吉本隆明氏の読み(続)/江藤淳の『遺書』再読(8)
吉本隆明氏は、江藤淳の『遺書』に強い自己限定の意思を読み取る。
それは偶然とみられやすい契機を否定する意思である。
森鴎外が、友人に託した遺言書で、自分は石見の国の人、森林太郎として死にたいという自己限定と似ている。
軍医総監や博物館長等の職業、あるいは文学者としての評価は不要という自己限定である。
吉本氏は、森鴎外の遺言書を、生涯のうちの何らかの粉飾的なことを抹殺したいという自己限定による意志的な死後の自殺と理解する。
同じように、江藤淳の『遺書』も、「病苦」に自死の理由を集約する意志力を感じる。
死後に自殺するか(森鴎外)、自殺によって死をもたらすか(江藤淳)を別にすれば、二人は共通である。
江藤淳は、「病苦」に刀折れ矢尽きたが、なお自己限定の意志を捨てなかった。
吉本氏の江藤淳に対する追悼文(『文學界9909』号)の末尾を引用しよう。
江藤淳とわたしとは文芸批評のうえでも、時事的な評論のうえでも、よく似た問題意識をもってきたが、大抵はその論理の果ては対極的なところに行きついて、対立することが多かった。たぶん読者もまたそういう印象だったろう。
わたしもそのような読者の一人だった。
およそ対立的な立場にあると思われる二人が、共に相手を敬愛し、尊敬し合う風が感じられた。
最初は違和感を覚えたが、山田宗睦『危険な思想家―戦後民主主義を否定する人びと 』光文社(1965)に対して、吉本氏が厳しい批判を加えているのを読んで得心した記憶がある。
詳しいことは忘却の彼方であるが、当時の進歩的知識人の立場から、“保守派”の言論人を批判したものであった。
批判されていたのは、林房雄、三島由紀夫、石原慎太郎、竹山道雄氏らである。
江藤淳も批判された1人だった。
『週刊金曜日』の「風速計」という欄で、佐高信氏が次のように言っている。
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/fusokukei/data_fusokukei_kiji.php?no=630
“危険な思想家”佐藤優の面目躍如だろう。山田宗睦が『危険な思想家』(光文社)を書いた時、たしか、名指しされた江藤淳は、思想はもともと危険なものであり、“安全な思想家”とはどういう存在だと開き直った。この江藤の反論には、やはり、真実が含まれている。
もっとも、山田宗睦氏自身もその後転回している。
1965年『危険な思想家』で、石原慎太郎、三島由紀夫、福田恒存など「保守」と見られる知識人を批判し、ベストセラーとなった。しかしその後、自らその単純さを認め、「今から思えば「危険な思想家」など先が見えぬまま書いた恥ずかしい本でしてね」と述懐した(「朝日新聞」1989年10月27日夕刊)。その頃からは、『古事記』『日本書紀』の現代語訳や注釈に手を染めている。
Wikipedia090125最終更新
吉本氏の文章を続けよう。
なぜかわたしには対極にあるもの特有の信頼感と、優れた才能に対する驚嘆と、時々思いもかけぬラヂカルナな批評をやってのける江藤淳に対する親和感があった。江藤淳との最後の対談の日、今日もまた対立かなと思って出掛けたが、対談がはじまるとすぐに、江藤淳がもうかんかんがくがくはいいでしょうと陰の声で言っているのがわかった。わたしの方もすぐに感応して軌道を変えたと思う。かれはその折、雑談のなかでふと、僕が死んだら線香の一本も」あげてくださいと口に出した。同時代の空気を吸っていたとはいえ、わたしの方が年齢をくっているのに、変なことを言うものだなとおもって生返事をしたように記憶している。眼と足腰がままならず、線香をあげにゆくこともできなかった。この文章が一本の線香ほどに、江藤淳の自死を悼むことになっていたら幸いこれに過ぎることはない。
達人は達人を知るということであろうか。
吉本氏は、ラジカルな批評家として知られる。
ラジカルという言葉は、さまざまな分野でさまざまに用いられているが、語源は、ラテン語のradicis、radixという言葉であり、植物などの根(根っこ)という意味である。
吉本氏に冠せられる場合は、60年安保の際の共産主義者同盟(ブント)に同調する立場から、政治的な急進主義を指していたが、むしろより語源的な意味と解するべきであろう。
そして、その意味で江藤淳も十分にラジカルであったといえると思う。
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