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2010年9月23日 (木)

しつけと虐待/「同じ」と「違う」(14)

児童・幼児に対する虐待のニュースが多い。
⇒2010年8月11日 (水):大阪市2幼児放置致死事件の衝撃
自分の体験に照らしてみれば想像できないことであるが、社会のあり方が変容してきていることの1つの結果なのだろう。
⇒2010年8月25日 (水):“家族の絆”は弱まっているか?

最近近よく耳にする言葉は、「しつけ」のつもりだった、というものである。
「親がしつけをして何が悪いのか?」「子供がわがままに育ったら子供のために良くない」……。
「しつけ」と「虐待」には明瞭な境界が存在するのか?
産経新聞で、「なぜ親は一線を越えるのか」という連載記事がある。
100922日の記事に、「しつけ」と「虐待」の境界について、岡山大学が宮崎市の父母を対象に、「しつけ」と「虐待」の線引きを尋ねた調査結果が載っている。
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判断が分かれる微妙な行為は、「頭をたたく」「ベランダなど家の外に出す」「押入れなど一室に閉じ込める」などである。
これらの行為は、文字面的にはどの親でも行っているのではないだろうか。
問題は、どういう状況で行われたか、である。
記事では、虐待か否かの判断基準として、児童虐待の先駆者の一人、故坂井聖二医師の言葉が引用されている。
「加害者の動機・行為の質によらず、子供が安全でないという状況判断」
「あるコミュニティーの中で最低限、親に要求される育児の範囲を逸脱したもの」
「しつけ」と「虐待」は、本来截然と区別されるべきものである。
その境界が不分明になるのは、「体罰」という概念の存在による。
「体罰」が「罰」として意識的に行われていれば、それは当然コントロールされたものであるはずだ。
しかし、往々にして感情に走り、抑制が効かなくなりがちである。
そして、大人とは本来感情の抑制のできる人のはずであるが、最近の傾向として、感情のコントロールができない大人が増えているのではなかろうか。

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