人間にとって科学とはなにか/梅棹忠夫さんを悼む(7)
梅棹忠夫さんは、座談・対談の名手としても知られている。
たとえば、日本人として初のノーベル受賞者である湯川秀樹さんとの対談の記録がある。
湯川秀樹、梅棹忠夫『人間にとって科学とはなにか』中公新書(6705)。
出版された年、湯川さんは60歳、梅棹さんは47歳だった。
同じ京都大学に在籍しているものの、専門分野も世代も異なっている。
梅棹さんの「あとがき」の表現に従えば、「(湯川)先生は大物理学者であり、私は未完成の人類学者である。常識的にみれば、この組み合わせは、やや冒険的というべきであろう」。
しかし、結果的に、この対談は見事に成功した。
「人間にとって科学とは何か」。
「○○にとって××とは何か」という言い方は、私たちの世代にとっては、吉本隆明氏の『言語にとって美とはなにか』角川ソフィア文庫(0109)によって馴染み深いものである。
吉本氏の論考は、安保闘争の終焉後、谷川雁、村上一郎氏と3人で共同で発刊した雑誌「試行」に連載され、1965年に単行本化された。
「人間にとって科学とはなにか」ということは、難しい問題で、正解を求めるという性格の問いではない。
問いを立てて、考えてみることに意味がある、といえよう。
梅棹氏自身は、対談の内容を、カテゴリーとしては、「科学論」とか「科学概論」に入るものだろうか、と自問し、それにしては「奇妙で、独特の内容のものだ」という。
何故か?
それは、従来の科学概論ではおおい尽くせない状況が現代科学に出てきているから、である。
対談の内容は、科学の本質についての、二人の科学者の内省の記録となった。
科学は普通、きれいにでき上がった成果だけが発表される。
それは、いわば、productとしての科学である。
その発表された成果だけを読んでも、舞台裏で何が行われているかは、全くわからない。
それに対し、ここでは、できあがったものとしての科学ではなく、科学を生み出す原動力になっているものにアプローチしている。
processとしての科学である。
この舞台裏を見せてしまうという方法論は、後に『知的生産の技術 』岩波新書(6907)で意識的に行われるものだ。
対談の冒頭部分で、梅棹さんは、上記の「従来の科学概論ではおおい尽くせない状況」について、次のように言う。
科学というものは、人間がつくったものであるにもかかわらず、いまや人間をおいてきぼりにして、どこかあらぬ方向につっぱしっていっているのではないか、そういう疑問なんです。
こういうことをいうと、すぐに、現代の科学・技術の異常な発達の結果、核兵器のようなものがあらわれて、そのために人類それ自身が破滅の危険にさらされている、という現代人類の危機的状況が思い起こされますが、私は、必ずしもいま、そのことをいっているのではないのです。もちろん、そのことも大問題だと思いますが、そのことをも含めて、現代の科学が、あるいは現代の科学的考え方それ自体が、なにか、人間離れした、ある意味で非人間的なものになってきているのではないかと、ちょっとそんな気がするのです。
これは、カレル・チャペックの『山椒魚戦争 #岩波文庫#』(栗栖継訳 (1978)などと共通する問題意識ではないか。(2010年5月23日 (日):『「恐竜の脳」の話(4)山椒魚』の項参照)。
人間的スケールの、常識的な経験的事実を説明するための理論が、常識では分かり難いものになっている物理学の状況。
たとえば、量子論や相対論などを考えると、物理学の対象はなんであるのか、ということが問題になってくる。
それで、物理学は、物質とエネルギーに対象を一応絞ってきた。
物理学が、物質とエネルギー以外のものに対象を拡大しようとすれば、どういうものが考えられるか?
湯川さんは、従来の物理学の領域に比較的近接しているものとして、「情報」をあげる。
「情報」は、梅棹さんの専門領域である生物学や人間の科学においては、非常に重要な要素である。
ところで、「情報」ということばを、どう考えるか。
一般的にいえば、ある一定の「知識」を所有しているものが、所有してないものに与えるものが「情報」である。
さらにもっとも一般的にいえば、可能性の選択的指定作用のことである。
無秩序あるいは混沌のの状態にあるものに対して、何かの秩序を指定するものが「情報」である。
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コメント
2012年1月4日、古本屋さんで『人間にとって科学とは何か』を買いました。今からワクワクしています。
投稿: はりたろう | 2012年1月 5日 (木) 21時55分