民主党の支援者が減っても我々地元は責任取れない」と投げやりに語った。
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101112-OYT1T00345.htm

自党の政策の具現化を目指す推薦候補を立てられず、地元県連に対し、「節度ある慎重な行動」を要求するような政権与党などあり得るだろうか?
琉球日報が伝える知事選の立候補者の状況は次の通りである。

任期満了に伴う第11回県知事選が11日告示され、届け出順に無所属現職の仲井真弘多(71)=自民県連、公明推薦=、無所属新人で前宜野湾市長の伊波洋一(58)=社民、共産、社大推薦=、無所属新人で政治団体「幸福実現党」の金城竜郎(46)の3氏が立候補を届け出た。
仲井真、伊波の両氏が事実上の一騎打ちを展開する。日米間の懸案の米軍普天間飛行場返還・移設問題への対応や、沖縄振興計画の終了後の新たな制度設計といった重要争点を抱え、21世紀前半の沖縄の針路を決定付ける選挙となる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101112-00000000-ryu-oki

泡沫的な幸福実現党はともかく、事実上の一騎打ちとされる現職の仲井真氏も対抗馬の伊波氏も、菅内閣の基本点である「普天間基地の日米合意」を容認していない。
いずれの候補者が当選しても、菅政権が暗礁に直面するのは明白であるが、自主投票で済ませようとしている。
単に一地方の首長選というに留まらず、国政上の重要課題を内包した選挙であることは言うまでもない。
結局、1年余の間にわれわれが学んだことは、民主党という政党の無責任さであり、政権担当能力の欠如であった。
自分の不明を恥じるが、そう言って黙っているわけにもいかない。ささやかながら、声を上げ続けよう。

このことは、尖閣諸島でのの中国漁船衝突事故にも端的に表れている。
一連の動きを見ていると、菅内閣の閣僚には政権を担っているという自覚と責任感があるようには見えないのだ。
政権という紛れもない権力を持っている側は、批判に対しては謙虚にあるべきだろう。
しかし、奇妙なレトリックを駆使して、その場を切り抜けようとする。
特に、弁論の技術に自信があるらしい仙谷官房長官や滑舌で優位に立とうとする蓮舫行政刷新担当大臣に顕著である。
要するに、陳謝している時でも心から反省しているわけではなく、その場しのぎの対応である。
その場を優位に切り抜ければいいという風である。

両氏に代表される菅内閣の問題性については、このブログでも、すでに何度か指摘してきた。
⇒2010年11月11日 (木):ビデオ流出の正義と責任はどこに
⇒2010年10月23日 (土):仙谷健忘長官の“真摯な“答弁
⇒2010年10月21日 (木):仙谷官房長官の弁論技術
⇒2010年10月19日 (火):なぜビデオを出さないのか?
⇒2010年10月18日 (月):危うい菅内閣(続)
⇒2010年10月11日 (月):蓮舫氏の大臣適格性を問う
⇒2010年10月 3日 (日):尖閣問題に対する蓮舫大臣の強弁
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?

政治評論家田崎史郎氏も次のように言っている。

国会議員、とりわけ民主党政権の閣僚はどうして素直に謝らないのだろうか。官房長官・仙谷由人にしても、行政刷新担当相・蓮舫にしても――。
・・・・・・
「柳腰」発言はすぐに、「言葉の使い方を誤った」と言ってしまえば済んだ話だ。ここでつまずかなければ、仙谷が追及の矢面に立たずに済んだだろう。仙谷が首相・菅直人に代わって、集中砲火を浴びようとしたなら別だが、そこまでの意図があったとは思えない。
蓮舫の対応にもがっかりした。「現代ビジネス」のコラムで、『VOGUE NIPPON』11月号に掲載された国会内での写真について説明し、次のように締めくくっている。
「記事の内容は私の政治活動、政治信条に関するものであり、基本的に問題はないと考えますが、結果として誤解を与える懸念があるとすれば、全く本意ではありませんので、率直にお詫びさせていただきたいと思います」
蓮舫のホームページからこのコーナーに飛ぶように設定されているので、公式見解なのだろう。「誤解を与えたとすれば、全く本意ではないため訂正させていただく」という言い回しは9月14日、尖閣諸島について「領土問題」と発言した時にもホームページのコラムで行っている。
「…とすれば」という表現を付けると、この人は本当に謝っていないんだな、と受けとめられてしまう。事業仕分けの時のように切れ味鋭くスパッと謝った方が良かった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101025-00000001-gendaibiz-pol

多くの人がこのような強弁もしくは詭弁が、無責任性を背景としていると感じているだろう。
産経新聞も阿比留瑠比の署名記事で、次のように書いている。

尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をきっかけに仙谷由人官房長官の詭弁(きべん)と独善に磨きがかかってきた。事件に関する「厳秘」資料を不用意に広げて衆院第1委員室で撮影されると、正当な取材活動を「盗撮」呼ばわりした揚げ句、今度は写真取材の規制強化に意気込むとは、呆れてモノも言えない。
「由々しき事件だ。徹底的に調べていただかないといけない。私の刑事事件経験を含めた常識からいっても、その広さと深さの想像がつかない…」
仙谷氏は10日、ビデオ映像流出を認めた海上保安官に対し、逮捕もされていないのにこう決めつけ、その悪質性を強調した。
さすが「健忘症」を自認するだけのことはある。民主党の小沢一郎元代表の強制起訴が決まった10月4日、「起訴されても有罪判決が確定するまでは被告人は推定無罪の立場だ。その原則だけは考えなければならない」と説いたことをすっかりお忘れのようだ。
仙谷氏は、映像流出の責任論が海保を所管する馬淵澄夫国土交通相に向かうと突如として「政治職と執行職のトップは責任のあり方が違う」と珍妙なロジックを持ち出した。
・・・・・・
焦りの表れなのかもしれないが、弁護士歴を誇り、かねて法律の蘊蓄(うんちく)を語ってきた割に、この反論の論理性は乏しい。
とんちんかんなのは仙谷氏だけではない。菅直人首相は保安官が名乗り出た10日夜、慌てて各省庁の事務次官を首相官邸に集め、再発防止の徹底を訴えた。
「事務次官会議の廃止」を民主党政権の功績だと誇ってきたのは首相ではなかったのか。「へそが茶を沸かす」という言葉があるが、笑えない喜劇に付き合わされるのはもっと辛い。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101112/plc1011122341025-c.htm

仙谷官房長官の発言の背景には、次のような認識がある。

仙谷氏はこの中で「古くから中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」と歴史を説きおこし、「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」と中国の文化的優位性を強調した。
さらに「歴史の俎上(そじょう)に載せれば、そんなに中国のことを(悪く)言うべきではない」と枝野発言を否定。
「(中国は)清朝の末期から先進国というか英米の帝国主義に領土をむしりとられてというと言い過ぎかもしれないが、割譲されて民族としても国家としても大変、つらい思いをしてきた歴史がある」と中国の近代史に同情してみせた。
そして「返す刀」で日本の戦争責任論に触れ、「日本も後発帝国主義として参加して、戦略および侵略的行為によって迷惑をかけていることも、被害をもたらしていることも間違いない」と日本の侵略を強調して中国を擁護した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101004/plc1010042317014-c.htm

この歴史認識については、私も一部共有するものではあるが、それが現在の政治的・外交的課題への適用ということになると、とても納得できるものではない。
聖徳太子の実在性についてはいろいろ議論があるようだが、聖徳太子に仮託して、中国の冊封体制からの脱却を企図した先人の知恵と気概と努力を思うべきだろう。

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