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2010年11月

2010年11月30日 (火)

ヤマトタケル(続)/やまとの謎(10)

ヤマトタケルは実在した人物か?
名前からしても、実在性は疑わしいと考えられる。
ヤタトタケル=ヤマト(倭・日本)のタケル(勇猛な人)というネーミングであるから、モデルは考えられるとしても、実在の人物の事績とは考えにくい。
それでは、モデルとなったのはどういう人物か?

アエラMookシリーズの『古代史がわかる。』朝日新聞社(0208)に、青木周平『悲劇的英雄のモデルは誰か?』という解説が載っている。
青木氏は、4世紀の歴史的事実を反映しているとは考えられないが、『古事記』や『日本書紀』に一人の人物として描かれていることは事実であり、歴史的には、蝦夷征討の時期や伊勢神宮の成立との関係が重要であるとしている。
青木氏は、まず上田正昭『日本武尊 (人物叢書 新装版) 』吉川弘文館(8512)を踏まえ、次のように論を進める。

古代前期(奈良時代以前)のタケルは3つのタイプに分けられる。
1.地方首長でタケルを称するもの・・・吉備氏や熊襲・出雲タケル
2.タケルを日本風諡号にもつ雄略天皇
3.中央豪貴族の祖先たちでタケル号をもつもの・・・阿部氏や蘇我氏
これらの伝承像が、各地における建部設置や語部たちの奏上を通して、宮廷伝承として定着した。

2.の雄略天皇については、稲荷山古墳出土鉄剣銘がワカタケル(ノ)大王とよめることにより、その実在性が立証されたといわれている。
倭王武である。
これについては異論もあるが、大勢はそう見ているとしていいだろう。
⇒2007年9月 6日 (木):偽装の原点?

青木氏は、ヤマトタケルは、『古事記』や『日本書紀』に定着する以前のある時期において、天皇として構想されていたとする説を首肯している。
そして、ヤマトタケルという名前が献上された場面を取り上げる。
西征において熊曾建兄弟を殺そうとしたとき、熊曾建が「大倭国」に自分たち以上に「建き男」がいたといって、「倭建御子」という名を献上したとある(『古事記』)。
倭建は、熊曾建の「建」と共通するイメージであり、大倭国る。

『日本書紀』では名前を奉ったのは「川上梟師」で、「尊号」として「日本武皇子」を奉ったとされる。
梟師は、蕃族・異族のことである。
すなわち、『古事記』のヤマトタケルは一地方を代表する勇者、すなわち1.に近く、『日本書紀』のヤマトタケルは日本全体を代表する皇族将軍、すなわち2.の雄略天皇に近いイメージということになる。

青木氏はさらに次のように言う。
ヤマトタケルの悲劇的英雄というイメージからすると、皇位につく資格を持ちつつ天皇になれず死んでいった皇子、たとえば、有間皇子、大津皇子、『万葉集』の高市皇子などがヤマトタケルとの関連を考えられるという。

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2010年11月29日 (月)

左手のピアニスト

昨日の産経新聞に、舘野泉さんの紹介記事が載っていた。
舘野さんのことは、入院中に新聞記事で名前を知った。
改めて略歴を記すと以下の通りである。

昭和11年、東京生まれ。35年東京芸大を主席で卒業しデビュー。39年からフィンランドに住み、国立音楽院シベリウス・アカデミー教授を務めた。フィンランド女性と結婚。平成14年、脳出血で倒れ、右半身不随となったが、2年余の闘病生活を経て「左手のピアニスト」として本格的な演奏活動を開始し、音楽の新境地を開く。
日本と北欧5カ国をはじめ、世界各国で行ったコンサートは3500回を超え、リリースされたCDは130枚に及ぶ。著書に『左手のコンチェルト』『ピアニストの時間』など。
演奏生活50周年のツァーが、来年2月まで続く。

産経新聞&ttp://www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/038.html
下の写真は、http://www.izumi-tateno.com/
Izumi_03_4

私たちは、プロの演奏家は、両手でピアノを弾く、という固定観念を持っている。
しかし、舘野さんは、左手だけでその境地を開いた。
それはもちろん平坦な道ではなかった。

脳出血で倒れた後、猛然とリハビリに励む。
しかし、右手の麻痺は思うように回復しない。
絶望と希望の繰り返しが1年半ほど続く。

左手のためのピアノ曲があることは、舘野さんはプロだから以前から知っていた。
しかし、右手が動けなくなって、左手で弾こうという気になったわけではない。
それどころか、音楽家仲間がラヴェルの『左手のための協奏曲』があるじゃないかと励ましたとき、「嫌なことを言う奴」と腹を立てるようなこともあったと
いう。

そんな舘野さんの考えが変わったのは、長男のヴァイオリニストのヤンネさんが持ってきた楽譜だった。
わずか1,2秒の間に考えが180度変わった。
結局リハビリで格闘している間に、音楽への渇望が蓄積されていたということか。

舘野さんは、左手だけでどのように演奏するのか?

舘野は低音部の和音を弾くとすぐに左手を移動させ、高音部のメロディを弾きにかかる。楽譜の上下の段に書かれている音符を省略することなく弾いているのがわかる。
では、伴奏と旋律のそれぞれを舘野はどのように弾きこなしているのだろうか?
舘野は、五本の指を二つのグループに分けて右手と左手の役割を分担していたのである。親指と人さし指が主に右手が担当する旋律のパート。残りの指が主に左手が受け持つ和音のパート。
しかし、どうしても左手一本では出来ないことがある。それは、ひとつの音を長く伸ばしながら同時に次のメロディを弾く部分である。ピアノは音を伸ばす時、鍵盤を押え続けなければならない。両手なら左手で鍵盤をずっと押さえながら、右手でメロディを弾くことが出来る。片手でも手を開いて指が届く範囲なら不可能ではないだろうが・・・。片手では届かないパートをどうやって弾いているのか?
こんなとき舘野が手で押える代わりに活用しているのが、足で踏む『ペダル』である。このペダル捌きが、流れるような旋律を生み出している。

http://www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/038.html

もともとの才能が類まれであることであったことは間違いない。
しかし、厳しいトレーニングにより達しえた境地であるともいえるだろう。
舘野さんが倒れた年齢は、私とほぼ同年齢である。
もちろん、舘野さんは仰ぎ見るような存在だけど、リハビリ中の人間にとってはまさに希望の星である。

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2010年11月28日 (日)

菅首相の「支持率1%になっても辞めない」発言の真意は?

菅首相が鳩山前首相と会食をしたらしい。

菅直人首相は27日、都内の中国料理店で民主党の鳩山由紀夫前首相と昼食を共にしながら約1時間半会談した。首相は内閣支持率の急落に関し「(支持率が)1%になっても辞めない」と述べ、引き続き政権運営に全力を挙げる決意を示した。鳩山氏は挙党態勢構築の必要性を強調した。
会談は、首相の呼び掛けで実現した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101127-00000064-jij-pol

支持率が急減しているという状況のなかで、「1%になっても辞めない」という真意はどういうことなのだろう。
上記の記事は次のように続けている。

仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決されるなど、菅政権を取り巻く環境は厳しさを増している。このため首相は、自身と距離を置く小沢一郎元代表にもパイプを持つ鳩山氏に対し、政権運営への協力を求めたとみられる。

これだけの報道内容で判断するのもどうかとは思うが、何をしているのかと思う。
そもそも鳩山氏は、次のように語っていた。

「首相を退任後、政界に残ってはいけない。影響力を残したいという人が結構いるが、首相まで極めた人がその後、影響力を行使することが政治の混乱を招いている」と述べ、自民党の森元首相らを批判した。
鳩山氏は集会後、記者団に、自身が首相に就任した場合でも、首相退任後は衆院選に立候補しない意向を示した。

http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090726-OYT1T00630.htm

私はこの発言を目にしたとき、もしこの言葉が実際に行われれば、日本の政治が変わってくるのではと大いに期待した。
ところが、その後の展開がは全く期待を裏切るものであったことは今更言うまでもないだろう。
内政・外政ともに危急の問題が山積しているときである。党内の勢力負けまいと気を配るより先にやるべきことがあるのではないか。
内閣支持率と言えば、消費税導入の時の竹下内閣を支える立場だった渡部恒三氏の回顧談に次のような一節があった。

消費税導入を決めた竹下登内閣は国民から非常に強い批判を受けた。消費税に対する反発に加え、リクルート事件という政治とカネをめぐる大問題を抱えていたからだ。
支持率低下は今の菅政権どころの話ではなく、当時官房長官だった小渕恵三元首相が(導入当初の消費税率の)3%よりは低くはならないだろうとこぼしたほどだった。竹下内閣はそれでも消費税導入に取り組み、実現させた。あのとき消費税を導入していなかったら日本の財政はどうなっていただろうか。

http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/101125/fnc1011250254000-n1.htm

支持率に一喜一憂しない、とはよく聞く言葉である。
私などは、支持率を気にしていることの反証だと思ってしまうが、支持率はもともと根なし草のようなものだろう。
いくら高くてもそれだからいい、というものではない。低い場合も同様である。
問題は、菅首相から、リーダーとしてのヴィジョンが伝わってこないことである。
状況追随的に起こったことに対応しているだけのように見える。
渡部氏は次のように続けている。

菅首相も今こそ原点に立ち返り、国民のために今、なすべきことは何かということを考え、消費税について真摯(しんし)に訴える姿をみせてほしい。
政治とカネをめぐる問題でも、首相をはじめ党執行部は、勇気ある決断をしていない。その一方で、つまらない失言やうっかり答弁でどんどん政権の信用を落としている。今のままでは政治不信は深刻化し、悪い方向に落ち込んでいくばかりになってしまうだろう。

まったくその通りなのだが、たとえば参院選で掲げた消費税率の問題を、現時点でどう考えているのか?
厚生労働相の諮問機関である社会保障審議会の部会が、介護保険制度改革の意見書をまとめた。
これに対し、次のような批判がある。

菅直人内閣は消費税論議から逃げ、現財源の枠内でやりくりしようとしている。これでは議論が窮屈になるだけだ。政権の無責任ぶりを示している。民主党では来春の統一地方選への影響を懸念し、負担増自体に否定的意見が相次いでいるというからあきれる。
税の追加投入の規模によって議論は大きく違ってくる。どうしても増税が嫌なら、軽度者向けサービスの切り離しが、保険料の大幅増も視野に入れなければならない。保険料負担の対象年齢引き下げも含め、まずは政治家が抜本改革の具体的方向性を示し、国民的議論につなげる必要がある。

http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/101128/fnc1011280304000-n1.htm

そういうことなんですよ、菅さん。
国民を信頼して、情報はできるだくけオープンにして、議論につなげなければならないのではないか。

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2010年11月27日 (土)

いじめと自殺の因果関係(続)/因果関係論(8)

桐生市の小学生に続いて、市川市の男子中学生が、「いじめが原因の1つ」と考えられる自殺をした。
自殺してしまった生徒の心の中は、想像で推し量るしかないが、事前になにかもっと打てることはなかったのかと思う。
曽野綾子さんが、産経新聞の「小さな親切、大きなお世話」というコラムの101116掲載分で、「いじめと自殺」について触れている。

この学校では、1学期の終わりごろから「担任教諭がコントロールできない学級崩壊が続いていた」そうで、担任教師の無能、学校側の指導力の不足、同級生の親たちの心遣いの貧しさが図らずも浮かびあがった。

全面的に同感である。
学級崩壊状態だったという事実が後から出てくるところは、ここにも隠蔽の構図があったのかと思う。
続けて曽野さんは次のように言う。

こういう問題は外部の者は決して実情の細部を知ることはできないから、この問題を契機に私たちは一般論を考える他はないのだが、私はいじめが自殺の原因と見なすことはできない、と思う。

多くの読者は、オヤッと思うのではないだろうか。
「私たちは一般論を考える他はないのだが」の「私たち」は「外部の者」を指すとして、「内部の者」とは誰なのだろうと思ってしまう。
「担任教師の無能、学校側の指導力の不足、同級生の親たちの心遣いの貧しさ」を前提とすると、「内部の者」で誰がこの問題に取り組むべきだと曽野さんは言うのだろう。

「私はいじめが自殺の原因と見なすことはできない、と思う」も論理の道筋が見えない。
どうして「一般論を考える」とそういう結論になるのだろうか?
一般論で言えば、「いじめが自殺の原因」と見なすことができる場合もあれば、そうでない場合もある、と言えるだけではないのか。
世の中に、1セットの事象以外に、必然的な因果関係を示せることなど、そうざらにあるものではない。
⇒2010年11月10日 (水):いじめと自殺の因果関係

朝日新聞101116日の「小6自殺、私はこう見る~識者に聞く[下]」欄で、駒澤大学総合教育研究部教授・伊藤茂樹さんは次のように言う。

いじめと、いじめを原因とする自殺は全く別のことである。いじめによる自殺は社会によって選ぶように仕向けられたという面が重要ではあるが、あくまでも自分で選んだ行為である。

これも分かりにくい表現である。
自殺が「あくまで自分で選んだ行為である」というのはその通りかも知れないが、その原因(の1つ)として「いじめ」が想定されるかどうかを問題にしているのであり、それを「全く別のことである」としてしまっては、解決策をどう考えたらいいのだろうか?

