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2010年9月 8日 (水)

石原慎太郎氏の読み/江藤淳の『遺書』再読(3)

石原慎太郎東京都知事が、江藤淳の永年の盟友であったことはよく知られている。
2人は同じ年の生まれで、共に湘南中学(現高校)に学んだ。
江藤淳:1932年12月25生まれ
石原慎太郎:1932年9月30日生まれ

江藤淳は、1946年、神奈川県藤沢市の旧制湘南中学に入学した。
1級上に石原氏がおり、石原氏との交際は生涯続いた。
同年生まれであるにもかかわらず、江藤が一級遅れて入学したのは、戸山小学校のときに、病弱な上に教師と合わず、不登校になったためと思われる。

石原氏は、『文學界9909』の福田和也氏との追悼対談『俗と崇高をつなぐ人』で次のようにいう。

あれは後追い心中ですよ。そう解釈したらもう、ただただ認める以外に無い。日本人なんだからできたんだろうな。美しいじゃないか。今さら何を言っても詮ないね。

後追い心中というのは、前年(1998)年11月7日に、妻の慶子さんを喪っているからである。
その死に至る看病の記録が『妻と私』文藝春秋(9907)である。
同書によれば、江藤は、最愛の妻を亡くすという悲しみのさ中に、急性前立腺炎を発症する。
蓄積した過労によるものだと推測されるが、一刻も早く大病院に入院して加療することが望ましい、というのが専門医の意見だった。
ところが、そうできる状況ではなかった。
妻の葬儀の喪主を務めなければならなかったからだ。

仮通夜、密葬、本通夜、告別式と4日間の喪主を務めて、病院の処置室に直行した。

処置室には、Jという名前の若い医師が待ち構えていた。いうまでもなく、泌尿器科の処置室である。ズボンを脱がされ、あらためて患部をつくづく見ると、排泄器官全体が異様にグロテスクに腫れ上がり、大腿部の皮膚が真赤に熱をもっている。
「どうしてこんなになるまで、放って置いたんですか?」
と、J医師がなじるようにいった。

江藤淳が、「こんなになるまで、放って置いた」事情は、上記の如く、葬儀の日程で止むを得ない事情である。
江藤淳はなお、死と対決する意思をみせる。

こんなところで、死んでたまるものか。何としてでも慶子の遺骨を、青山のお墓に納めなければならない。やがては墓誌も、建てなければならない。這ってでも書斎に戻り、『漱石とその時代』を完成させなければならない。ここで死んでしまえば、大学で院生の研究指導をすることも叶わなくなってしまうではないか。
これらすべてのしなければならぬことは、みなあの日常性と実務の時間のなかに存在している。そこへ戻らなければならない

オペは11月17日に行われた。
病室内歩行が可能になったのが、12月21日、膀胱からの導尿が終わったのが翌日である。
翌年(1999年)1月8日に退院、『妻と私』の執筆開始が2月5日、原稿が上がったのが3月14日である。
『妻と私』は、『文學界9905』に掲載された。
単行本の「あとがき」の日付が5月13日、第1刷の日付が7月7日である。

この間、石原氏が福田氏との対談で言っているように、「生と死の尾根の上を一人で歩いて」いたのだろう。
石原氏が後追い心中だというのは、次のくだりを読むと首肯できる。

ついにここまで来てしまったよ、慶子、と脳裏に浮かんだ家内の幻影に呼び掛けたのは、多分その頃だったに違いない。いつも一緒にいるということは、ここまで付いて来るということだったのだ。君が逝くまでは一緒にいる。逝ってしまったら日常性の時間に戻り、実務を取りしきる。そんなことが可能だと思っていた私は、何と愚かで、畏れを知らず、生と死の厳粛な境界に対して不遜だったのだろう。

江藤淳の妻は末期癌であった。
彼には、それを告知するべきか否かという問題があった。
『妻と私』は、「癌告知」の是非という重い問題からはじまる。
医者は本人には「脳内出血」だと説明している。
つまり、江藤は、みずから救うことのできない妻に対して、告知の責任は負え、と迫られるのである。
結局、彼は告知しないという道を選んだ。

江藤夫婦には、子供がいなかった。
石原氏のいうように、「美しい」かどうかは保留するとしても、後追い心中の性格を持っていたことは確かだろう。

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