草森紳一氏の読み/江藤淳の『遺書』再読(2)
故草森紳一氏が、江藤淳の遺書が掲載されている『文學界9909』号に、遺書の書体について触れている。
草森氏は、莫大な数の蔵書を保有していたことで知られる評論家であるが、2008年3月20日に亡くなった。
遺された蔵書を整理するプロジェクトが進んでいる。
http://members3.jcom.home.ne.jp/kusamori_lib/about_lib.html
終の棲みかとなった門前仲町のマンションに遺された蔵書は、推定で約3万冊。帯広の生家に建てられた書庫「任梟盧(にんきょうろ)」に収められたものを加えると、その倍以上にはなると思われます。
その蔵書を整理し、目録を作り、可能ならば寄贈先を探そうというのが、「草森紳一蔵書整理プロジェクト」です。
草森氏の足許にも及ぶものではないが、私も居住スペースとの対比において蔵書の整理に苦慮している。
格別の愛書家というわけではないが、かなり思い切った整理を試みても、書棚はオーバーフローしてしまう。
野口悠紀雄『超「超」整理法』講談社(0809)に倣ってデジタル・オフィスにトライしようとしているが、未だ途遠し、である。
妻と娘は、私の入院中に、「どうせ、もう今までのようにはいかないのだから……」と自分たちだけで処分を考えたらしいが、さすがに実行はしなかった。
草森氏は、江藤淳が自裁したころ、「書」の足跡から、人間の劇を見る仕事をしており、それを知っていた「文學界」の編集者が、遺書のコピーを送るので、感想を記してほしい、という。
それが、『薫風がわたって行く/江藤淳の「遺書」の足跡』という文章である。
そこで、草森氏は次のように書いている。
宛名のない四百字詰原稿用紙に書かれた江藤淳の「遺書」の内容は、簡潔を窮めている。文に乱れがない。「心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。いっさいの前置きなく、すっと迷いなく単刀直入にはじまっている。全体は漢文脈で押し切っている。
草森氏は、声に出して読んでみたという。
短文の中で「形骸」の字を二度用いている。
視覚だけでなく、音韻にかなうもので、自裁の決意を伝える技術だとする。
「自ら処決して」の「処決」は、ひとりでにペンの先から滑り、躍り出た語のようだ。
万年筆で書かれ、原稿用紙の桝目の中にきっちりと捌かれている。
書姿は、「綺麗」「清純」である。
楷書のやや崩れた字で、行書にまでなっていない。
書体は、全体としてみると、右肩上がりでも左肩上がりでもない。正面主義である。
以下、個別の字について。
苦:文字通り苦しそうである。右へぶらーんと傾いている船体のようだ。
堪:右肩上がりで、苦と逆に、左から海の中に沈没しかかっているように見える。
諸・諒:左肩上がりではあるが、行ごとにみるとそれほど顕著ではない。
全体として、なかなかの書家である、というのが草森氏の評価である。
草森氏は、江藤淳のペン書きによる書形が早くから完成されていたのは、学位論文の肉筆からもあきらかである、という。
熟していない固い渋柿であるが、書形はさだまっている。
特徴的なのは、書の線をつながないところである。
これが、文字が優雅に浮遊する印象を与える。
遺書でいえば、「不自由」の「自」の中にある二本の横線である。
ただし、味わいには差があって、若い時は硬質で、晩年は柔和である、というのが草森氏の総括である。
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