では、どうすればいいのか。いじめを語るとき、できるだけ人間性や、情緒、教育的意味合いなどを省き、「面白くないもの」にすることを提案する。天災と同じように、予防法や対処法をテクニカルに語る。あわせて、いじめで自殺するのは「かわいそう」ではなく、「死んだらいじめた側は喜ぶ」と伝える。

私は、自殺に至るような問題の対策を考える場合、「できるだけ人間性や、情緒、教育的意味合いなどを省き」という発想が理解できない。まさに、「人間性や、情緒、教育的意味合いなど」を軸にして考えるべきではないのだろうか?

防衛医科大教授・高橋祥友さんは次のように言っている。

児童生徒が自殺したら、学校だけでは対応が難しい場合があるので、早急に専門家に入ってもらう態勢作りが必要だ。山口県などには、学校で事件や事故が起きたとき、精神科医や臨床心理士ら専門家が駆けつける危機対応チーム(CRT)の制度がある。
学校だけだとばたばたしてしまい、初期対応が必要な段階で貴重な時間が失われがちで、そうなると遺族の不信感は強まる。中立の立場の人が初期から介入するべきだ。
いじめが自殺の重要な契機になる場合や、最後の背中を押す契機になる場合もあるが、他の原因が複雑に絡み合っている例が少なくない。

賛成である。
自殺の原因など、単純に分かるようなことではないと思う。
本当は、教師が「精神科医や臨床心理士」などより、学校内の事件や事故などのプロであってほしいが、キャリアの足りない教師もいることだろう。

一つの重大事故の背後には29の軽い事故、300の「ヒヤリ・ハット」事例がある。「ハインリッヒの法則」だ。自殺の背後にある多くの問題を一つずつ解決していく必要があり、いじめもその一つだ。

ハインリッヒの法則とは、下図で示されるものである。
畑村洋太郎さんが「失敗学」の主要概念として取り上げて有名になった。
Photo_2 
わが身に照らしてよく分かることだが、残念ながら、小失敗ではなかなか懲りないのが凡人の定めである。

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2010年11月26日 (金)

聖武天皇の陰陽剣(続)/やまとの謎(10)

聖武天皇の陰陽剣について、由水常雄『正倉院の謎 』中公文庫(8710)が詳しく論じている。
由水氏は、まず正倉院についてのわれわれの持っている通念-正倉院の宝物は聖武帝遺愛の宝物を光明皇后が東大寺大仏に、帝の極楽往生を祈願して奉納したものであり、8世紀以来今日まで勅封によって守られてきた-というのが、誤りではないが、一面の真実に過ぎない、とする。

聖武太上天皇の七七忌は、聖武天皇が創建した東大寺において法要されたのではなくて、藤原氏の氏寺の興福寺において挙行され、文武百官はすべてこれに臨席した。その留守をついて、宮中の宝物、武器、薬、屏風、鏡、陰陽剣類を、ことごとく、大仏に奉献したのであった。大量の武器、ほとんどすべての貴重薬、一○○畳、延べ三六○メートルの空間を覆う屏風、毛氈六○枚、世界最大の鏡一面他一九面の鏡。これらはいったい何を意味するのであろうか。いうまでもなくそれは、藤原仲麻呂が光明皇太后をテコにして実行した藤原氏起死回生のクーデターを示す何ものでもない。正倉院は、藤原仲麻呂と光明皇太后の無血革命を大成功させた一大モニュメントであった。

そして、陰陽剣の意義について次のように説く。

このご不利の宝剣を、『国家珍宝帳』にあたって調べてみると、陽宝剣と陰宝剣は、武器・武具類のリストの冒頭にしるされていて、刀剣の中の最高の名宝であったことが推察されるものである。
・・・・・・
陰・陽の剣は、いうまでもなく、『礼記』(中国の五経の一。周末から秦・漢時代の儒者の古礼に関する説を集めたもの)にいう「楽は陽よりくるものなり。礼は陰よりつくるものなり。陰陽和して万物を得るなり」といういわれにのっとった宝剣であった。当時の平城京は、唐風の政治儀礼が行われており、皇宮の為政の要となっていた三種の神器は、名古屋の熱田神宮に収められていて、宮中になかった。したがって、政治の事始めには、長安の宮殿で行われていたのと同じように、この陰陽剣を合することによyって、議会が始められていたのである。いわば、政務を執行うための不可欠のシンボルとなる宝剣であったのだ。陰陽剣の収奪はいわば国会議事堂の玉座を占拠したようなものであった。この宝剣は、おそらく政治のまつりごとに使われた、由緒ある剣であったにちがいない。そのつくりもすべて純金装飾で、組懸けの紐もすべて最高位を示す紫色である。

この陰陽の宝剣を出蔵したのは、藤原仲麻呂というのが由水氏の結論である。
それにても、平城遷都1300年の年に、このような宝剣の所在が明らかになるとは不思議なものである。
由水常雄氏が2010年5月19日にロータリークラブで行った卓話の内容が、東京早稲田RCのサイトに掲載されている。
http://www.tokyowaseda-rc.jp/?p=715

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2010年11月25日 (木)

聖武天皇の陰陽剣/やまとの謎(9)

個人的には、リハビリに状況を確認する意味もあった奈良への小旅行の最中に、明治期に出土した2本の刀が、聖武天皇の遺品である宝剣であることが確認されたというニュースが流れた。
⇒2010年10月26日 (火):聖武天皇の宝剣?/やまとの謎(3)

その後、日経新聞(101106)に比較的大きなスペースを割いて解説記事が載っていた。
先日、反省会と称して行けなかった仲間も集まって、飲み会があった。
私は依然として基本的にはノンアルコール・ビールだが、アルコール濃度5~6%の缶入りのサワーの類を1本だけ飲んでみた。結構快い気持ちになる。
この折に、座興として下記の問題を切り抜いて持って行った。
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日経の記事の中では、エックス線で判明したことを、“検査入院”で見つかったと表現していた。保管場所を移すことになり、ひび割れがないか調べていたら、「陰」と「陽」の文字が写ったというわけである。
この「陰」と「陽」の文字により、行方不明だった宝剣であることが確認された。
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行方不明というのは、正倉院の「国家珍宝帳」の聖武天皇の遺品の刀が、「除物」とされていたからだ。
つまり、後で持ち出されたまま、ということになる。
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静岡新聞101026

情報とか知識には、「知れば知るほど、知らないことが増える」というパラドックスのような性質がある。
⇒2008年8月 8日 (金):2年目を迎えて
 
行方不明の宝剣が大仏の膝下から見つかった刀であることが確認され、たとえば「除物」として持ち出したのが光明皇后だとしたら、その意図は何だったのか、という次の疑問が湧いてくる。

ちなみに、宝剣を献納してから除物とするまでの期間は3年ほど、除物として運び出した翌年には、光明皇后は死去している。
Photo_9 
静岡新聞101026

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2010年11月24日 (水)

何が起きているのか?

いったい何が起きているのだろうか?
北朝鮮が、朝鮮半島西側の黄海上の南北境界線付近にある韓国領、延坪島(ヨンピョンド)付近を砲撃した。
Photo_2 
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/gougai/20101123/20101123_0001.shtml

事態の全容はいまだ不明である。
金正日総書記に後継者として金正雲氏への後継が決まったとされる。
⇒2010年9月29日 (水):北朝鮮の権力承継
⇒2010年9月30日 (木):権力の世襲と権威の世襲/「同じ」と「違う」(15)
⇒2010年10月 4日 (月):国防委員会と党中央軍事委員会/「同じ」と「違う」(17)

今回の「暴発」は、この後継固めの一環ではないかといわれる。

今回の砲撃を通じて北側は対内的には先軍を強調するキム・ジョンウン後継体制を中心に結束を強化する効果を期待できる。南側との軍事的対決局面で金正日の先軍路線を継承したキム・ジョンウン後継体制を中心に対処する方法以外に他の代案がないという雰囲気を作ろうとした可能性もあるという分析だ。
対外的にも強硬な軍事的手段を通じて米国と韓国政府の対北韓基調変化を引き出すことにより、結果的にキム・ジョンウンの指導力を宣伝・強化しようとしたという可能性も議論される。北側は北-米関係改善のために最近ウラニウム濃縮のための遠心分離機まで公開し外交折衝戦に出たが、まだ米国側の明らかな態度変化は見られない。韓半島危機指数を引き上げる場合、米国が情勢管理のためにやむをえず北側との協議にはいるという計算をした可能性もある。

http://news.livedoor.com/article/detail/5159461/

国際世論の反発は織り込み済みなのだろう。
金体制が長続きすろとも思えないが、わが国もその崩壊を加速させる手段を積極的に行使すべきではないか。
拉致被害を被っていることを忘れてはならないだろう。

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2010年11月23日 (火)

菅内閣における失敗の連鎖

辞めるの辞めないのと大騒ぎだったが、柳田法相が辞表を提出し、菅首相が受理した。
これにて一件落着、とはいかないところが、菅政権の前途を暗示している。
菅首相の迷走は毎度のことだが、またしても、である。
誰が見ても、どう贔屓目に見ても、辞任を免れ得ない柳田氏を、19日には「本人も深く反省している。頑張ってもらいたい」と擁護しておきながら、22日には「(平成22年度補正)予算案審議などにいろいろ影響が出る」として辞任を促した。
柳田氏も、バカ正直に、「予算案審議のために」と辞表提出の理由づけをした。
当然、問責されるべきことを反省していない、と野党側から反発を浴びている。

柳田氏の後任は、仙谷官房長官が兼務するという。
菅首相は、いつからこんなに浮世離れしてしまったのだろう。
問責の次のターゲットともいわれる仙谷氏を任命するとは。
仙谷氏も「私が答弁一番こなれている」と自賛しているが、内閣の要のこの人が一番の問題発言の発信源であることは、衆目の一致するところだろう。

内閣支持率ももはや危険水域というよりも、死に体水域である。
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菅内閣の動向を振り返ってみよう。

菅内閣の退勢は、既に7月の参院選の結果に示されていた。
⇒2010年7月12日 (月):日本の政治はどうなるのだろうか?
⇒2010年7月13日 (火):タレント候補擁立に象徴される民主党の民意の読み違い

そもそも、民主党には、政党としてのガバナンスが欠如しているのではないかと思われる。
⇒2010年8月 1日 (日):民主党におけるマネジメントの不在
菅首相にも、総理としての気概を感じることができない。総理というポストに固執するだけで、展望とか責任とかが見えてこないのだ。
⇒2010年8月 4日 (水):迫力欠く菅首相の国会論戦

