政治におけるアマチュアの可能性
長野県知事選は、政治におけるプロとアマの戦いであったといえよう。
当選した阿部守一氏は、民主党、社民党、国民新党の推薦を受け、連合長野も積極的に支援した。
特に、民主党は参院選における敗勢を盛り返そうと必死の取り組みだった。
細野豪志幹事長代理、前原誠司国土交通相、原口一博総務相ら、マスメディアで知名度の高い政治家を動員して勝利をもぎ取った。
敗れた腰原愛正氏は、自民党と公明党の支援を受けた。
長野県市長会長などの履歴から推察すると、地方政界に有力な地盤を持っていた。
一昔前なら、長野県といえども腰原氏が楽勝のケースであろう。
ただ、長野県民主党は、羽田孜元総理の影響力が強いといわれる。
多分に自民党的体質を有する羽田氏の存在も、阿部氏に有利に働いたのではないか。
詳細は投票行動の分析を待たねばならないが。
阿部、腰原の両氏は、自身が政治家だったか政治家予備軍としてのキャリア官僚である。
支援組織も、政党や労組などの、政治のプロ集団であった。
対する松本猛氏は、美術館長という前職からして政治の世界とは縁遠い人である。
もちろん、日本共産党というプロ組織の支援を受けたが、当落という基準で考える限り、共産党の支援は必ずしもプラスには作用しないであろう。
いわば、プロ2人に、アマチュアが戦いを挑んだようなものである。
結果は、負けて当然ということだろう。
しかし、松本氏 の獲得した票は、決して死に票ではないのではないか。
最終的な各氏の得票数は、左表の通りである。
阿部氏と腰原氏は文字通り僅差であり、松本氏は両氏の約半分である。
これを惨敗とみるか、善戦とみるか。
私は、決して無視することができない数だと思う。
さしたる地盤も看板もなく、ましてカバンの中身も豊富とは思えない松本氏が、長野県という広い選挙区で、19万人近くの人にその名前を書かせたのである。
梅棹忠夫さんに、「アマチュア思想家宣言」という文章がある。
雑誌『思想の科学』の創刊号(5404)に掲載され、その後、「思想の科学の主題」という特集号(6205)に再録された。
初出の時点は、今から50年以上も前になる.。
『中央公論』の9月号に、加藤秀俊さんが追悼文を書いているが、「アマチュア思想家宣言」が梅棹さんの言論活動の原点であると位置づけている。
梅棹さんは、「思想はなんの役にたつか」という「問い」に対して、「そもそも思想はいつでも役にたたねばならぬものかどうか」と問い直す。
人間はいろいろなことを考えてしまうから、その中には役にたつことも、役にたたないこともあるだろうと。
思想に対する対し方に、「思想を論ずる」と「思想をつかう」の2種類がある。
思想を論ずるのは、頭のスポーツみたいなもので、思想家はスポーツマンである。
この場合、思想は何の役にたつかと問いかけることが無意味であり、強いていえば人間の思想の発展に役だつ。
思想を使う場合には、思想は何の役にたつか、という問いは実質的な意味を持つ。
この場合は、思想は創造的な作品である必要はなく、既製品でも使いなれたものがあればいい。
思想を論ずるのは思想家の仕事であり、思想をつかうのは民衆の仕事である。
思想を論ずるのはいわばプロの立場である。
首尾一貫した体系が要求される。
思想をつかう立場は、別に一貫した体系が求められるわけではない。
プロにとっては生活よりも体系が大事だが、アマチュアにとっては使えるものを勝手に使えばいい。
そのような認識にたって、梅棹さんはみずからをアマチュア思想家と規定する。
そこから出発して、質と量の両面においてプロの思想家をはるかに凌駕する仕事を残した。
政治の場合にはどうであろうか。
プロの政治家とは、政治を目的化している人といえないだろうか。
言い換えれば、政治のため政治である。
これに対し、アマチュアの政治家は、国民・市民の生活のための政治である。
菅直人という政治家に期待したのは、この意味でのアマチュア性であった。
しかるに、最近の菅氏は、民主党の代表戦に勝つことを第一に考えているかのようである。
世襲や高級官僚出身者は、もともとプロの体質をもっている。
いかにもプロらしい人たちのなかで、毅然としてアマチュア的であることは難しいかも知れない。
しかし、長野県知事選にアマチュアの時代の萌芽をみた感じがするのは、果たして私だけだろうか。
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