梅棹忠夫さんを悼む(続)
梅棹さんが、「情報産業論」において、産業の発展の法則性を、生物進化の過程とのアナロジーで捉えたことは有名である。
すなわち、以下のような図式である。
農業の時代=消化器官系の機能充足の時代=内胚葉産業の時代
↓
工業の時代=筋肉を中心とする諸器官の機能拡充の時代=中胚葉産業の時代
↓
脳神経系もしくは感覚器官の機能拡充の時代=外胚葉産業の時代
「文明の生態史観」が生態学の論理のアナロジーに拠っているのと同様である。
現在が、脳神経系もしくは感覚器官の機能拡大の時代であることは、いわゆるIT革命の進展が証明しているだろう。
脳は典型的な情報器官である。
養老孟司氏は、有名な『唯脳論』青土社(8910)で、「情報化社会とは、社会がほとんど脳そのものになって行くことを意味している」と述べた。
同じようなことを、三好万季さんは、次のように言っている(『文藝春秋』2000年臨時増刊号)。
三好さんは、中学生の時、「和歌山カレー殺人事件」を、インターネットを駆使して疑問点を掘り下げ、多くの読者に感動を与えた。
インターネット時代の申し子といっていいだろう。
二十一世紀はインターネットの世紀です。赤ちゃんの脳の中で、爆発的速度でシナプスのネットが編まれるように、物質文明の象徴であるコンピュータが、来るべき気宇壮大な情報文明のインフラとして、爆発的な速度で人類文明の脳神経系を編みつつあります。
脳神経系の飛躍的な発達が、サルからヒトへの驚異的な進化をもたらしたように、人類の文明もまた、今飛躍的な進化の跳躍台に立たされているのです。情報文明は私たちに、サイバースペースという、時空を超えた全く新しい第二の宇宙空間を与えています。
梅棹さんは、「情報産業論」の情報を軸として歴史を捉える見方を、「文明の情報史観」と名づけている。
「文明の生態史観」は、地理的・風土的な条件の違いによる共同体の生活様式の差異が、歴史の発展の仕方にどのように影響するかを論じたものであったが、「文明の情報史観」は、歴史を変革して行く要因としての「情報」の重要性を指摘したものである。
生態史観と情報史観は、歴史の発展法則の、水平軸と垂直軸といえよう。
梅棹さんは、『情報の文明学』中央公論社(8806))において、文明の発展法則を次のように整理している。
文明とは、人間と人間をとりまく装置群とでつくる、1つの系である。また、文明の歴史は、人間・装置系の自己発展の歴史であり、人工的につくりだされた環境としての装置群に着目すれば、それは諸装置の開発と蓄積の歴史である。人類史における1つのおおきな飛躍は、農地という装置と制度をつくりだしたことであり、もう1つの転機は工業の発展である。
工業の発展は大量の工業生産物をつくりだしたが、現代の工業製品のうち、おびただしい部分がいつのまにか情報担荷体と化している。機能一点ばりの製品がまかりとおる時代はとっくにすぎ、デザインこそが問題とされる。需要は情報にあり、モノそれ自体は、情報をのせる台にすぎないとさえ言える。
文明は、情報というあたらしい人工環境を大規模に展開しはじめている。情報こそは新しい装置群の一種であり、文明系は新段階にはいろうとしている。工業は価値の大転換をもたらしたが、それは、情報という、より根源的な価値転換の先駆形態であるかもしれない。情報を中心とする文明系の新段階において、人間は、根本的な価値の大転換を経験するであろう。
いま、まさに情報という人工環境が大きく変容しつつあるのが実感できる。
3DテレビやiPADなどの登場は、われわれがその最先端をリアルタイムで生きていることを体感させるものではなかろうか。
現在を、巨視的な歴史において、どう位置づけるべきか。
もちろん、誰も証明できないことであり、人によりさまざまであろう。
私自身は、自分が生きている時代が、歴史的な大きな変革期であることに、スリルを感じ興奮すると同時に、的確な認識を持ちたいと願う。
日本でも多くの支持者を持つ経営学者P.ドラッカーは、ITがもたらしつつある現代の革命を、人類史上4度目の情報革命と位置づける(『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』ダイヤモンド社(9903))。
1度目は,メソポタミアで5000~6000年前に起った文字の発明による変革であり、2度目は、中国で紀元前1300年頃に起こった書物の発明による変革であり、3度目は、西暦1450年から55年にかけてのグーテンベルグによる活版印刷の発明ならびに時を同じくして発明された彫版による変革である。
現時点では、ITは、経営者に対し、データを供給するに過ぎず、新しい問題意識や新しい経営戦略を与えるには至っていない。
その原因は、経営者の頭の古さによるものではなく、彼らの仕事に必要な情報が出てこないからである。
経営者が現在手にし得る会計システムのデータは、コストを管理するためのものである。しかし、事業を成功させるものは、コストではなく価値の創造である。
コンピュータを基礎とする現在のITは、旧来の会計システムのデータに依存せざるを得ず、それゆえにITは、現場の仕事には大きな影響を与えたが、経営者の仕事にはほとんど影響をもたらさなかった。
新しい情報革命は、データの処理にかかわるものではなく、情報のコンセプトにかかわる革命である。
これまでの50年間、ITはT(テクノロジー)を中心としていたが、これからの情報革命は、ITのI(情報)に焦点を合わせたものとなる。
ITのIに焦点を当てた情報革命の時代とは、脳の機能がますます重要な時代になるということである。
いわば、人類史が本格的に始まる時代である。
脳梗塞というハンディキャップは負っているが、私もその時代を堪能したいと思っている。
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