これは、小沢一郎氏との代表選を通じてますます顕著になる。
⇒2010年8月27日 (金):カン違いしたのは、菅首相かわれわれか?
⇒2010年8月31日 (火):いまさら「トロイカ体制」か?
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」

上記のように、菅内閣は、その最初から危なっかしい船出であった。
それがあらわになってきたのは、尖閣諸島で逮捕した中国人船長を釈放した辺りからであろうか。
⇒2010年9月25日 (土):尖閣諸島事件の船長を釈放
⇒2010年10月 3日 (日):尖閣問題に対する蓮舫大臣の強弁

以後のことは、繰り返しになるから止めておくが、結論的に言えば、菅内閣の本質は、「失敗から学ぶ」という姿勢の欠如である。
私は、菅続投に反対だったが、民主党政権の成立には1票を投じている。
深い絶望感にとらわれるが、それでも選挙が最も良い方法であると信じる。
ずいぶんと高くつくが、かくなる上は、解散総選挙によって民意をもう一度確認すべきだろう。

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2010年11月22日 (月)

著しく緩徐的ではあるが・・・・・・/闘病記・中間報告(15)

早いもので、脳梗塞の発症から11か月である。
発症直後の「つもり」では、3か月程度の入院はやむを得ないにしても、その期間さえ過ぎれば元のような生活に戻れるものと思っていた。
今にして思えば、いかにノーテンキだったことか。

5月末にリハビリ専門病院を退院してから、外来として医療保険を使ってリハビリを続けている。
医療保険のリハビリは、発症後6か月を過ぎると原則として<13単位/月>しか診療報酬が認められないので、その範囲である。
<3単位/週>ということになるが、1単位は20分であるから、時間にしたらわずかなものである。

私の場合、一応ST(言語療法)も希望したが、検査の結果、失語症等とは認められないということで、PT(理学療法)とOT(作業療法)をお願いしている。
現在の状態からして、足よりも手の回復が遅れているだろうということで、OTを<8単位/月>、PTを<5単位/月>の時間配分である。
限られた時間なので、<Plan→Do→Check→Action>のサイクルにおけるCheckをしてもらうというような感じであり、Doは自分で、と考えているがなかなか難しい。
それでも、自分なりにかんがえて、マンションで階段の昇降を毎朝自分に課している。

同時に、友人たちの厚意により、部分的に社会復帰をさせて頂いている。
もう、リタイヤして当然の年齢ではあるが、多少でもお世話になったことの恩返しのつもりである。
家にいるとどうしても活性でなくなる。他人との交流がないと、やはりリハビリ的にもよくないだろう。
おかげさまで、歩く方は、だいぶ回復してきたように思う。
奈良旅行(10月24~26日)には、杖、装具を持参したが、車いすがあったこともあり、使用するに至らなかった。

疲れてくるとつま先がさがって地面に引っかかりやすくなってくる。
PTのMさんには、長距離の場合は装具を使用した方がいい、と言われているが、足首が固定されて可動性が低くなる。
階段の昇降等においては、装具がない方が自分としてはやりやすい。

富士山麓にある小さな湖の1つに田貫湖という小さな湖がある。
朝霧高原の一角に位置する静かな人口湖である。
国民休暇村に指定されていて、ホテルの他にキャンプ場があり、こぎれいなコテージも整備されている。
還暦のときには、このコテージを借りて、親戚の人たちと一緒に一晩を楽しんだ。
http://www.qkamura.or.jp/q_fdetail.php?nfacid=2295&page=cottage

20日の日に、天気も良いので、妻に頼んで田貫湖までドライブした。
湖の周りに遊歩道が整備されている。
<4.5km/周>だから、普通の健常者だったら1時間もあれば十分だろう。
しかし、今の自分に1周を歩くことが果たしてできるだろうか?

結果は1時間半ほどかかったが、1周することができた。
湖畔の紅葉が美しかった。
テントを張っている人も、チラホラという程度だがいた。
夜は冷え込むことだろうと思う。
ホテルのソフトクリームは濃厚で美味かったが、カレーライスはイマイチだ。
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2010年11月21日 (日)

藤原京はなぜ捨てられたのか?(続)/やまとの謎(8)

藤原京に遷ったのが694年。
未だ未完成の状態であった。
持統が没したのは702年のことで、その8年後には藤原京は捨てられ、平城京に遷る。
わずかな期間で藤原京が使用されなくなった理由は何か?

竹澤秀一『平城京と藤原不比等の野望』(「文藝春秋10年6月号)を参照してみよう。
竹澤氏は、まず「藤原京の水はけが悪かったから」という説の当否を検討する。
藤原京の跡地は現在でも水はけがよくない。

万葉集に次の歌がある。

大君は神にしませば 赤駒の 匍匐ふ田井を都と成しつ

大君は神にしませば 水鳥の すだく水沼を都と成しつ

大君は天武天皇、都は藤原京である。
「赤駒の匍匐ふ田井」や「水鳥のすだく水沼」を都にしたことを讃えている。
逆にみれば、それだけ条件の悪い土地だったことになる。
建設前から水はけが悪いことは周知のことだった。つまり、平城京へ遷都する理由とは考えにくいということである。

第二に考えられるのは、「遣唐使がもたらした長安の最新情報と藤原京の姿が合致していなかったから」である。
遣唐使は、669年(天智8年)に派遣してから途絶えていた。
年表を見てみよう。
⇒2010年11月 8日 (月):藤原京はなぜ捨てられたのか?/やまとの謎(6)

この間、壬申の乱(672年)、藤原京遷都(694年)、持統から文武への皇位継承(697年)、大宝律令制定(701年)などの出来事があり、動乱と変革の時代であった。
遣唐使が帰国したのは704年であった。
国づくりのための重要な情報を携えてきた。律令制、貨幣制度、都の在り方・・・・・・。

長安と藤原京の間に、造都理念に大きな齟齬があった。
長安では、宮が京の北端に位置していた。天子南面の思想である。
藤原京は、宮が京の真ん中にあった。
グローバルスタンダードに合致していなかったわけである。

しかし、それだけを遷都の理由だとしていいか、と竹澤さんは問う。
藤原京は、天武、持統が、恒久的な都とすべく計画したものである。
他に理由はないだろうか?

竹澤さんは、建築家として、「政治としての建築」を考える。
つまり持統亡き後権力の中枢にいた藤原不比等はどう考えたのか、である。
藤原京の立地は、皇族や大和王権を支えてきた飛鳥に近い。
不比等は、それが不安だったのではないか。

自らの権力基盤を固めるために利用できることは何か?
一つは天皇家との間に姻戚関係を築き上げることでる。
自分の娘の宮子を文武ん天皇に嫁がせ、光明子を後の聖武天皇の后にする準備を進める。
もう一つが、遷都という大規模公共事業である。
遷都による人心の一新は、権力集中の格好の機会であった。

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2010年11月20日 (土)

仙谷官房長官がまたもや失言?

柳田法務大臣が舌禍問題で進退窮すという状態らしい。
本人は、「何で俺が法務大臣に・・・・・・」といった位だから、参議院の問責決議案が可決される前に辞めたがっているという。
さらし首は御免蒙りたいといった心境だろう。
私など、一刻でも早く辞めさせたらどうだろうか(辞任ではなく罷免である)と思うが、党内事情はそうもいかないらしい。
馬淵国交大臣や仙谷官房長官に飛び火するのを恐れてのことだという。

確かに、1人の問責が可決されると、参議院の議席状況からして、ドミノ倒しにんるだろう。
何しろ、この内閣の失言は、問責の材料に事欠かない。
たとえば下表を見ればいい。
Photo_2
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101118-00000119-san-pol.view-000

全員罷免すなわち内閣総辞職も選択肢に加えてもらいたいと思うがそんな風にはいかないだろう。
民主党には、蓮舫大臣をはじめ、総理の座に意欲的な方がいらっしゃる。

「総理という選択肢も私の中では否定していません」とも言ったそうである。総額130万円以上のスーツに身を包んだ総理大臣が、「国民の生活が第一」と言ったらお笑い種である。
http://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/36393307.html
折も折、である。
仙谷官房長官の発言が問題視されている。
仙谷由人官房長官(64)が18日午前の参院予算委員会で、自衛隊を「暴力装置」と表現した。「国会答弁は2つ覚えておけばいい」発言の柳田稔法相(56)に続く、閣僚の失言。仙谷氏は陳謝して撤回したものの、政権の内部崩壊は止まりそうにない。
仙谷氏は公務員の政治的中立について、自民党の世耕弘成参院議員(48)から質問を受け「暴力装置でもある自衛隊、ある種の軍事組織だから特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と発言した。議場はどよめきとヤジの嵐。世耕氏から抗議を受けた仙谷氏は「実力組織」と言い換え「不適当だった。自衛隊のみなさん方には、謝罪します」と語った。
午後には菅直人首相(64)も、この件で謝るハメに。自民党の丸川珠代参院議員(39)から「自衛隊の最高指揮官として謝罪すべき」と突き上げられ「自衛隊の皆さんの、ある意味プライドなどを傷つけることになり、おわびしたい」と陳謝。終了後は仙谷氏に対し「以後、気をつけるように」と注意した。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20101119-OHT1T00026.htm
菅首相が注意する立場に、というよりも資格があるかどうかは別として、今の状況においてこういう表現をしたのは、それこそKY(もはや死語のようであるが)であろう。
しかし、あえて仙谷氏の擁護をするならば、この発言は単に「自衛隊は軍隊だ」といったに過ぎない。
自衛隊が軍隊であるか否か。
憲法9条を読む限り、日本国は軍隊をもてない(もたない)ことになっている。
だから、自衛隊は軍隊ではない。
そうも言えるだろう。
しかし、仙谷氏の発言をそういう意味で批判した人は僅かだと思われる。
30代の男性航空自衛官は「官房長官たる人がいくら撤回したとはいえ思想の中で『暴力装置』だと思っていることが非常に残念。(謝罪をして『実力組織』と)言い換えても思っていることに変わりない」と怒りをあらわにした。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1290078517/-100
元航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄氏は「自衛隊に対する仙谷氏の本音だろう」とした上で、「本来、自衛隊は国民のためにあり、国民を守る組織。そのことをしっかり本音で認識していないからこそ『暴力装置』といった言葉が出てくるのだろう」と話した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101118/plc1011181849018-c.htm
これらの批判者は、「暴力」「装置」といった言葉に反応しているようである。
たしかに、辞書を見ると、下記のように説明されている。
ぼう‐りょく【暴力】
乱暴な力。無法な力。なぐる・けるなど、相手の身体に害をおよぼすような不当な力や行為。

広辞苑第六版より引用
この意味ならば、暴力団と同じ用例だから、明らかに不適な発言であったと言わざるを得ない。
しかし、仙谷氏とて、そういうつもりではないだろう。
おそらく、次のような語感で言ったのだと思う。
ぼうりょく‐かくめい【暴力革命】
武力によって遂行される革命。平和革命。

広辞苑第六版より引用
つまり、武力を用いるか否かの違いである。
軍隊は武力を持ってこそ意味がある。だから、自衛隊の有する暴力とは、自衛隊は武装集団である、ということを言っているに過ぎない。
もう一つは、人間の集団を「装置」だなんて・・・・・・。
装置は、一般的には機械などの人工物でできているものを指す。
梅棹忠夫さんによれば以下の通りである。
装置群とは、具体的な器物や構築物のほかに、諸制度あるいは組織をもふくめることができるであろう。つまり、人間が人工的につくりだしてきたすべてのものである。
2009年4月14日 (火):文明の情報史観
「諸制度や組織をもふくめることができる」としているのは、さすがである。
辞書でも次のように説明している。
◆イデオロギー的国家装置(ideological state apparatus)
〔文化 > 哲学・思想 > △現代思想の基礎語〕
フランスの思想家アルチュセールの概念のひとつ。国家はその権力の行使のために二重の「装置」(一度つくられると変更が困難なもの)を用いる。ひとつは、政府機関・裁判所・軍隊など、権力を直接に行使するもので、「抑圧的国家装置」と呼ばれる。これに対して、教会・学校・家庭・マスメディアなどは、権力が間接的に行使されるものとして、「イデオロギー的国家装置」と呼ばれる。アルチュセールはこの装置の「呼びかけ」が主体をつくると考えた。

