男女共同参画社会/理念と現実との乖離(3)
総理府に男女共同参画局という組織がある。
男女共同参画社会基本法を推進し、男女共同参画社会を実現することをミッションとしている。
男女共同参画社会基本法とは、どういう法律か?
Wikipedia(100521最終更新)の説明は以下の通りである。
男女平等を推し進めるべく、2000年(平成12年)に施行された日本の法律。男女が互いに人権を尊重しつつ、能力を十分に発揮できる男女共同参画社会の実現のために作られた。
3章26条によって構成されており、家庭生活だけでなく、議会への参画や、その他の活動においての基本的平等を理念とする。また、それに準じた責務を政府や地方自治体に求めるものである。
法律は、第三条~第七条で、基本理念ともいうべき条項を定めている。
総理府男女共同参画室では、これを次のように図解している。
この基本理念は、日本の社会には男女不平等があったと考えられるので、反対すべきものではないと思う。
しかし、現実にはどうか?
男女共同参画が実現されるべき場として、次の3つが掲げられている。
職場、家庭、地域である。
私は、男女平等であることは当然であると思う。
しかし、それは男女イコールということではないだろう。
基本法では、家庭生活において、次のように規定している。
(家庭生活における活動と他の活動の両立)
第六条 男女共同参画社会の形成は、家族を構成する男女が、相互の協力と社会の支援の下に、子の養育、家族の介護その他の家庭生活における活動について家族の一員としての役割を円滑に果たし、かつ、当該活動以外の活動を行うことができるようにすることを旨として、行われなければならない。
ごく当たり前のように思われる。
しかし、この条項を男女の役割分担の否定であるかのように解していることがある。
いわゆる「男らしさ女らしさ」を求めることが否定される。
滑稽なのは、どこかの自治体で、トイレのサインが男女を区別しているのが問題だ、として同じサインに替えたところ、分かりにくいという苦情が出て元のサインに戻したという話である。
家庭において、夫婦が役割分担することを否定するのは、トイレのサインを男女同一のものにしようということに似ている気がする。
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