小沢氏の「検察審議決無効」提訴
民主党の小沢一郎氏が、東京第5検察審査会の「起訴議決」を無効として、議決の取り消しや検察官役となる指定弁護士の選任手続きの差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。
私は、小沢氏に対する議決に関してはいくつかの点で疑問に思うものであり、小沢氏の提訴も理解できるものだ。
⇒2010年10月 9日 (土):検察審査会/理念と現実の乖離(4)
実際、起訴されるということは、第三者的に法廷で白黒をはっきりさせればいい、というものではなく、当事者にとっては起訴されたという事実だけで現実に不利益を被ることであることを出発点として考えるべきであろう。
この不利益は、勝訴して白がハッキリしたからといって決して帳消しにされるものではない。
だから、起訴すること自体、明瞭な根拠に基づくことが必要である。
しかし、この提訴自体を、遺憾だとする意見が多いようだ。
例えば、産経新聞101016日の「視点」というコラムは、森浩の署名で次のように書いている。
……
検審の議決については最高裁が昭和41年に「行政処分の対象外」とする判例を示した。議決は行政処分ではないとする見解だ。
にもかかわらず、提訴に踏み切った背景には、昨年5月の改正検察審査会法施行で法的な強制力を持つ「強制起訴」制度が導入されたことがある。弁護団は「強制起訴は直接個人の権利侵害になり、行政処分にあたる。(最高裁判例は)今日では妥当しない」と主張する。ベテラン裁判官も「41年の判例の前提は変わっている。弁護団の主張も理解できなくはない」との見方を示す。
それでも行政訴訟で決着をつけようとする姿勢は筋違いといえる。別のベテラン裁判官は「刑事事件なら刑事裁判で争うべきだ。行政訴訟はナンセンス」と批判する。
……
「潔白」を示したいのなら、強制起訴後に法廷の場でこそ全力を尽くすべきだ。
森氏の意見は、法廷の場で黒白をはっきりさせればいい。白であることを示したいなら、法廷闘争に全力を尽くせ、ということだ。
しかし、これは2つの点で誤りだと思う。
第一に、上述したように、起訴されたことだけで勝訴によって回復されることのないダメージを受けることを考慮にいれていないことである。
裁判は、生身の人間が行うものであり、単なる論理ゲームではない。
つまり不可逆過程であって、前後で非対称的だということだ。
足利事件の菅谷さんの例を持ち出すまでも無く、冤罪の被害者は冤罪が晴れただけでは救済されないマイナスを負ってしまうのだ。
第二に、上記とも関連するが、法廷の場で「全力を尽くす」ならば、他のことをする機会が大幅に減殺されてしまうことだ。
誰しも、最も優先すべきこと以外にやりたいことを持っている。
それに応じて自分の人生の時間のポートフォリオを組み立てる。
しばしばそれは不合理であるかも知れないが、それがその人の人生ということだろう。
検察が、勝訴の可能性が低いと判断する場合、不起訴処分にするということは、その意味で全く正しい判断である。
にもかかわらず、検察審査会制度が設けられ、強制起訴が可能になったのは、被害者等が不起訴に対してどうしても納得できない場合があるからであろう。
東京第5検察審査会は自ら規定して言う。
検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によって本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである。そして、嫌疑不十分として検察官が起訴に躊躇した場合に、いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度であると考えられる。
冷静に考えれば、これはおかしいと気づくはずだ。
もちろん、起訴された以上、法廷の場で全力を尽くすことは必要になろう。
しかし、強制起訴ということが行政処分にあたるかどうかはともかく、申立人の名前も隠されたままでこのような判断を可能にする検察審査会の制度は、早晩見直しを余儀なくされることになるのではないか。
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コメント
まったく同感です。「法廷の場で黒白をはっきりさせればいい。白であることを示したいなら、法廷闘争に全力を尽くせ、ということだ」というのはレトリック以外の何者でもありません。痴漢に疑われた人間に警察が「何もしてないのなら裁判所に出ればよい」と言われ、そのあと冤罪になるのと同じです。例え無罪になっても被害は計り知れません。
特に今回の場合は、実態が表に出ない審査会で、しかもその起訴立件者は少数(週刊誌によれば1名)だとのこと。検察審査会の制度は、早く見直しをしないとこの国はおかしくなる(もう十分におかしいが)。
投稿: リロン | 2010年10月19日 (火) 17時46分
リロン様
コメント有難うございます。
見えないところで不合理なことが行われるのは、暗黒社会への第一歩だと思います。
たとえ、思想的に反対の立場であっても、守るべきは守ることが必要でしょう。民主党は、人権派が多いのではないかと期待していたのですが・・・・・・
投稿: 夢幻亭 | 2010年10月24日 (日) 05時44分