危うい菅内閣
私は昨年の総選挙で、政権交代を願って民主党に1票を投じたものである。
⇒2009年8月31日 (月):総選挙の結果
鳩山政権が迷走のあげく無残に崩壊したあと、菅直人氏が引き継いで、菅政権が発足した。
菅政権は最初の審判である参院選で惨敗した。
にもかかわらず、菅氏はいち早く続投の意思を表明し、代表選を経て今日至っている。
改造菅内閣が発足する前に、菅首相続投に対する違和感を表明した。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」
⇒2010年9月25日 (土):尖閣諸島事件の船長を釈放
さらに、直接の当事者の柳田法務大臣も、中国船長の釈放に関する自民党の山本一太氏の質問に対し、次のように答弁しかかった。
http://wellbetogether.iza.ne.jp/blog/entry/1843799/
私が、えー、釈放をめる前に、刑事局長から・・・・・・
これについては、単なる言い違いということになったようであるが、慎重さが足りないといわれてもうげ仕方あるまい。
政治介入があったか否かが問われているおりである。
えrあr誰が考えても、地検が独自の判断で釈放することは不自然であり、何らかの政治判断があったと考えられる。
政治家の発言はそんなものだと言うは易い。
しかし、人心はその都度離れていくのである。
それにしても、日本の国はメルトダウンしつつあるのではないか。
三権分立ということは、小学生の頃から教えられてきた。
立法、行政、司法の三権である。
立法と行政に関しては、政冶改革、行政改革がiわれて久しい。
司法に関しても、裁判員制度、検あい察審査会制度の改革が図られてきた。
しかし、このところ、集中して検察に問題が起きている。
うと検察についても、問題はつとに指摘されてきた。
経新聞特集部『検察の疲労』角川書店(0006)によれば、ロッキード事件が、検察にとって次代を画す転回点になった。
ロッキード事件は、検察にとって記念碑的な成功体験だった。
しかし、その成功こそが重荷になり、さまざまな弊害を生むことになった。
「法に基づく正義」は実現すべき価値・理念である。
検察にこそそれを求めたい。
しかし、中国人船長の釈放を検察独自の判断だとし、ベストの対応とする内閣は、「法に基づく正義」を押しつぶすのではないか。
われわれは、「法に基づく正義」が捻じ曲げられていくプロセスを、リアルタイムで体験することになるのかもしれない。
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