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2010年7月23日 (金)

情報産業の典型としてのデザイン/梅棹忠夫さんを悼む(11)

梅棹忠夫さんは、九州芸術工科大学の第3回「勧進」において、発話者として「情報産業社会におけるデザイナー」と題する講演を行っている。
その速記録が、『情報論ノート』中央公論社(8903)、『梅棹忠夫著作集 第14巻 情報と文明』中央公論社(9108)に収録されている。
講演が行われた1970年を振り返ると、「70年安保」の運動は前倒しで1969年にピークアウトし、新しい時代への予感がさまざまな形で語られるようになっていた。
情報という言葉も、「情報産業論」を発表した頃には秘密めいたニュアンスをまとっていたのが、ニュートラルな意味ですっかり定着していた。
というよりもむしろ、盛んに「情報化社会」が論じられ、情報という言葉は、ジャーナリズムの世界を賑わす一種の流行語現象になっていたといってよい。

それは、企業や公的機関などで、本格的にコンピューターが利用され始めたのと軌を一にするものであった。
つまり、情報という言葉は、コンピューターと同義的に使われた。
情報化=コンピューター化であり、情報産業=コンピューター産業である。
しかし、梅棹さんは、このような潮流に異を唱える。
たとえば、情報化社会という言葉では、適切な対語がないではないか。非情報化社会というのでは、トートロジーである。

この点、情報産業社会という言葉はどうか。
対語として、工業社会あるいは産業社会がある。
工業が社会の生産活動のなかで最も重要な地位を占める工業社会に対し、情報産業社会は、情報産業が人間の全生産活動のなかでもっとも大きなウェイトを占める社会である。

人類社会の歴史を振り返ると、狩猟採集社会の次に、はじめて農業社会が人間の組織的な産業活動というものを始める。
その次に産業革命を経て工業社会になり、やがて情報産業社会になる。
つまり、情報産業社会は、工業社会の後期の現象ではなく、あたらしい別の発展段階の社会なのである。
当時のコンピューター化社会というのは、工業社会の成熟化現象に過ぎないのではないか。

工業社会において重要な要素として、物質とエネルギーがある。
物質は原料であり、製品である。
そして、原料を製品に転化するにはエネルギーを加えなければならない。

ところが、物質とエネルギーだけでは製品を製造することができない。
物質をどのように組み合わせ、それにどうエネルギーを作用させるかという処方箋が必要である。
この処方箋をつくる作業が、「設計=デザイン」である。

情報産業社会が工業社会と異なるのは、デザインがもっとも重要な要素になるというところである。
情報産業社会とは、設計の時代であり、デザイン産業の時代である。
工業社会では、知恵の価格はただ同然であるが、情報産業社会では、商品の価格を決定する最大にファクターは知恵の値段になる。

そのような商品の事例が新聞である。
物質すなわち紙としての新聞は、もっとも悪質な風呂敷にすぎない。
新聞の原価には、物質としての紙代もあるし、印刷や搬送のためのエネルギー代もある。
しかし、いちばん肝心なのは、情報の値打ちである。

それでは、九州芸術工科大学が標榜する芸術工学とは何か。
いままでの工学は、人間と機械との関係が、かならずしもうまくできていなかった。
機械は機械の法則で発展し、人間は人間の法則にしたがい生活している。
ところが、現代は「人間-機械系=マンマシン・システム」が形成され、人間と機械との共存社会になっている。

そのとき、人間を抽象的な存在ではなく、五感をもった存在として考えなければならない。
動物以来のさまざまな遺産や人間になってから発展したさまざまな性質をひっくるめて背負いこんだ存在である。
それが、ヒューマンということであり、芸術工学における芸術はそういうことを意味している。
つまり、芸術工学とは、技術のヒューマナイゼーション、人間化された技術のことである。

特に、ヒューマン・エンジニアリッグを、個体としての人間ではなく、社会的存在としての人間として考える必要がある。
すなわち、社会的関連をもった、孤立していない人間である。
そして、コンピューター化とは、人間の活動を機械に置きかえるのではなく、人間の機能を充足し、拡張するものである。
工業社会ではエネルギーの拡張をしたが、情報産業社会では知的活動の拡張がはじまる。

農業の時代にあっては、人間の生死が重要な問題だった。成人することが難しいことだったのである。
工業の時代には、生まれたらある程度生きられる時代になった。
問題は、如何に生きるか、どういう生き方をするかである。
情報産業社会においては、生きているあかしが問われる。
つまり、「生きがい」の問題である。

情報産業社会において重要になる設計の仕事=デザインは、具体的、個別的なものである。
すべてに適用できる原則や公式は、ほとんど存在せず、ケース・バイ・ケースである。
現場において、個別的な状況に対応したものでなければならない。
問題は現場にあり、問題の解決法は現場がきめる。
この意味で、芸術工学は、現場主義の学問である。

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