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2010年11月 4日 (木)

戦後日本における人口転換

わが国の社会は、有史以来はじめての人口減少現象を示している。
⇒2010年10月22日 (金):国勢調査と人口減少社会

とりわけ、第二次大戦(東亜太・平洋戦争)後の増減は激しかった。

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今後50年の間、ピークを示す2005年を中心として、総人口はおよそ対称形を成して推移するものと予測されている。
すなわち、2005年の50年前の1955年の総人口は約8300万人であったが、2005年には1億2600万人強となり、2055年に向けて再び8800万人程度まで減少する。
約4000万人の人口の増減があるのである。
一口に4000万人というが、カナダの総人口を上回る数であり、その影響は大きい。
戦後の人口変化の要因を図示したのが次図である。
Photo_7
戦争が終わり、第1次ベビーブームが起きた。いわゆる団塊の世代である。
団塊世代が子供を作る年齢に達して第二次ベビーブームとなった。
出生してくる子供の数は、基本的に<親の数>×<1組の親から生まれる子供の数>できまる。
1人の女性が生涯に何人の子供を産むかを示す数値が、合計特殊出生率と呼ばれる数値である。
言うまでもなく、合計特殊出生率が、<2.0+α>でなければ人口はいずれ減少する。
1966年は丙午の干支の年であった。
井原西鶴の『好色五人女』で有名となった八百屋お七が丙午の生まれだといわれていたことから、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮めるという類の迷信が信じられるようになったといわれる。
その影響が現代社会にも生きていたわけである。
1966年は別としても、合計特殊出生率はほぼ一貫して漸減傾向にある。
要因はいろいろ言われるが、いわゆる成熟社会の1つの現象形態とみることができる。

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