宮本光晴氏の読み/江藤淳の『遺書』再読(5)
わが国の自殺者数は、ここ10年以上にわたって、3万人を超える水準で推移している。
平成21年現在、日本の自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)は25.8人で総自殺者数は32845人である。これは同年の交通事故者数(4914人)[3]の6.7倍に上り、その深刻さが伺える。
これは日本国外と比べて極めて大きい値で、日本の自殺率はアメリカ合衆国のそれ2倍に相当する(2002年)。 自殺率は主要国G8諸国、OECD加盟国、双方とも日本が自殺率1位となっている。なお、国別の自殺率でみると日本は4位で、日本以外の上位7カ国はガイアナを除けばすべて旧社会主義国(旧ソ連)が占めている。特に男性中高年層では、自殺率の水準は世界でもトップレベルである 。
日本において自殺は主要な死因の一つであり、平成18年度の場合、悪性新生物(癌の事。30.4%)、心疾患(16.0%)、脳血管疾患(11.8%)、肺炎(9.9%)、不慮の事故(3.5%)に次ぐ6位で、2.8%が自殺により死亡している。特に20代から30代にかけては死因のトップで、平成15年の場合、死亡者のうち15.8%(20代前半)、20.9%(20代後半)、22.8%(30代前半)、25.0(30代後半)が自殺している。
……
統計的にも、失業要因が「安定して有意に男性自殺率を増加させる方向に作用しかつ寄与度も大き」く、したがって、「98年以降の30歳代後半から60歳代前半の男性自殺率の急増に最も影響力があった要因は、(中略)雇用・経済環境の悪化である可能性が高い」事が年齢階層別データ分析、都道府県別年齢階層別データ分析の双方において確認できる。
Wikipedia100912最終更新
特に、中高年男性の自殺は、ゆゆしき問題だろう。
それによって男性の平均寿命が低下している程だというから、胸を衝かれる。
このような事態にもかかわらず、政府(自公も民主も)は格別の問題意識を持っていないらしい。
サラリーマンを中心とする中高年男性が自ら死を選ぼうと思う要因はどのように考えられるであろうか。
江藤淳の自殺の後に、さまざまな論考が書かれたが、宮本光晴『サラリーマンのアノミー的自殺』(『発言者』9911号)は、この中高年男性の自殺の急増という事象を、フランスの社会学者エミール・デュルケムが『自殺論』(1897)で提示したフレームに基づいて考察している。
デュルケムによれば、自殺には「自己本位的自殺」「集団本意的自殺」「無規範(アノミー)的自殺」の3つの類型がある。
近代化とは、個人を拘束する力や制度を解体し、そこから個人を解放することである、というのがデュルケムの基本的な認識である。
つまり近代化によって、自我や欲望の自制や抑制の解除が進む。
自我や欲望に対する制約が除かれた社会は、自我や欲望を無際限に増殖させる社会となりがちであろう。
その結果として、欲求不満は益々昂進する可能性がある。
「キレる」とか「ムカつく」と叫ぶ子供の犯罪は、そういう欲求不満を表現していると考えることができる。
とすれば、「キレる子供」が犯罪に走るのに対して、「キレる大人」は自殺に走るという図式が成り立つであろう。
それはデュルケムのいうアノミー的自殺に他ならない。
近代社会の原理でもある進歩主義が、ある意味で必然的にアノミー的自殺を生み出しているのである。
そして、いま、日本的経営の集団主義は否定され、特に小泉-竹中改革以降、自己責任の個人主義が声高に語られる時代である。
自立した個人や自己責任の個人主義という言葉に取り囲まれたサラリーマンは、自己の無力を思い知る。
無力と絶望から過労自殺に追い込まれるとすれば、それはエゴイズム的自殺の一種とも言える。
中高年に見られる自殺は、デュルケムの設定したもう一つの類型である集団本位的自殺である、と解釈することも可能である。
大銀行や官庁などにおいてエリートとしての立場にあった人たちにおいて見られる例は、組織を防衛する意図であるか、潔白を証する意図であるかは別として、組織との一体化という側面を持っているように感じられることは事実である。
問題は、近代化によって進む集団の拘束力や凝集力の解体が、アノミー的自殺やエゴイズム的自殺を生みだし、他方では集団の拘束力や凝集力が強ければ集団本位的自殺の要因となるという背反性である。
日本企業は、集団としての拘束力や凝集力を解体する方向に進みつつあるが、本当にそれが良いことなのか。
アノミーとエゴイズムの支配を許容するとするならば、日本的経営とは異なる、例えば大陸ヨーロッパに見られるような、職業ごとにメンバーの条件を定めメンバーの仕事の保障と競争の排除を行う専門職集団、のような新たな職業集団の形成を真剣に考える必要がある。
それは集団としての凝集力によって、アノミー的自殺やエゴイズム的自殺を阻止する機能は持つであろうが、同時に職業の硬直性をもたらすであろうことも容易に想像される。
そのプラスとマイナスを天秤にかけてどう判断するのか。あるいは、他の方策があり得るのか。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 暫時お休みします(2019.03.24)
- ココログの障害とその説明(2019.03.21)
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 野党は小異を捨てて大同団結すべし/安部政権の命運(84)(2019.03.05)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
- 日本文学への深い愛・ドナルドキーン/追悼(138)(2019.02.24)
- 秀才かつクリエイティブ・堺屋太一/追悼(137)(2019.02.11)
- 自然と命の画家・堀文子/追悼(136)(2019.02.09)
「思考技術」カテゴリの記事
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 横畠内閣法制局長官の不遜/安部政権の命運(91)(2019.03.12)
- 安倍首相の「法の支配」認識/安部政権の命運(89)(2019.03.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント