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2010年10月 9日 (土)

検察審査会/理念と現実の乖離(4)

小沢一郎民主党元幹事長に対し、検察審査会が「起訴相当」の議決をしたことに関して、世論はおおむね尊重しているようだ。
各紙の社説も次のようだ。

小沢氏の資金管理団体の土地取引事件で、東京第五検察審査会は、小沢氏を政治資金規正法違反の罪で起訴すべきだと議決した。この20年近く、常に政治変動の中心にいた小沢氏は、近い将来、検察官役を務める弁護士によって起訴され、法廷で有罪・無罪を争うことになる。審査会は議決の要旨で、秘書に任せており一切かかわっていないとする小沢氏の説明について、「到底信用することができない」と述べた。疑惑発覚後、世の中の疑問に正面から答えようとせず、知らぬ存ぜぬで正面突破しようとした小沢氏の思惑は、まさに「世の中」の代表である審査員によって退けられたといえよう。
http://www.asahi.com/paper/editorial20101005.html#Edit1

第5検審が「起訴議決」をした理由は、状況証拠もふまえ客観的に判断したものだ。虚偽記載について小沢氏に報告したとする元秘書らの供述を信用できるとし、小沢氏と元秘書は「強い上下関係がある」と認定した。
……
民主党内からも小沢氏の議員辞職を求める意見が出ているのは当然だ。小沢氏が従わない場合は、除名処分や離党勧告などを行うのは最低限必要だ。
議決は検察審査会の役割に触れ、「国民の責任において法廷で黒白をつける」と強調した。検察の不十分な捜査に加え、国会の自浄能力の欠落が明白になったことを重く受け止めてほしい。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101005/crm1010050455004-n1.htm

往々にして意見が分かれる朝日と産経だが、共に検察審議会を「世の中」の代表として、その役割を高く評価している。
しかし、「世の中」の一員である私は、今回の検察審査会の議決に対しては問題があるのではないかと思うものだ。
⇒2010年10月 6日 (水):「推定無罪の原則」はどこへ行った?
⇒2010年10月 8日 (金):冤罪と推定無罪/「同じ」と「違う」(19)

もちろん、「世の中」には朝日や産経と異なる意見もあって、それに触れることができるのは、情報通信の発達のお陰である。

検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によって本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである。そして、嫌疑不十分として検察官が起訴に躊躇(ちゅうちょ)した場合に、いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度であると考えられる。
「国民は裁判所によって本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考え」!!!
目を疑いました。あわてて、憲法を見てみました。
第32条     何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第37条1項  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
憲法は、「裁判を受ける権利」(民事刑事とも)、とくに刑事で「公平、迅速、公開の裁判を受ける権利」を定めている。
つまり、個人は、裁判なしに迫害、追放、投獄など、権利侵害されることのないよう、自ら裁判を受ける権利がある、という意味だ。
決して、「国民は、他人を裁判所に突き出して、《本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう》」、そんな権利はありません。
こんな子供だましの、しかし恐ろしいこと極まりない憲法違反をもぐり込ませるとは、検察審査会メンバーが子供なのか、誘導教唆したヤツが護憲精神のかけらもない悪人なのか。

http://sun.ap.teacup.com/souun/3441.html#comment19292

検察審査会の制度は、「国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度」なのかどうか?
検察審査会法をもう一度見てみよう。

公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため(第1条1項)、検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項(第2条1項)を、告訴若しくは告発をした者、請求を待つて受理すべき事件についての請求をした者又は犯罪により害を被つた者(犯罪により害を被つた者が死亡した場合においては、その配偶者、直系の親族又は兄弟姉妹)の申立てがあるときは(第2条2項)、前項第1号(検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項)の審査を行わなければならない。

以上からすると、検察審査会の理念は次のように考えられる。
日本においては、裁判所へ公訴を提起(起訴)する権限は、原則として検察官が独占している(起訴独占主義)。
したがって、犯罪被害者等が特定の事件について、告訴を行うなど裁判がなされることを希望しても、検察官の判断により、不起訴・起訴猶予処分等になり公訴が提起されないことがある。
検察官が、不起訴判断をした場合に、その判断を不服とする者の求めに応じ、判断の妥当性を審査するのが、検察審査会の役割である。
申立ができるのは、告訴若しくは告発をした者、請求を待つて受理すべき事件についての請求をした者又は犯罪により害を被つた者等であって、検察官の恣意的な判断によって、被疑者が免罪され、犯罪被害者が泣き寝入りする事態を防ぐという役割を有する。

今回の事案の場合、申立人が「甲」という匿名であり、第2条2項のいずれなのかも判然としない。
果たして、告発者であろうか?
不起訴処分は、検察官の恣意的な判断によるものか?

現実には、上記の引用ブログも指摘しているように、検察審査会は、「国民は、他人を裁判所に突き出して、《本当に無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう》」制度だと自ら規定して、「起訴相当」を議決している。
ここにも理念と現実の乖離があるように思える。
検察審査会の議決を審査する必要がありそうである。

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