情報産業における価格決定/梅棹忠夫さんを悼む(13)
情報は、多くの場合、原価が不明である。
その量を測定することも難しいから、需要や供給の量もよく分からない。
情報の価格は、どうして決まるのか?
情報理論では、bitという単位によって情報量を計る。
情報理論では、情報とは、いくつかある可能性の中から、ひとつを指定することであると考える。
競馬の場合を考えてみよう。
何頭か出走する馬の着順には、いくつかの可能性がある。
単勝ならば1頭だけ、複勝ならば複数の勝馬を指定する。
その最小の単位として、二つの可能性のうちの一つとして指定することを考え、それをbitとした。
理論的には、すべての情報を、bitに換算できる。
しかし、「今夜のTVドラマは、何bitであるか」「このTVニュースは、何bitであるか」という問いは、ナンセンスであろう。
商品の価値は、bit数では計れないのである。
商品として流通している情報は、価値が不確定なまま取引されていることになる。
商品としての情報は、モノではない。
買い手が欲しいのは、その内容である。
情報産業においては、内容を教えてしまえばそれまでであって、先にお金を払うのが原則である。
情報産業の買い手は、その内容を知りもしないで、先にお金を出して買うのである。
情報産業においては、そもそも「商品」という考えがなじまない。
商品という観念は工業社会のものであって、情報産業社会では別のカテゴリーを考えることが必要なのである。
梅棹忠夫さんは、「情報産業論」において、情報の価格決定の論理として、有名な「お布施の原理」を提唱した。
情報の価格決定のヒントとして、「お布施」を考えた。
「お布施」は、お経の長さによって決まるのでもなく、木魚をたたく回数によって決まるのでもない。
しかし、「お布施」には「お布施」の、ある限定された額があり、各家はそれを包んでわたす。
それでは、「お布施」の額は、何によって決まるのであろうか。
「お布施」の額を決定する要因は二つ考えられる
一つは坊さんの格であって、偉い坊さんに対しては、たくさん出すのが普通である。
もう一つは、檀家の格である。
格式の高い家は、相応の「お布施」を出さなければ格好がつかない。
「お布施」の額は、坊さんが提供する情報や労働には関係なく、坊さんと檀家の社会的位置によって決まってくる。
情報産業における価値決定には、不可測な部分だけではなく、計測可能な部分も存在している。
たとえば、電波料の場合、サービス・エリア内の人口や電波の使用時間などは、計測可能な要素である。
「お布施」の原理は、不可測な部分についてのアナロジーである。
計測可能な部分を実数、不可測な部分を虚数と考えると、情報の価格は複素数的構造を持っているということができる。
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