ハンディキャップとどう向き合うか?/梅棹忠夫さんを悼む(5)
梅棹忠夫さんを、「知の巨人」と評した(梅棹忠夫さんを悼む)。
そうに違いないが、梅棹さんの人生の総決算とも言うべき米寿を記念して行われたシンポジウムの記録をまとめた著書(石毛直道、小山修三編『梅棹忠夫に挑む』中央公論新社(0812))の帯の惹句には、「知の探検家」とある。
結果として、梅棹さんは「知の巨人」になったが、そのプロセスは探検家と呼ぶのが相応しい営為だったということだろう。
米寿といえば、長寿化したとはいえ、日本人男性の平均寿命を超えている。
普通は、長寿を寿いで、親しい人が集まって内輪の食事会でも……、というところであろう。
梅棹さんの場合も、石毛直道さんと小山修三さんがそのつもりで梅棹さんに話したら、本人が「食事じゃつまらないから、もっと実のあることを」ということになった。
それで、還暦のときの記念行事である「文明学の構築のために」(梅棹忠夫編『文明学の構築のために』中央公論社(8108))に倣って、シンポジウムをやることになった。
シンポジウムの成果である前掲書に、梅棹さんの読売新聞の連載インタビュー記事『時代の証言者」が掲載されている。
梅棹さんには、自伝として『行為と妄想 わたしの履歴書 』中公文庫(2204)があるが、それとは別に、梅棹さんが自分の歩いてきた道を語り、それを読売新聞記者の持丸直子さんが背景の解説を加えたものである。
その中で、失明のことが触れられている。
中国旅行から帰ってきた、一九八六年三月のことです。西安あたりでひいた風邪が治らず、せきがひどかったのですが、帰国後も休まないで仕事を続けていました。あのころは忙しかったな。会議や出張も多く、自治体の文化行政のアドバイザーをいくつも頼まれていましたし、夜は原稿書きがあり、お酒もよく飲みました。
その夜は遅くに帰宅して、テレビの画像がちょっとおかしいなと思ったけれど、そのまま寝ました。あくる朝、目がさめたとき、まだ薄暗い。女房に夜が明けてないのかと聞くと、「とっくに明けてます」と言う。それで目の異変に気がつきました。
大阪大学医学部附属病院の眼科に行くと、診断はウイルスによる球後視神経炎だという。視神経が風邪のウイルスにやられたんでしょうな。すぐ入院でした。医者に三週間かかると言われ、ステロイドや高圧酸素療法などいろんな治療をうけました。
初めは治るに決まっていると思っていたのに、治らなかった。漆黒の闇ではなく、明暗はわかります。ただ、色はなく暗い灰色が広がっているだけ。だれかがそこにいるのはわかるけど、どんな顔かはわからない。
実証科学がわたしの学問ですが、自由に歩くこともできないし、文字が読めない、書けない。学者として絶望的です。六五歳で失明。これは一生の誤算でした。
梅棹さんの心境は想像するしかないが、突然にそれまでの人生の予定が断ち切られてしまったのである。
しかし、梅棹さんの凄いところは、発症してからの生き方である。
七ヵ月後に退院し、まず、いろんな出版社と約束していた原稿をかたづけた。フリーの編集者に来てもらい、わたしが口で文章を言うと、その場でパソコンで入力し、原稿にしてくれました。
その結果、失明後の三年間で、月一冊のペースで約40冊の単行本を出した。
毎月でることから、「月刊うめさお」といわれた。
そればかりでなく、並行して、『著作集』の刊行を行っている。
しかも、当初15巻の予定だったものが、別巻をあわせると23巻に膨れた。
いかにロングセラー『知的生産の技術 』岩波新書(6907)の著者といえども、その知的生産力は驚異的という以外にない。
梅棹さんに学ぶべきは、その明るさであろう。
ただ、現実認識は悲観主義で、「明るいペシミスト」というやや矛盾した自己規定である。
人生を振り返れば、「いろんなことを経験したけど、けっこうおもしろい人生でした」ということになる。
私も、失明には比ぶべくもないが、未だ右半身不随状態で、事実として気が滅入ることがしばしばである。
しかし、できるだけ明るさは保っていたいと思う。
私も、努力すれば明るく過ごすことはできるだろう。
そうすれば、「けっこうおもしろい人生でした」と振り返ることができるときがくるかも知れない。
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