現代用語の基礎知識2010年版より引用
アルチュセールも「軍隊」は国家の「装置の1つ」と言っている。
だから、自衛隊を軍隊として認める以上、「暴力装置」というのは間違いとはいえない。
日頃の強弁ぶりとは打って変わって、低姿勢のようだが、「坊主憎けりゃ袈裟まで・・・・・・」というような応答ではなく、国民がどういう不安感を持っているかに心していただきたい。
その不安感が払拭されない限り、景気対策の効果はないと考えた方がいい。

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2010年11月19日 (金)

「藤原宮の大嘗宮跡は誤認だった」と奈文研が訂正発表

藤原宮跡で、大嘗祭のために造営されたとみられる建物や門、塀などの柱穴が発見された、と奈良文化財研究所が発表したのは、7月1日のことだった。
大嘗祭は、天皇の即位後、初めて行う新嘗祭(収穫した穀物を神に供える儀式)である。天武天皇(在位673~686年)が始めたとされ、室町時代~江戸時代に一時中断したが、現在も続いている。
『続日本紀』には、698年に文武天皇、708年に元明天皇が営んだとの記述がある。
つまり、この発見は、文武もしくは元明の即位のときのものと考えられる。
歴史的にきわめて重要な意味を持つことは、私のようにキャリアの浅い古代史ファンでも理解できる。

ところが驚いたことに、この発表は「全面的に誤り」だったと、11月18日に訂正発表があった。
奈良文化財研究所といえば、考古学と歴史学を繋ぐ領域のリーダーである。

■奈良文化財研究所 日本を代表する考古学の研究機関で平城宮跡、藤原宮跡をはじめとする古都・奈良の発掘調査を手がける。昭和27年に設立され、平成13年に国立機関から独立行政法人化された。研究員は現在56人。自治体の発掘調査担当者の研修などを行うナショナルセンター的な役割も果たす。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/101118/edc1011182011001-c.htm

旧石器遺跡捏造事件から10年経つ。
今回の誤認は、旧石器遺跡捏造事件のような故意によるものではなく、過失によるものである。
しかし、再び、考古学という学問の基盤が問われることになるのではなかろうか。
モノを対象とする考古学は、そのモノの持つ意味をどう認識するかということが出発点である。

7月の発表では建物跡や四方を囲う塀跡、門跡を確認したとし、「平城宮(奈良市)の大嘗宮跡と類似した構造」と説明。建物や塀を構成する柱穴が42基あるとしたが、藤原宮があった時代の柱穴は1基だけだった。
発表時は後世の水田耕作による溝の断面部分の土の色の違いなどを手がかりに「柱穴」と特定したが、石敷きを外して確認しておらず、奈文研は「異なる土が複雑に混ざり合っていたことなどで確認しづらかった」と“釈明”。発表前に幹部らがチェックしたが、確認できなかった。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/101118/edc1011182011001-c.htm

仮説に基づいて発掘調査が行われる。
しかし、その検証は、客観的な目で行わなければならない。
奈文研でも、7月の発表に際しては、当然他の研究者も加えた判断があったであろう。
それがなぜ?

よく知られているように、藤原京は日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)を採用した本格的な中国風都城である。しかし、平城京遷都までのわずか16年の短い都城だったにすぎない。平城京遷都によって宮城や寺院の主要建築は平城京に移築され、廃都はまたたくまに田園地帯となってしまった。一方、大嘗祭の儀式を行うために建設された大嘗宮は、わずか1日儀式のための仮設住宅にすぎず、儀式が終わればすぐに撤去されてしまった。その大嘗宮の跡がよく判別できたものと感心する。
残っていたのは、門とみられる1辺約1・8~2メートルの大型柱穴4基と、塀とみられる直径0・5~1メートルの柱穴約20基、それに東西12メートル、南北3メートルの建物跡だけだった。あるいは朝堂院朝庭という場所は、本来は建築物など何も無いはずの礫敷きの広場だったからこそ、大嘗宮跡と判断されたのかもしれない。
奈文研は、「藤原宮の大嘗宮が後の時代の原型になった可能性もある」として、今後は「調査区の下層や南側の発掘を進め、建物配置や時期などを検証したい」としている。
それにしても、天皇家の秘儀にも等しい大嘗祭を行なう場所として、なぜ朝堂院の朝庭のような場所が選ばれたのであろうか。現代流に言えば、霞ヶ関の官庁街のど真ん中で、神事を挙行するようなものである。当然、一週間にわたって官人たちの朝堂院での勤務も差し控えられたであろう。多忙な官人たちにとっては迷惑な話だったはずだ。周囲には天香具山の山麓などもっと神聖な場所はいくらでもあったであろう。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-4/2010_0704.htm

上記は、『橿原日記』と題するアマチュアの方(?)のサイトからの引用である。
上記のなかで、「よく判別できたもの」とあるが、結果的には判別できなかったわけである。
判別できるか否かは、「情報」というものを考える際のキーワードであろう。
⇒2008年2月17日 (日):判読と解読
⇒2008年2月18日 (月):右と左の識別
⇒2008年2月19日 (火):問題を感知する力

「情報」という言葉・概念を定義しようと思うと一筋縄ではいかないが、私が気に入っているものの1つは次の定義である。

情報とは,均一なbackgroundの中に,これと区別できる何等かの特徴をいう。ただし,均一とか区別とかは,すべてわれわれの認識の限界内での話とする。
牧島象二『Patternに憑かれて』牧島象二先生記念会(1969)

新しい発見というのは、常に間違える可能性がある。それを恐れてはいけないであろうが、組織としてしっかり検証しなければならないことは当然であろう。
奈文研が、事業仕分け等を過剰に意識して、悪しき成果主義に陥った結果でなければ幸いである。

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2010年11月18日 (木)

もはや誰も驚かない? 柳田法相の笑えぬ冗談(失言)

柳田法務大臣が、「答弁は二つ覚えておけばいい」と発言し、物議を醸している。
14日に広島市で開かれた法相就任を祝う会合でのことである。

「9月17日(の内閣改造の際)新幹線の中に電話があって、『おい、やれ』と。何をやるんですかといったら、法相といって、『えーっ』ていったんですが、何で俺がと。皆さんも、『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので多くのみなさんから激励と心配をいただいた」
「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101118-OYT1T00325.htm

まあ、地元の後援会の祝賀会の席だから多分にリップサービスのつもりだったのだろう.。
しかし、それにしても言いようがあろうというものであるが、ある意味一面の真実であるところが寒々しい。
菅首相と仙谷官房長官に厳重注意され、参院予算委員会で「心から反省している」と謝罪したが、どこまで本当に反省しているのかと思う。

柳田氏は9月の法相就任まで参院法務委員会や党の法務部門会議に所属した経験はなく、答弁には不安視する声が与党内にもあった。就任後は検事による証拠改ざん、尖閣諸島沖の漁船衝突事件と法務・検察を直撃する懸案に相次いで見舞われ、国会審議では知識不足から質疑がかみ合わない場面もあった。
10月22日の衆院法務委では、平沢勝栄氏(自民)から「(尖閣事件の)ビデオは見たか」と尋ねられ、「なんのビデオでしょうか」。同29日の記者会見では、閣僚の資産公開について「やましいことをしたことがないので公開する必要がないんじゃないか」と述べた。

http://www.asahi.com/politics/update/1117/TKY201011170411.html

センカン内閣では、失言というよりも、強弁・詭弁の類が目立つ。
⇒2010年11月13日 (土):菅内閣の無責任性と強弁・詭弁・独善的なレトリック

スポークスマンであるはずの仙谷由人官房長官が率先して「実に珍妙な詭弁(きべん)をろうして」(公明党の東順治副代表)は謝罪や発言撤回を繰り返す。柳田稔法相の国会軽視発言も含め、たがが外れた閣僚の言動の数々は政権末期の様相だ。
「仙谷氏に厳重注意をするのは誰なのかとブーメランにならないことを願っている。閣内や党内で誰が厳重注意するんでしょう?」
新党日本の田中康夫代表は17日の記者会見で、仙谷氏が柳田氏に厳重注意したことについて皮肉った。
実際、仙谷氏は陳謝の常連だ。野党時代に自身も「新聞報道によると」と繰り返し質問していたにもかかわらず、野党議員から新聞報道に基づいて事実確認をされると「最も拙劣な質問方法だ」と反論をして謝罪に追い込まれた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101118-00000119-san-pol

菅首相が積極的な支持で総理に選ばれたのではないことは、衆目の一致した見方だろう。
「余りコロコロと首相を変えるのは好ましくない」。
それは、私だってそう思う。できれば、安定政権を願うものだ。
「小沢さんよりはクリーンだ」。
「クリーン&無能」と「ダーティ&有能」という選択肢だったらどうするか?
まあ、小沢さんが有能かどうか分からないしのであるが、菅さんが総理として「無能」であることは明白だろう。

確かに、政権末期の様相のように見える。
しかし、最初から危うい船出であった。
民主党の議員の皆さんは、いまや泥舟に最後まで踏みとどまる覚悟があるのかが問われるところだろう。

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2010年11月17日 (水)

裁判員裁判の死刑判決と控訴を勧める裁判長

危惧していた事態が起きたといえよう。
裁判員裁判で死刑判決がでた。
死刑制度がある以上、いつかは下されることではあった。
永山基準という半ばオーソライズされた基準があることも、裁判員にプレッシャーとなったであろう。
判決は恣意的であってはならない。
Aに対する基準とBに対する基準が異なるものではならない。
死刑等の重罰を課す場合には、ことさら公平性が担保されなければならないであろう。

裁判員は、くじで選ばれる。
偶然、裁判員になった市民は悩むであろう。
死刑か否か。
量刑の公平さを保たなければならない。日本には死刑があって、ある条件を満たすと考えられる場合には、死刑に処することになっている。
しかし、死刑判決に加担したくはない。

あるいは、自分は死刑に反対であっても、死刑の判決となってしまうかも知れない。
⇒2010年10月31日 (日):裁判員裁判と死刑の求刑

それに、そもそも死刑の基準も絶対不変のものとはいえない。
それこそ、ケースに応じて考えなければならにであろう。
⇒2008年4月23日 (水):光市母子殺害事件判決の常識性

この事件を担当した裁判員の肉声は、守秘義務があるため、聞くことはできない。
おそらくは逡巡の果ての結論だろう。
こういう判断を一般人に求めることになる裁判員制度は、導入すべきだったのだろうか?
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問
しかし、今回の判決を言い渡し終えると、裁判長が異例の説諭をしたらしい。
判決文を読み上げたあと、裁判長は「控訴することを勧める」と異例の言葉を付け加えた。
http://www.j-cast.com/print_window.html
この説諭に対する反応はさまざまのようである。
ある検察幹部は「被告が反省して刑を受け入れると言っているのに、その心情をかき乱す」と批判した。「裁判員の中で死刑か無期懲役かで意見が割れたからではないか」と推測する幹部もいた。
被告の弁護人からも「被告には人間性があり、更生の可能性もあると言いながら(死刑を言い渡し)、『控訴したら』というのはよく分からない。何なんだろう」と疑問の声が上がった。
国民が加わった判断の重みをどう見るべきか。ベテラン刑事裁判官の一人は「結論に自信を持っていても、命を奪う重大な刑に変わりはない。控訴審でも、あらゆる角度から検討を重ねてほしいとの裁判員の思いが、説諭に込められたのかもしれない」と理解を示した。

http://www.asahi.com/national/update/1117/TKY201011160516.html
私は、産経抄氏の次の意見に近い。
判決は当然の結論とはいえ、神ならぬ身の裁判員のみなさんはさぞ苦しかっただろうが、裁判長が主文を言い渡した後で、被告に控訴を勧めるとは何事か。▼そんな自信のない裁判官はプロ失格だが、・・・・・・
裁判官には、プロとしての判断力が求められる。
しかし、裁判員は、一般の市民である。
たまたま裁判員に選ばれた人に、かくも重い意思決定を強いる必要があるのだろうか。

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2010年11月16日 (火)

尖閣ビデオ問題を「もしドラ」的に考えてみる

尖閣ビデオ問題は、私にとって不可解である。
仙谷官房長官ら政府首脳が、いかなる意図でビデオを公開すべきではない、と考えたのか?

