ジョージ・オーウェルの『1984年』-個人情報の監視と保護
既に述べたように(2010年8月12日 (木):転換点としての1985年)、1985年は、戦後史の1つの転換点だったと思われる。
しかし、時間は連続しているわけで、1985年は1984年の翌年であるし、1986年の前年である。
1984年は、フィクションの形ではあるが、重要なメセージをひめた年であった。
それは、ジョージ・オーウェルの『1984年』と題する小説によってもたらされた。
オーウェルの履歴等は、下記の通りである(Wikipdia100801最終更新)。
ジョージ・オーウェル(英語: George Orwell, 1903年6月25日 - 1950年1月21日)は、イギリスの作家、ジャーナリスト。生誕地はイギリスの植民地時代のインド。本名はエリック・アーサー・ブレア(英語: Eric Arthur Blair)。全体主義的ディストピアの世界を描いた『1984年』の作者で知られる。『1984年』のような世界を描いた社会を「オーウェリアン」(Orwellian)と呼ぶ。
英語の副読本等に用いられる『動物農場(Animal farm)』は、広い読者を持っているはずである。
『1984年』は、次のように、文学作品として高い評価を得ており、オーウェルの代表作といってよいであろう(Wikipedia100704最終更新)。
トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く作品で、スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。なお、著者などは言及していないが「1984年」という年号は、本作が執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムであるという説が一般的である。これによって、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示したものとなっている。
出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の闇黒』などとともに反全体主義、反集産主義のバイブルとなった。
1998年にランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」、2002年にノルウェー・ブック・クラブ発表の「史上最高の文学100」[1]に選出されるなど、欧米での評価は高く、思想・文学・音楽など様々な分野に今なお多大な影響を与え続けている。
あらすじは以下のようである(Wikipedia100704最終更新)。
1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。
作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。
ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらにウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライアンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。
ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、オブライエンによる尋問と拷問を受けることになる。彼は「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら"心から"党を愛すようになるのであった。
この小説には様々な読み方が可能であろうが、端的には、旧ソ連に代表される(た)社会主義国の思想統制の危険性と虚しさ、そして、にもかかわらず個人としての反抗や抵抗には限界や弱さがあることを表現していると考えられる。
東欧やソ連の社会主義体制が崩壊した今日から見れば、その権力機構を多分に戯画化して過大に描いているのではばいかとも思われるが、漏れ聞く北朝鮮の状態などは、本質的におなじものであろう。
さて、実際の1984年はどうであったか?
幸いにして、北朝鮮などを除き、『1984年』を実現することなく過ぎたと言えよう。
その後、80年代の終期から90年代の初期にかけて、旧社会主義体制の国は次々と崩壊し、東西冷戦は終わりを告げた。
しかし、オーウェルの指摘が杞憂であったかというと、そうでははない。
内面の自由とかプライバシーの保護、一方で国民の安否把握などのテーマは、現代社会の重要課題えいることは、最近の世相が示すとりである。
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