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2010年7月 7日 (水)

梅棹忠夫さんを悼む/追悼(8)

梅棹忠夫さんが、7月3日、自宅で亡くなられたことが報じられている。
90歳で、老衰によるものという。
さしもの「知の巨人」も、年齢には勝てなかったということか。
まさに、「巨人」というに相応しい人だった。

『梅棹忠夫著作集 別巻 年譜 総索引』中央公論社(9406)の「梅棹忠夫年譜」を中心に、略歴を追ってみよう。
1920(大正9)年  京都市に生まれる
1936(昭和11)年 京都一中第4学年修了。第三高等学校入学、山岳部入部
1941(昭和16)年 京都大学理学部入学。京都探検地理学会ポナペ島調査隊に参加
1944(昭和19)年 結婚。財団法人蒙古善隣協会西北研究所嘱託
1946(昭和21)年 京都大学大学院特別研究生
1949(昭和24)年 大阪市立大学助教授
1955(昭和30)年 京都大学人文科学研究所講師。カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊に参加
1956(昭和31)年 『モゴール族探検記』刊行
1957(昭和32)年 「文明の生態史観序説」を『中央公論』に発表
1963(昭和38)年 「情報産業論」を『放送朝日』に発表
1969(昭和44)年 『知的生産の技術』刊行
1974(昭和49)年 国立民族学博物館創設、初代館長に就任
1986(昭和61)年 視力喪失。その後も口述筆記で旺盛な著作活動
1989(平成元)年 『梅棹忠夫著作集』刊行開始(1994年に全23巻が完結する)
その後も、1996年1月に、日経新聞の「私の履歴書」(後に『行為と妄想』(1997)として刊行)等の重要著作を発表している。

広範な梅棹さんの足跡を要約することは無謀ともいうべきであるが、敢えて端的に表現すれば、先見性に富んだ文明学者ということであろうか。
上記の年譜からも窺えるように、既に学生時代から海外の探検調査隊に参加していたが、実証的な調査研究を踏まえた骨太の思想家として論壇で注目を集めたのは、「文明の生態史観序説」においてである。
唯物史観による単線的な文明史が強い影響力を持っていた戦後の思想界に、梅棹さんは、生態学の遷移理論を応用した文明史の仮説を提唱する。

梅棹さんは、西洋が先行し、アジアはそれを後追いするという通説に対し、日本と西欧とが平行して進化した、という世界史モデルを提唱した。
第一地域…日本、イギリス、フランスなどの西ヨーロッパ諸国
第二地域…中国世界、インド世界、ロシア世界、イスラム世界
第一地域は、自成的遷移で、封建主義→ブルジョワ革命→資本主義という径路を辿るという点で共通している
第二地域は、巨大な専制帝国として発達し、その中で停滞しているが、一部独裁官僚による社会主義革命が遂行された、他成的遷移である
「文明の生態史観」は、当時の大勢に瀬にパラダイム・シフトを迫るものであり、多くの反発と批判を招いた。
しかし、今日ではむしろ当たり前の考えともいえる。

「情報産業論」の先駆性も、特筆すべきものであろう。
現在、情報産業とか情報社会という言葉は、ごく一般的な言葉として使われている。
しかし、梅棹さんが「情報産業論」を発表した1963年ごろは、諜報に関連する用語として、胡散臭いイメージがまとわりついていた。
この論文自体、「一部の人はみとめてくれましたが、全体としてはほとんど域無視されました」(『情報の文明学』中央公論社(8806))という状況であった。

私は、職業生活の殆どを情報産業の一隅で過ごしており、「情報産業論」は、最も重要な羅針盤であった。
「情報産業論」の論旨は、梅棹さん自身の要約によれば、以下の通りである(『メディアとしての博物館』平凡社(8710))。

人類史において、文明の初期には、まず農業の時代があり、そこでは、食糧の生産が産業の主流をしめた。やがて工業の時代がおとずれ、物質とエネルギーの生産が産業の主流をしめるようになった。つぎに産業の主流をしめるようになるのが、情報産業である。経済的にも、情報の価値が、経済のもっともおおきい部分をしめるようになるであろう。

このような考え方は,文明論としては、現在の定説的見解とも言えよう。
しかし、「情報産業論」は、D.ベル『脱工業化社会』、D.ガボール『成熟社会』、H.カーン『大転換期』、A.トフラー『第三の波』などの、世界的な影響力を持つ著作に先行するものであったことに留意する必要がある。
白根禮吉氏によれば、日本は石油ショックの打撃を最も強烈にうけたが、その打撃からいち早く脱出し立ち直れた。
それは、日本が1960年代の末ごろから、未来予測として情報化社会論を確立し、情報技術を最も重要な開発テーマのひとつとしたからである(『新コミュニケーション革命』東洋経済新報社(8301))。
「情報産業論」は、このような「未来予測としての情報化社会論」の“ハシリ”ともいえる。

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