情報は的確な意思決定のために必要である。
株式の取引において、一部の人しか接することができない情報をもとに売買を行って利益を上げることは、インサイダー取引として厳しく罰せられる。
企業は株式の取引に必要な情報を、速やかに開示することが要求される。

情報の保秘の範囲(何をどこまで)の決定は、要するに、意思決定者は誰かということと同じである。
官房長官らは、ごく一部の国会議員に大幅に編集した映像を見せることがベストだと考えた。
民主党(と社民党)の議員の何人かは、自分が映像を見たうえで、一般公開すべきではないと考えた。
⇒2010年11月 9日 (火):政府は、誰に対し、何を謝罪するのか?
⇒2010年11月15日 (月):尖閣ビデオ問題の失敗学

情報を限定するメリットは何か?
情報に接することのできる立場にある人とそうでない人には格差が生じる。情報格差である。
秘密だといって拡散することを禁じた人は、一般人は意思決定する必要はない、と考えたのであろう。
しかし、それは、国民主権という言葉と全く対立するものである。
菅首相自ら次のように言っていることと矛盾する。

最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ

国家公務員法の守秘義務違反が問われている。
岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 』ダイヤモンド社(0912)という長いタイトルの本がベストセラーになっている。
略して『もしドラ』。

仕事をいかなる基準で遂行するか。
P・F・ドラッカーは、営利であるか非営利であるかを問わず重要であるのは、「成果とは何か」を問うことである、という。
続いて、「顧客とは誰か」を問え、と。

国家公務員にとって、顧客は誰か?
政府ではなく、国民であることは明らかである。
とすれば、海保保安官の行為をどう考えるべきか、言うに及ばない。
ドラッカーは主著『マネジメント』において、「事業」について次のように説明する。

企業の使命と目的を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようととする欲求によって定義される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。したがって、我々の事業h何かとの問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。

この有名な言葉は、企業だけに当てはまるものではないだろう。
また、責任ある立場の人間の条件については次のように言っている。

人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは十分ではない。スキルの向上や仕事の理解では補うことのできない根本的な資質が必要である。真摯さである。

菅内閣に、真摯さを感じることができるだろうか。
⇒2010年11月13日 (土):菅内閣の無責任性と強弁・詭弁・独善的なレトリック

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2010年11月15日 (月)

尖閣ビデオ問題の失敗学

尖閣ビデオの流出問題は、われわれにさまざまな問題を投げかけた。
否応なしに、われわれは、政府の対応に、YesかNoの判断を迫られることになった。
この問題に関しては、私は一貫して、Noの立場である。
まことに庶民的であるが、私の周りで、政府を支持する声はない。

YouTubeにビデオが流出してから、特にその傾向が強いようだ。
ビデオの映像をみて、海上保安庁の職員が危険な業務に従事していることを改めて認識したからであるし、中国漁船の体当たりを目の当たりにしたからだ。
一説では、政府がビデオを一般には公開しない方針にした理由は、「ビデオをみたら国民の怒りが納まらなくなるだろう」と予測したからだという。
偏狭なナショナリズムを徒に刺激するのはよくない、という一般論は正しいかも知れない。
しかし、今回の件にはまったく当てはまらないだろう。
もし、政府筋がそう考えたとしたら、ずいぶん国民をなめた話だ。

まさかそんなことはあるまいが、そういうカングリをさせてしまうことがそもそも間違いだろう。
当初、限定公開が許されたされた国会議員の感想だって、余り自慢できるようなものではあるまい。
議員のコメントの記事を見てもらいたい。
⇒2010年11月 9日 (火):政府は、誰に対し、何を謝罪するのか?
記者がとりまとめたのだろうが、コメントをみた限りでは、さして見識があるとは思えない。
参考になるのは、「ビデオを公開すべきか」「船長釈放は正しかったか」に対する○×の回答ぐらいである。

自分が動画を見たうえで、「公開すべきである」に×をつけたのは、以下の議員である。
今後の投票行動を考える材料として、煩を厭わずあえて記しておきたい。
衆院
 民主=中井洽、小林興起、中川正春
 社民=服部良一
参院
 民主=前田武志、川上義博、水戸将史
 社民=福島瑞穂

政府がビデオを公開しない方針をとったことは、一般的な意味で、明らかに「失敗」であった。
「失敗」とは、失敗学の先駆者・畑村洋太郎氏によれば、次のように定義される。

人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと

衝突映像を国民の目から遮断し、一般に対しては非公開にするという「人間が関わって行うひとつの行為」が、流出という形で「達成できな」かったわけであるから、失敗学の定義によっても失敗であることは明白である。
重要なことは、失敗を失敗と認めて、再発を防ぐことである。
失敗学では、失敗の原因を分類しているが、私見では、今回の場合、次の2つの要因が大きいのではないか。
誤判断:状況を正しく認識しなかったり、認識しても判断を間違えたりした
価値観不良:価値観が、周囲と異なっていた
つまり、現代の情報状況に対する認識不足と、国民の多くが知りたいと願っていることについて、隠蔽することが善と考えたことだ。
前者は、Googleに対し、捜査令状を突き付けた対応に象徴される。
立花隆さんは、YouTubeなどによって、1人1人が放送局を持ったようなものだ、と表現している。
失敗の一因は、インターネットの有するオープン性に対する無知であるといえよう。
小田嶋隆さんは「日経ビジネスオンライン」の『動画流出問題が呼ぶ「次の失敗」』という記事(101112配信)で次のように言っている。
なんという無駄な虚勢であることだろう。
伴天連相手に十手風を吹かせていたドメスティックな岡っ引きそのまんまでははないか。
失敗は、真摯に反省しないと、次の失敗を呼ぶ。
そして、多くの場合、さらにダメージは大きくなるものだ。
しかし、菅内閣には、真摯に反省する姿勢が決定的に欠如していると考える。

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2010年11月14日 (日)

「藤原」とはいかなる意味か?/やまとの謎(7)

藤原京を構想し、造営に着手したのは天武天皇である。
『日本書紀』によれば、天武6(676)年条に、次の文章がある。

この年、新木(大和郡山市新木)に都を造ろうと思われた。予定地の田畑は公私を問わず耕作されなかったので、たいへん荒廃した。しかしついに都は造られなかった。

天武天皇は、歴代遷宮から脱却し、恒久的な都を築いて、そこで直系の子孫が皇位を継承していくことを目論んだとされる。
新木は、新城すなわち新しい都と考えられている。
その構想は、最終的に藤原京の形で成案となった。
しかし、天武は686年に藤原京の完成を見ることなく死を迎える。
天武の構想を引き継いだのは、次の天皇となった妻の持統天皇である。

持統は、694年、まだ建設途上にあった藤原京に遷都する。
藤原京は、それまでの概念を一新した造都理念に基づいて発想された都であった。
その理念とは、次の2つである。
①天皇一代限りではなく、永代の都とすること
②道路を碁盤目状に敷設し、施設を計画的に配置すること
⇒2008年1月 2日 (水):藤原京の造営

持統は、自分の子供である草壁皇子を後継にしたいと願ったが、草壁は689年に28歳で夭折してしまう。
そこで孫の軽皇子を皇位につける。697年、軽が15歳の時であった。
『日本書紀』は、持統の文武への皇位継承の表現で巻を閉じている。

(十一年)八月一日、天皇は宮中での策(みはかりごと)を決定されて、皇太子(ひつぎのみこ:文武天皇)に天皇の位をお譲りになった。

律令制は、701年の大宝律令の制定により整えられる。
文武天皇の誕生と律令制の整備に大いに尽力したのが藤原不比等であった。
不比等は、自分の娘の宮子を文武に嫁がせている。
つまり、文武への皇位継承は不比等の望むところでもあった。

不比等の立場は、草壁皇子が身につけていた「黒作懸佩刀」を託されたことでも明らかとされる。
これを文武に引き渡し、文武の死に際しては、再び託されて聖武に引き継いだ。

藤原不比等は、中臣鎌足の二男である。
中臣氏が藤原氏になったのは、中臣鎌足が亡くなる前日に、天智天皇がその功績を称えて、藤原の氏を賜ったということになっている。

(八年十月)十五日、天皇は東宮太皇弟(ひつぎのみこ:大海人皇子)を藤原内大臣(鎌足)の家に遣わし、大織の冠を大臣の位を授けられた。姓を賜わって藤原氏とされた。これ以後、通称藤原内大臣といった。十六日、藤原内大臣(鎌足)は死んだ。

しかし、死の前日というのはどういう意味だろうか。
「これ以後」とはいうものの、生前には称されなかったというに等しい。

藤原不比等に関しては、上山春平氏の埋もれた巨像』岩波書店(7710)などによって、実像が明らかにされつつあるが、しかしいまだ謎の人物と言っていいのではなかろうか。
⇒2007年9月 1日 (土):大津皇子処刑の背景・・・②上山春平説
2007年9月 7日 (金):藤原不比等

天智天皇はなぜ「藤原」という姓を鎌足に与えたのか?
その後の藤原家の隆盛とどういう関係があるのか?
そして、藤原氏と藤原京との関係は?

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2010年11月13日 (土)

菅内閣の無責任性と強弁・詭弁・独善的なレトリック

沖縄知事選の立候補の状況により、菅内閣の無責任ぶりがいよいよはっきりしてきた。

沖縄県知事選で、普天間飛行場の辺野古移設を目指す党本部と調整がつかず、自主投票のまま選挙戦に突入した民主党県連。告示日も党本部からの応援はなく、県外・国外移設を掲げる同県連に対して「節度ある慎重な行動」が求められたためか、地元国会議員の姿も見えなかった。「自主投票なんだから何もできない。選挙中はテレビでも見て過ごすよ」。県連代表の喜納昌吉前参院議員(62)は11日夜、那覇市内の自宅でさばさばとした口調で話した。知事選での活動自粛は党勢の衰退にもつながりかねないが、「これで民主党の支援者が減っても我々地元は責任取れない」と投げやりに語った。
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20101112-OYT1T00345.htm

自党の政策の具現化を目指す推薦候補を立てられず、地元県連に対し、「節度ある慎重な行動」を要求するような政権与党などあり得るだろうか?
琉球日報が伝える知事選の立候補者の状況は次の通りである。

任期満了に伴う第11回県知事選が11日告示され、届け出順に無所属現職の仲井真弘多(71)=自民県連、公明推薦=、無所属新人で前宜野湾市長の伊波洋一(58)=社民、共産、社大推薦=、無所属新人で政治団体「幸福実現党」の金城竜郎(46)の3氏が立候補を届け出た。
仲井真、伊波の両氏が事実上の一騎打ちを展開する。日米間の懸案の米軍普天間飛行場返還・移設問題への対応や、沖縄振興計画の終了後の新たな制度設計といった重要争点を抱え、21世紀前半の沖縄の針路を決定付ける選挙となる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101112-00000000-ryu-oki

泡沫的な幸福実現党はともかく、事実上の一騎打ちとされる現職の仲井真氏も対抗馬の伊波氏も、菅内閣の基本点である「普天間基地の日米合意」を容認していない。
いずれの候補者が当選しても、菅政権が暗礁に直面するのは明白であるが、自主投票で済ませようとしている。
単に一地方の首長選というに留まらず、国政上の重要課題を内包した選挙であることは言うまでもない。
結局、1年余の間にわれわれが学んだことは、民主党という政党の無責任さであり、政権担当能力の欠如であった。
自分の不明を恥じるが、そう言って黙っているわけにもいかない。ささやかながら、声を上げ続けよう。

このことは、尖閣諸島でのの中国漁船衝突事故にも端的に表れている。
一連の動きを見ていると、菅内閣の閣僚には政権を担っているという自覚と責任感があるようには見えないのだ。
政権という紛れもない権力を持っている側は、批判に対しては謙虚にあるべきだろう。
しかし、奇妙なレトリックを駆使して、その場を切り抜けようとする。
特に、弁論の技術に自信があるらしい仙谷官房長官や滑舌で優位に立とうとする蓮舫行政刷新担当大臣に顕著である。
要するに、陳謝している時でも心から反省しているわけではなく、その場しのぎの対応である。
その場を優位に切り抜ければいいという風である。

両氏に代表される菅内閣の問題性については、このブログでも、すでに何度か指摘してきた。
⇒2010年11月11日 (木):ビデオ流出の正義と責任はどこに
⇒2010年10月23日 (土):仙谷健忘長官の“真摯な“答弁
⇒2010年10月21日 (木):仙谷官房長官の弁論技術
⇒2010年10月19日 (火):なぜビデオを出さないのか?
⇒2010年10月18日 (月):危うい菅内閣(続)
⇒2010年10月11日 (月):蓮舫氏の大臣適格性を問う
⇒2010年10月 3日 (日):尖閣問題に対する蓮舫大臣の強弁
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?

