藤原京はなぜ捨てられたのか?/やまとの謎(6)
奈良時代というのは、通常710年の平城京遷都以後のことを指す。
それ以前は、現在の橿原市のあたりにあった藤原京を都としていた。
この時代の大局観を持つために、大づかみに年表と地図をみてみよう。
別冊宝島『古事記と日本書紀』宝島社(1001)
上表の710年つまり1300年前に1つの区切りがあったとしていいだろう。
しかし、694年に藤原京に「遷都」してわずか14年後のことである。
藤原京は、わが国で初めての恒久的な都を意図して造営したいわれる。
⇒2008年1月 2日 (水):藤原京の造営
⇒2008年1月 3日 (木):藤原京の規模
⇒2008年1月 4日 (金):藤原京の立地
藤原京は、天の香具山、畝傍山、耳成山の大和三山に囲まれた藤原宮を中心とする。
蘇我氏や物部氏などが政争を繰り広げた飛鳥とも近い。
壬申の乱に勝利した天武天皇は、大津から飛鳥に戻った。
そして、一代限りの「宮」とは異なる「京」の建設を構想したといわれる。
藤原京に比べれば、平城京は縁の薄い土地だったといえる。
藤原京は、なぜ性急にすてられたのか?
あるいは、平城遷都をしなければならない理由はなんだったのか?
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
- 日本文学への深い愛・ドナルドキーン/追悼(138)(2019.02.24)
- 秀才かつクリエイティブ・堺屋太一/追悼(137)(2019.02.11)
- 自然と命の画家・堀文子/追悼(136)(2019.02.09)
「日本古代史」カテゴリの記事
- 沼津市が「高尾山古墳」保存の最終案/やまとの謎(122)(2017.12.24)
- 薬師寺論争と年輪年代法/やまとの謎(117)(2016.12.28)
- 半世紀前に出土木簡からペルシャ人情報/やまとの謎(116)(2016.10.07)
- 天皇制の始まりを告げる儀式の跡か?/天皇の歴史(9)(2016.10.05)
- 国石・ヒスイの古代における流通/やまとの謎(115)(2016.09.28)
「やまとの謎」カテゴリの記事
- 元号と改元と日本建国/やまとの謎(125)(2019.01.10)
- どんどん焼き・左義長/やまとの謎(124)(2019.01.07)
- 今上天皇在位最後の誕生日/やまとの謎(123)(2018.12.23)
- 沼津市が「高尾山古墳」保存の最終案/やまとの謎(122)(2017.12.24)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント