“やまと”の謎(2)
竹村公太郎氏は、『土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く』PHP研究所(0506)において、中国史家の宮崎市定氏の「交流軸の都は栄える」という言葉を、日本の地域で実証しようと試みる。
そして、滋賀県の繁栄がこのテーゼを実証しているとする。
しかし、交流軸の上で繁栄する事例だけでは十分ではない。交流軸から外れて滅んだ都市の事例はないだろうか。
このような問題意識をもって、奈良市の人口の歴史的推移を調べる。
結果は上図の如くであった。
奈良の興亡、繁栄と衰退の様子が一目瞭然である。
奈良盆地は、古墳時代の飛鳥京や藤原京、平城京の奈良時代を通じて日本の中心として栄えた。
それは、奈良盆地が大いなる交流軸の上にあったからである。
大いなる交流軸とは?
シルクロードである。
ヨーロッパとアジアを結ぶシルクロードは、ユーラシア大陸から東シナ海へ続き、さらには日本海へあるいは瀬戸内海へと続いた。
瀬戸内海の沿岸部には文明が成り立つような土地がなく、東へ東へと進んだ。
縄文時代の近畿地方の地形図をコンピュータで再現すると下図のようになる。
縄文時代には、海面が現在より5m上昇していたと推定される。
瀬戸内海を東に進んだ終着地に、当時海だった大阪の主要部がある(上町台地に囲まれて湾を形成していた-河内湾)。
上図ではやや分かりにくいので、別図を引用する。http://www.city.settsu.osaka.jp/cmsfiles/contents/0000001/1289/86inisie.pdf
東の湾奥に、大和川が奈良盆地から流入していた。
大和川を遡上すると、当時は湿地水面だった奈良盆地に入る。
当時の奈良盆地は、舟運の便に優れた水郷だった。
つまり、シルクロードの終着点が奈良盆地だったのである。
世界の文明と繋がる地である奈良が繁栄しないわけがない。
飛鳥京、藤原京、平城京といった本格的な都市が建設された。
桓武天皇による京都への遷都により、奈良は交流軸の主軸から外れた。
中世から近世にかけての約千年の間、奈良は衰退を余儀なくされる。
明治になり鉄道が敷設されると、奈良は千年の眠りから覚める。
しかし、社会インフラのないままの目覚めであった。
それが、旅館・ホテル客室数最下位の背景である。
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