政治評論家田崎史郎氏も次のように言っている。

国会議員、とりわけ民主党政権の閣僚はどうして素直に謝らないのだろうか。官房長官・仙谷由人にしても、行政刷新担当相・蓮舫にしても――。
・・・・・・
「柳腰」発言はすぐに、「言葉の使い方を誤った」と言ってしまえば済んだ話だ。ここでつまずかなければ、仙谷が追及の矢面に立たずに済んだだろう。仙谷が首相・菅直人に代わって、集中砲火を浴びようとしたなら別だが、そこまでの意図があったとは思えない。
蓮舫の対応にもがっかりした。「現代ビジネス」のコラムで、『VOGUE NIPPON』11月号に掲載された国会内での写真について説明し、次のように締めくくっている。
「記事の内容は私の政治活動、政治信条に関するものであり、基本的に問題はないと考えますが、結果として誤解を与える懸念があるとすれば、全く本意ではありませんので、率直にお詫びさせていただきたいと思います」
蓮舫のホームページからこのコーナーに飛ぶように設定されているので、公式見解なのだろう。「誤解を与えたとすれば、全く本意ではないため訂正させていただく」という言い回しは9月14日、尖閣諸島について「領土問題」と発言した時にもホームページのコラムで行っている。
「…とすれば」という表現を付けると、この人は本当に謝っていないんだな、と受けとめられてしまう。事業仕分けの時のように切れ味鋭くスパッと謝った方が良かった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101025-00000001-gendaibiz-pol

多くの人がこのような強弁もしくは詭弁が、無責任性を背景としていると感じているだろう。
産経新聞も阿比留瑠比の署名記事で、次のように書いている。

尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をきっかけに仙谷由人官房長官の詭弁(きべん)と独善に磨きがかかってきた。事件に関する「厳秘」資料を不用意に広げて衆院第1委員室で撮影されると、正当な取材活動を「盗撮」呼ばわりした揚げ句、今度は写真取材の規制強化に意気込むとは、呆れてモノも言えない。
「由々しき事件だ。徹底的に調べていただかないといけない。私の刑事事件経験を含めた常識からいっても、その広さと深さの想像がつかない…」
仙谷氏は10日、ビデオ映像流出を認めた海上保安官に対し、逮捕もされていないのにこう決めつけ、その悪質性を強調した。
さすが「健忘症」を自認するだけのことはある。民主党の小沢一郎元代表の強制起訴が決まった10月4日、「起訴されても有罪判決が確定するまでは被告人は推定無罪の立場だ。その原則だけは考えなければならない」と説いたことをすっかりお忘れのようだ。
仙谷氏は、映像流出の責任論が海保を所管する馬淵澄夫国土交通相に向かうと突如として「政治職と執行職のトップは責任のあり方が違う」と珍妙なロジックを持ち出した。
・・・・・・
焦りの表れなのかもしれないが、弁護士歴を誇り、かねて法律の蘊蓄(うんちく)を語ってきた割に、この反論の論理性は乏しい。
とんちんかんなのは仙谷氏だけではない。菅直人首相は保安官が名乗り出た10日夜、慌てて各省庁の事務次官を首相官邸に集め、再発防止の徹底を訴えた。
「事務次官会議の廃止」を民主党政権の功績だと誇ってきたのは首相ではなかったのか。「へそが茶を沸かす」という言葉があるが、笑えない喜劇に付き合わされるのはもっと辛い。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101112/plc1011122341025-c.htm

仙谷官房長官の発言の背景には、次のような認識がある。

仙谷氏はこの中で「古くから中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」と歴史を説きおこし、「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」と中国の文化的優位性を強調した。
さらに「歴史の俎上(そじょう)に載せれば、そんなに中国のことを(悪く)言うべきではない」と枝野発言を否定。
「(中国は)清朝の末期から先進国というか英米の帝国主義に領土をむしりとられてというと言い過ぎかもしれないが、割譲されて民族としても国家としても大変、つらい思いをしてきた歴史がある」と中国の近代史に同情してみせた。
そして「返す刀」で日本の戦争責任論に触れ、「日本も後発帝国主義として参加して、戦略および侵略的行為によって迷惑をかけていることも、被害をもたらしていることも間違いない」と日本の侵略を強調して中国を擁護した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101004/plc1010042317014-c.htm

この歴史認識については、私も一部共有するものではあるが、それが現在の政治的・外交的課題への適用ということになると、とても納得できるものではない。
聖徳太子の実在性についてはいろいろ議論があるようだが、聖徳太子に仮託して、中国の冊封体制からの脱却を企図した先人の知恵と気概と努力を思うべきだろう。

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2010年11月12日 (金)

健康長寿の願い

世界の先進国の中でも、日本は男女共に平均寿命が最も高くなっている。
1610
図の左端は、1950年、すなわち敗戦後5年の時点である。
男性は58歳程度、女性は62歳未満であった。
爾来、平均寿命は一貫して伸び続け、60年を経た2009年には、男性が79.59歳、女性が86.44歳にまでなった。
ちなみに、平均寿命とは、生まれたばかりの赤ちゃんの平均余命である。

長寿という言葉があるが、長生きはとりあえずハッピーなことである。
しかし、望むらくは健康で長生きしたいというのは万人の願いであろう。
ピンピンコロリというように、死ぬまでは元気でいたい。
しかし、リハビリ専門病院の盛況をみれば元気に生きるというのは難しい課題である。
Photo_3
上図は、数年前に静岡県が出稿した新聞広告である。
先端産業の集積をシリコンバレーにちなんで、○○バレーという言い方をする。
静岡県では、東・中・西で次のような産業集積を構想している。
Photo_2
「静岡県IR資料」(2006)

県東部の長泉町に県立がんセンターが設置されたのを機会に、ファルマバレー・プロジェクトというものが推進されている。
ファルマというのは、pharmacyすなわちクスリのことである。
静岡県東部地域は、全国で有数の製薬の工業出荷額を持っている。
おそらくは、富士山麓の豊富な水資源によるものだろう。
がんセンターの先進的な医療を製薬業のさらなる発展に結びつけられないか。
さらには製薬だけでなく、健康増進に与する産業の集積を図ろう。

そういう発想で、温泉施設などの観光業も含めて、健康産業の集積を図る。
そのことによって、世界の健康長寿化に寄与しようというのが、ファルマバレー・プロジェクトの狙いだということになる。

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2010年11月11日 (木)

ビデオ流出の正義と責任はどこに

尖閣ビデオのYouTubeへの流出元が、海上保安庁の職員だったらしい。
与野党やマスコミの間では、この「犯人」および「ビデオ」の扱いをめぐってさまざまな意見が交錯している。
私の意見はこれまでも述べてきたように、単純であり、ビデオを広く公開することが「正義」であり、公開を渋ってきた政府の意思決定者(特定するならば、菅首相および仙谷官房長官)に第一の責任がある、ということに尽きる。

Ws000000_2ビデオ流出の経緯は表の通りである。
論点は多様だが、中心は、海保職員の行為が国家公務員法の守秘義務違反にあたるかどうか、である。
構成要件的には、このビデオが「職務上知り得た秘密」に該当することが必要であり、最高裁判例では、国家機関が指定しただけでは不十分で、「①世間に知られていないこと、②秘密として実質的に保護する価値があること」の2つの要件が満たされなければならない、とされる。

私は、②に関して、秘密として保護する価値があるどころか、秘密を保とうとして重大な国益が毀損されつつあると考える。
守秘すべき理由は何か?
当初の説明は、「証拠物件だから」というものであった。
つまり、刑事訴訟法の手続き上、公開するのは具合が悪いということである。

それも容疑者を起訴するということが前提のはずである。
中国人船長を釈放してしまった現在では、実質的な意味を持たない。
「外交上中国に配慮する必要がある」という理由はどうか?
どうやらこれがホンネということのようだ。

しかし、中国に配慮することと「おもねる」ということは違う。
政府は、「正義」よりも上位に、配慮を置いているのではないか。
その結果得られる果実は何か?

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』早川書房(1005)という本が書店の平台を席巻している、と聞いたのは大分前のことである。
NHK教育TVで放送された「ハーバード白熱教室」という番組が火付け役のようである。
マイケル・サンデル教授ならば、この問題をどう捌くであろうか。
惹句では、次のように問うている。

1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。

百歩譲って、海保職員の行為が国家公務員法に違反するものだとしよう。
それでも、その違法性は可罰的ではないと考える。
ビデオを多くの人が見て、政府がなぜ公開を渋っていたかを考えることができる状態の方がはるかに、社会にとっては良いだろう。

それにしても、もっと早く公開していれば、こんな騒ぎにならなかったはずである。
こともあろうに、仙谷官房長官は、政治家の責任と行政職の責任は別だとして、責任はもっぱら海上保安庁などにあるかのような物言いである。
都合のいい時だけ「政治主導」を振りかざす。何とも気楽なものである。

馬渕国交大臣の責任も云々されているようだが、トカゲの尻尾切り(失礼)で収束させようとしたら大間違いというべきであろう。
馬渕大臣には、八ツ場ダムの対応をしっかりしてもらいたい。「脱ダム」はムダな公共投資見直しの「一丁目一番地」だったはずである。
もし「脱ダム」が間違っていたとするならば、再度総選挙をやりなおすべきである。

「尖閣問題での政府の対応はベストだった」と語った蓮舫大臣は、流出ビデオを見てもなお、前言を修正する気はないのだろうか?
⇒2010年10月 3日 (日):尖閣問題に対する蓮舫大臣の強弁
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」という古典的な言葉もある。

政権交代はしたものの、「(国)民は依らしむべし、知らしむべからず」を地で行くような政府が出現しようとは。
この期に及んでも、政府に異を唱える(つまり脱藩の)志ある民主党の議員はいないのだろうか?

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2010年11月10日 (水)

いじめと自殺の因果関係/因果関係論(7)

群馬県の桐生の市立小学校の女子生徒が自殺した問題で、学校はようやくいじめの事実があったことを認めた。
Photo
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010110990071601.html
学校側はいじめを認めてこなかったが、調査を経て一転して認めることになったわけである。
認めざるを得ない状況になってやっと認める。
いつものパターンである。
いじめの背景として児童らが担任の指導に従わないなど「学級崩壊状態」にあったことも明らかになった。

しかし、看過してはならないのは、自殺との因果関係については、「自殺を予測することはできず、直接の原因はわからなかった」と認めなかったことである。。
どうしてこうなんだろう。
「自殺を予測」なんかできるはずがない。
予測できるものならば、誰だって止めるだろう。
結果として、世の中から自殺という現象がなくなるだろう。

自殺に限らず、世の中の事象で、「直接の因果関係」が明確なことなどむしろ例外ではないか。
「直接の因果関係」がある事象は、むしろ1セットと考える方がいい。

リモコンのボタンを押すと、それが原因となってテレビ放送の開始という結果をもたらす。しかし、通常、私たちは、この因果連鎖を「テレビをつける」という単一の行為として記述する。では、どのような時にこの行為を二つに分割し、「リモコンのボタンを押すと、テレビがつく」というような因果関係として記述するのだろうか。
それは、リモコンのボタンを押しても、テレビがつかず、「リモコンのボタンを押す」という出来事と「テレビがつく」という出来事の結合が、必然的ではない時である。すなわち、私たちが「リモコンのボタンを押すと、テレビがつく」というような因果的表現を用いるのは、リモコンにまだ慣れていない時やリモコンの故障を修理した後など、不確定性の楔が、出来事を二つに分割している間だけである。

『なぜ因果関係は必然的ではないのか』
http://www.nagaitosiya.com/a/uncertain_connection.html

要するに、この学校の教師たちは、何も言っていないのに等しい。

因果関係を把握する場合は、考えられる要因を細大漏らさずあげて、その中から関係の大きなものと軽微なものをえり分けていく。
つまり、「疑わしい要因は、まず疑ってみる」姿勢を持つのが常識である。
でなければ、QCの7つ道具といわれる魚の骨様の特性要因図など必要とされないだろう。

あなたが脳梗塞になった原因は何か?
一般論でなく、私の場合に限定して、発症の直接的な原因を問われても、明確に答えられる人は、医者でもいないだろう。
確かに、生活習慣病、いわゆるメタボリックシンドローム気味ではあった。
しかし、厳密に言えば、基準には「該当せず」だった。
ストレスももちろん人並みにあったと思う。
しかし、そんなもの他人と比べようがないではないか。
C6c3c0adcdd7b0f8bfde1280
http://homepage1.nifty.com/QCC/2009TokuseiY/%93%C1%90%AB%97v%88%F6%90%7D.pdf
上の「魚の骨」は、健康長寿という結果を得るための要因を整理したものである。
このうち、結果に対して、相当の影響力を持つものを抽出した場合、その因果関係を相当因果関係という。

相当因果関係とは、「社会生活上の経験に照らして、通常その行為からその結果が発生することが相当だとみられる関係」(因果経路の通常性)といわれる。
Wikipedia100803最終更新

概念的には分かるとしても、過労死などの裁判例に見るように、現実的な判断は難しい。
小学児童の場合も、明確な因果関係を示すのはできなだろう。
そのことを織り込んで、生徒を指導するのがプロの教師というものだろうが、学級崩壊の状況をオープンにできないような教師やそれを放置しておくような校長にはムリというものだろう。

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2010年11月 9日 (火)

政府は、誰に対し、何を謝罪するのか?

菅首相は、尖閣ビデオが流出したことについて「政府としては管理不行き届きであり、おわび申し上げたい」と陳謝した。
仙谷由人官房長官も「管理監督に当たる立場にある者としては、申し訳ない思いでおわびしたい」と述べた。
また、官房長官は、衆院予算委員会で、国家公務員法の罰則が軽すぎる、抑止力になっていない旨の発言をした。

もし、今回の件をきっかけとして、国家公務員法の罰則が強化されるとするならば、社会進歩とまったく逆行するものと言わざるをえないだろう。
今回のビデオ流出者は、単なる愉快犯やいたずらでやったのではあるまい。
いわば確信犯である。
確信をもって行った行為が、罰則を強化することによって防げるものだろうか。

仙谷官房長官は学生運動の経験者だという。
はたして若き日に問おうとしたことはそういうことだったのだろうか?
単なる若気の出来心だったのだろうか?
としたら、一貫してはた迷惑な行為であるとせざるを得ない。

そもそも、菅首相は、「管理不行き届き」を詫びる前に、ビデオを公開してこなかった判断ミスを詫びるべきではないのか。
国会議員に限定公開したことの結果はどうだったか?
ビデオを視聴し得た議員たちの感想を取りまとめた表がある。
Photo_2
http://blog.livedoor.jp/hetmk73/archives/51725816.html

コメントは人それぞれであり、コメントだけからは統一したイメージが浮かんでこない。
つまり、疑心暗鬼を招くだけだ。

中井洽衆院予算委員長は、国会でビデオを見た後、自民党などが求めているビデオ映像の一般公開について、「国政調査権という特別の権限をもって取り寄せたのだから、国会に提出されたビデオを一般公開することはまったくルール違反になる」と言ったという。
確かに、国政調査権という特別の権限に基づいて視聴できたものだから、一般には見せられないということもある場合もあろう。
しかし、それも内容によりけりである。
自分が見た結果、より広く公開すべきだとは思わなかったのだろうか?

中井氏は、流出ビデオを見た後では、次のようにのべている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101105/stt1011051212011-n1.htm

本物の証拠品が流出したのなら、国会は極めて抑制的に制限的にビデオを見たわけで、それがまったく意味をなさなくなってしまう。

自分が特権的に見たことが価値のないものになったことになってご機嫌ナナメの様子だが、もともと情報は広く公開されるべきものである。

石原慎太郎都知事は次のように語っている。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101106k0000m010100000c.html

「冗談じゃない。実態を見てもらいたい」という内部告発だろうが、結構なことじゃないか。

これが普通の感覚というものだろう。
民主党政権は内部告発も許さない統制国家をめざしているのだろうか。
それは、私を含め、政権交代を選択した国民の意思と著しくかけ離れているだろう。

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2010年11月 8日 (月)

藤原京はなぜ捨てられたのか?/やまとの謎(6)

奈良時代というのは、通常710年の平城京遷都以後のことを指す。
それ以前は、現在の橿原市のあたりにあった藤原京を都としていた。
この時代の大局観を持つために、大づかみに年表と地図をみてみよう。
Photo
別冊宝島『古事記と日本書紀』宝島社(1001)

上表の710年つまり1300年前に1つの区切りがあったとしていいだろう。
しかし、694年に藤原京に「遷都」してわずか14年後のことである。
藤原京は、わが国で初めての恒久的な都を意図して造営したいわれる。
⇒2008年1月 2日 (水):藤原京の造営
⇒2008年1月 3日 (木):藤原京の規模
⇒2008年1月 4日 (金):藤原京の立地

藤原京は、天の香具山、畝傍山、耳成山の大和三山に囲まれた藤原宮を中心とする。
蘇我氏や物部氏などが政争を繰り広げた飛鳥とも近い。
壬申の乱に勝利した天武天皇は、大津から飛鳥に戻った。
そして、一代限りの「宮」とは異なる「京」の建設を構想したといわれる。

藤原京に比べれば、平城京は縁の薄い土地だったといえる。
藤原京は、なぜ性急にすてられたのか?
あるいは、平城遷都をしなければならない理由はなんだったのか?

2

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2010年11月 7日 (日)

「おひとりさま」志向と「カセギとツトメ」

「おひとりさま」志向は、男女を問わないようであるが、特に、女性に顕著のようである。「おひとりさま」人気は  何によるか。
以下、「おひとりさま」を支持する理由。
http://news.nifty.com/cs/item/detail/allabout-20101103-20101103-3/1.htm

■第5位:「いろいろな面倒なことが、いつのまにかひとりでできるようになっていた!」
部屋の電球が切れてもサッサと取り替えられるし、夜中に怖い虫が出没してもなんとか対処可能。簡単なものならイケアの家具の組み立てだって、ドライバー片手になんとか仕上げることができるようになっているのが「おひとりさま」。
■第4位:「生活が乱れても誰にも注意されない!」
お風呂をパスしたままの就寝、深夜のネット利用やDVD鑑賞、友だちとの家飲みや朝寝坊など、たとえダラダラ三昧の時間を過ごしたとしても「だらしない!」「いい加減にしなさい!」などと叱責されることがないのが「おひとりさま」ライフのお気楽なところ。
■第3位:「好きなものを好きなときに食べられる!」
好きなときに好きなものを好きなだけ食べられるって、実はとっても幸せなことだったりしませんか? もちろん栄養のバランスは考えなくてはならないものの、なんだかんだいっても「食べたいなー」と思ったときに食べることが、カラダも心も満足する秘訣なんじゃないか。
■第2位:友だちのつながりが、広く深くなる!
今回、ランキングを作成するにあたり、たくさんの「おひとりさま」女子にも話を聞いてみたのですが、みなさんが口にしていたのは“友だちについて”でした。というのも、「おひとりさま」に寂しさを感じるとき、それは「一緒に共有できる人が近くにいないとき」という声が圧倒的だったからです。だからといって、パートナーがいないことを嘆くわけではないのが今どきのステキな「おひとりさま」。旅行に行って美しい景色を見たときに「キレイだね」って言える相手、おいしいお料理に出会ったときに「おいしいね」って言える相手は、恋人や夫じゃなくてもいいんです!
■第1位:好きなことに打ちこめるとき!
「おひとりさま」は生活上のすべてのジャッジが自分。お金の使い方も時間の過ごし方も、すべてが自由なんです。だからこそ、しっかりしていないとどこまでもグダグダになってしまう危険性をはらんでいる反面、好きなことには好きなだけ打ちこむことができます。

確かに、他人に拘束されないでジャッジが自分だけでできるというのは快いことだろう。
しかし、社会で生きている以上、他人と係りなしではいられない。
イヤな奴とも適当に折り合いをつけていかざるを得ないのである。

多摩大学学長の寺島実郎さんが、大人として生きていくことの条件として、「カセギ」と「ツトメ」を挙げている。
寺島さんは、いわゆる団塊世代であるが、自分たちの世代に顕著な特徴として、経済主義と私生活主義を挙げ、その陥穽と弱さを克服する方向性を次のように述べている。
http://www2.shizuokanet.ne.jp/sabu/back/060501.html

団塊の世代が「笠の雪」となって後世世代にのしかかるのか、社会を支える側にまわるのかによって高齢化社会の様相が変わるだろう。団塊の世代が、地域社会の文化、教育、福祉から地球環境まで、もう一度眼を向けなおして、自らの関心と適性を判断して、何らかのかたちで公共という分野で汗を流す方向に向かうならば、高齢化社会は暗い展望に引き込まれる必要はない。カセギ(経済的安定)とツトメ(社会貢献)は大人が大人である要件であり、そのことを担う団塊の世代の最後の転機における覚悟が問われている。

高齢化社会に向かって、公共のあり方がより重要な課題になってくる。
「おひとりさま」志向も理解できなくはないが、社会人として「カセギ」だけでは半人前で、「ツトメ」を果たしてこそ一人前であることに思いを致したい。

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2010年11月 6日 (土)

合計特殊出生率と「おひとりさま」志向

わが国の人口減少トレンドにもっとも大きく影響しているのは、合計特殊出生率の長期低落傾向である。
合計特殊出生率とは、下記のような概念である(Wikipedia101003最終更新)。

合計特殊出生率(ごうけいとくしゅしゅっしょうりつ)とは、人口統計上の指標で、一人の女性が一生に産む子供の平均数を示す。この指標によって、異なる時代、異なる集団間の出生による人口の自然増減を比較・評価することができる。粗再生産率とも呼ばれる。

わが国では、終戦直後の出産解禁現象により生じた第1次ベビーブームの頃には期間合計特殊出生率は4.5以上の高い値を示したが、以後漸減し、1975年には2を割り込むようになった。
1989年には1966年の丙午の数値1.58を下回る1.57ショックが起こり、少子化問題が深刻化した。
さらに、2005年には1.26にまで減少した。平成大不況で就職難のあおりを受けた世代がちょうど結婚や出産適齢期であったこと、景気が著しく悪く将来の生活に対する不安も大きかったことなどが理由と考えられる。
しかし、30代後半である団塊ジュニア世代の駆け込み出産や景気回復などの理由により、2006年以降再び上昇し始めた。
直近では、1.37程度である。

世界の代表的な先進諸国の状況は下図の通りである。
1550
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1550.html

各国ともに、長期的な人口転換構造パターンを示しているが、日本と韓国が他国と比較して際立っている。
それは出産に対する下図のような意識の差を反映したものである。
1550a_2 
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1550.html

意識を規定する要因は多様であろうが、次の記事が目に入った。

総務省が発表しているデータを見ると、30~34歳の女子の未婚率は47.7%、35~39歳は30.9%。つまり、30代前半は約2人に1人、30代後半は約3人に1人が独身ってこと。
http://news.nifty.com/cs/item/detail/allabout-20101103-20101103-3/1.htm

つまりは、「おひとりさま」志向が強いということだ。
出産に対する意識が低くなるのは当然ともいえよう。

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2010年11月 5日 (金)

尖閣ビデオ流出の快(?)

官邸がなぜか一般公開を拒んでいた「尖閣ビデオ」が動画サイト(YouTube)に流出してしまった。
この事態に、政府は周章狼狽の態のようである。

政府は5日、中国漁船衝突事件の状況を撮影したとみられる映像がインターネット上に流出した問題について「捜査の観点からも、予期せぬ由々しき事態だ」(仙谷由人官房長官)として、徹底した調査で流出ルートの解明を図るとともに情報管理に万全を図る方針だ。
仙谷氏は5日午前の記者会見で「真偽を調査し、必要ならば司法当局の捜査とする判断もしなければならない」と強調。「流出だとすれば、相当大きなメスを入れる改革が、あらゆるところで必要だ」と述べた。
……
蓮舫行政刷新相は国会審議への影響について「直観的に影響は小さくないと思う」と懸念を表明した。

http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20101105045.html

情報管理を徹底することは当然としても、果たしてメスを入れるべきは、隠蔽体質の官邸か、それとも真実を知りたいと願う国民の気持ちに応えた流出元か?
流出元は、現時点ではハッキリしていない。
しかし、これだけインターネットが行きわたっている社会で、一部の国会議員だけに、大幅な編集を加えたものを見せるだけ、といった措置がいつまでも通用するわけがない。
そんな判断力もない人たちが、高度なインテリジェンスを要求される外交に携わっていることの方が問題である。
蓮舫大臣の「懸念」の鉾先も的外れというべきだろう。
⇒2010年10月 3日 (日):尖閣問題に対する蓮舫大臣の強弁

私はもともと全面公開すべきだと思っていた。
「流出」という形となったのは遺憾というか、残念なことだが、そもそもは政府自ら公開すべきものであったと思う。
⇒2010年9月25日 (土):尖閣諸島事件の船長を釈放
⇒2010年10月19日 (火):なぜビデオを出さないのか?
⇒2010年10月28日 (木):尖閣ビデオ出し渋りの怪
⇒2010年10月29日 (金):まさか証拠改竄? 出し渋りのビデオ 

したがって、何者かによる今回の事件を「快」とするものである。
犯人探しに躍起になるよりも、長期的・戦略的な国益に思いを致すべきであろう。

ところで、YouTubeの映像はどんなものだったのだろう。
残念ながら、オリジナル映像は削除されてしまっているようである。
しかし、それを写した映像がTV等でも放映されており、もはやどうしようもない。
流出ニュースを伝えるTV映像は、たとえば以下のサイト等でみることができる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101105/crm1011051110015-n1.htm

また、流出映像のコピーと思われるものは以下の通りである。
緊迫感からして、実写に違いない。
http://www.youtube.com/watch?v=PO3icKluj7o

結局、政府の対応は後手に回りっぱなしである。
検察庁や海上保安庁などの現場をないがしろにしたことのツケは自ら負担すべきだろう。
菅首相はやはり続投すべきではなかったと言わざるをえない。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」
⇒2010年10月17日 (日):危うい菅内閣
⇒2010年10月18日 (月):危うい菅内閣(続)

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2010年11月 4日 (木)

戦後日本における人口転換

わが国の社会は、有史以来はじめての人口減少現象を示している。
⇒2010年10月22日 (金):国勢調査と人口減少社会

とりわけ、第二次大戦(東亜太・平洋戦争)後の増減は激しかった。

Photo_2
今後50年の間、ピークを示す2005年を中心として、総人口はおよそ対称形を成して推移するものと予測されている。
すなわち、2005年の50年前の1955年の総人口は約8300万人であったが、2005年には1億2600万人強となり、2055年に向けて再び8800万人程度まで減少する。
約4000万人の人口の増減があるのである。
一口に4000万人というが、カナダの総人口を上回る数であり、その影響は大きい。
戦後の人口変化の要因を図示したのが次図である。
Photo_7
戦争が終わり、第1次ベビーブームが起きた。いわゆる団塊の世代である。
団塊世代が子供を作る年齢に達して第二次ベビーブームとなった。
出生してくる子供の数は、基本的に<親の数>×<1組の親から生まれる子供の数>できまる。
1人の女性が生涯に何人の子供を産むかを示す数値が、合計特殊出生率と呼ばれる数値である。
言うまでもなく、合計特殊出生率が、<2.0+α>でなければ人口はいずれ減少する。
1966年は丙午の干支の年であった。
井原西鶴の『好色五人女』で有名となった八百屋お七が丙午の生まれだといわれていたことから、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮めるという類の迷信が信じられるようになったといわれる。
その影響が現代社会にも生きていたわけである。
1966年は別としても、合計特殊出生率はほぼ一貫して漸減傾向にある。
要因はいろいろ言われるが、いわゆる成熟社会の1つの現象形態とみることができる。

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2010年11月 3日 (水)

大和君、お誕生おめでとう!/偶然か? それとも・・・⑤

久しぶりに、「偶然か?」と思う出来事に遭遇した。
今までに、そういう機会がある度にブログに残してきた。
⇒2007年8月21日 (火):偶然か? それとも・・・
⇒2007年8月27日 (月):偶然か? それとも・・・②大津皇子
⇒2008年5月27日 (火):偶然か? それとも……③『雲の墓標』
⇒2008年7月22日 (火):偶然か? それとも…④幻視する人々

先週、大和の地に、脳梗塞の発症後初めての小旅行をした。
平城遷都1300年という年であり、体長は万全でないとしても、何としても今年中に、という望みをかなえることができた。
その機会に、かねてから疑問に感じていたことを断片的に「やまとの謎」と題して書き留め始めたところであった。

昨日、久しぶりに旧知の若い知人と食事をする機会があった。
彼に男児が誕生したと聞いて、その祝意を兼ねてである。
いささか発語が不自由な身ゆえ、談論風発というわけにはいかないが、折り目正しい若者と一緒に楽しい時間を過ごすことができた。
自然に、彼の赤ちゃんの名前の話題になった。
3300グラム位で誕生したとのことであり、今では大きい赤ちゃんの方だろう。

名前を聞くと、ちょっとはにかみながら、「『大和』にしました」という。
彼の名前から、「和」の一字をとったのだそうだ。
「和」の字を含む名前になると余り候補がなくて、といささか弁解口調であったが、そのことが「大和」という名前に込めた彼の期待を物語っていた。
名前を決めるとき、おそらくは、父親としての誇りと責任感を同時に実感したであろう。

名づけ(ネーミング)には、親としての願いが込められる。
それは、世相を反映することもあり、普遍の価値の希求のこともある。
⇒2010年8月21日 (土):family name
まさに、ネーミングにおける、「不易と流行」である。

「大和」というのは、お世辞抜きに良い名前だと思う。
日本人としてのアイデンティティそのものであり、力強さを感じさせる。
戦艦「大和」にも同じような期待が込められていたのであろうが、今の時代には宇宙戦艦「ヤマト」のイメージの方が大きいかも知れない。

余り物騒な世の中は御免蒙りたいが、尖閣諸島やら北方四島やら、わが国固有の領土とされてきたものがきな臭い。
私は、原理論的には改憲派である。
現行憲法の制定の経緯や日本語としての格調などに問題があると思うし、「不磨の大典」だとも思わない。

しかし、情勢論としてみた場合にどうか。
現時点で、日本国憲法は世界に誇り得る普遍的価値を体現していると考える。
江藤淳などが唱えた改憲論の主張は理解するが、政策論として加藤周一らの護憲論に与する。
毅然として近隣の大国に対処しつつ、日本国憲法の有する普遍的価値を実現していく方策を探るべきではないか。

話は逸れたが、「大和」というネーミングを聞いて、清々しい気持ちとなった。

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2010年11月 2日 (火)

ヤマトタケル/やまとの謎(5)

日本古代史において、ヤマトタケルは最も人気の高いキャラクターだといえよう。
表記は、以下のように史料により異なっている(Wikipedia101011最終更新)。

200pxemperor_family_tree815『日本書紀』では日本武尊、『古事記』では倭建命に作り、またの名を日本童男・倭男具那命(やまとをぐな)ともいった。また、『尾張国風土記』逸文と『古語拾遺』では日本武命、『常陸国風土記』では倭武天皇、『阿波国風土記』逸文では倭健天皇(または倭健天皇命)に作る。

つまり、倭と日本である。
共にヤマトと読ませている。
『日本書紀』と『古事記』に共に登場するが、『日本書紀』では景行天皇の第二皇子、『古事記』では第三皇子である点が異なっている。
左図は、最近刊行が始まった朝日新聞出版の週刊「新マンガ日本史」の第01巻が『ヤマトタケル』である。
現代でも高い人気を保っていることを示しているのではないかと思う。

上掲書により、『日本書紀』と『古事記』における差異をみると、主要な点は以下の通りである。
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『古事記』の倭建命は、一言で言えば「荒ぶる人物」であるのに対し、『日本書紀』の日本武尊は「優等生」的である。
『古事記』の方が原型で、『日本書紀』は正史としての編纂の手がより加わったと考えられている。

遠征ルートについても下図のような差異がある。
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2010年11月 1日 (月)

倭から日本へ/やまとの謎(4)

古代において、日本は倭と呼ばれていたことはよく知られている。
邪馬台国論争でお馴染みの「魏志倭人伝」は、中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称であり、日本において一般に知られる通称である。
江戸時代の漢学者の中で『三国志』という書名を用いず『魏志』『蜀志』『呉志』などと称する慣習があったため、この通称が用いられた。
正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」である。

倭の由来や意味などについては諸説あるが、日本という国号が使われたのは大宝律令からであるとされる。
現在、日中関係のあり方が問われているが、古代においても同様であったようだ。
大国唐の冊封体制下から、いかにして独立性を高めるかが課題であった。
そのために、律令と年号の整備が行われた。

年号については、「大化」がよく知られているが、問題視する研究者も少なくない。
⇒2008年3月27日 (木):大化改新…①概観
⇒2008年3月31日 (月):大化改新…④否定論

年号が連続的に使われるのは、701年の「大宝」からである。
同じく律令についても、この年に「大宝律令」が整備された。
「701年」は、日本が独立を果たす上での大きなマイルストーンであったということができる。
ところが、中国側の認識はこれと違っていた。
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徹底図解飛鳥・奈良』 新星出版社 (2008/12)
「認識のズレ」も歴史が長いという他ない。
文武天皇の時代であり、この年、倭から日本へ国号が変わったとされる。
しかし、その事情は必ずしも明らかであるとは言えないようだ。
そしてなぜか、倭も日本も「やまと」と訓じる場合があるのである。

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