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2010年7月13日 (火)

タレント候補擁立に象徴される民主党の民意の読み違い

参院選において大敗した民主党の責任論をどう考えるか?
現時点では、民主党は、当面(9月の代表選まで)は、現体制を替える意向はないようである。
党内には、首相はともかく、枝野幹事長は引責辞任すべきだ、という声があるようだが、まあ、余り拙速にジタバタするのも問題であろう。
しかし、結果は明白な敗北(失敗)であるから、責任を目に見える形で示すことも必要ではないか。

責任論は、当然敗因論とセットで考えなければならない。
報道で知る限り、菅首相ら執行部は、選挙戦中の消費税論議が主因である、との認識のようである。
特に、消費税を争点化したこと自体は間違いではなく、説明不足で有権者に正しく理解されなかったことが問題だったということらしい。
しかし、それは妥当な認識だろうか?
聞きようによっては、有権者の理解力に問題があるかのようである。

もちろん、消費税の説明の仕方が稚拙であったことは否めない。
唐突感は最後まで残ったままだし、説明の軸も、事実としてクルクル変化した。
それは、ブレたと批判されても仕方のないものであった。
十分な党内論議を経ていないことを感じさせるものであったし、明らかに熟慮の結果の成案ではないことを感じさせた。
首相の発言としては、重みに欠けるものであったとせざるを得ないだろう。

それにしても、民主党の敗北の主因は、消費税の説明の仕方にあったのだろうか?
私の感覚は違う。
問われるべきは、政権奪取後の民主党の姿勢だと思う。
「政治とカネ」「普天間問題解決の道筋」「参院での首相の所信表明」などから、明らかに「逃げた」ことではないのか。
つまり、政治の根幹に係わる諸問題に真摯に向き合おうとしない姿勢こそ、問われているのではないか。

それを象徴するのが、比例区を中心に擁立した、いわゆるタレント候補である。
もちろん、一芸に秀でた人は、他分野でも優れた能力を発揮するだろう、ということは一般論としては必ずしも間違いではないであろう。
しかし、今まで政治的な見識を披歴したこともない芸能人やスポーツ選手などが、知名度を頼りに立候補するのに、有権者はいささか飽きていたようである。
タレント候補の擁立は他の政党も同様であるが、特に民主党に多かったのではないか。

主な著名人候補者の当落は次表の通りである。
http://news.goo.ne.jp/elex2010/news/article/snk20100713071.html2

失礼だが、民主党の落選者は、やっぱり……という感じではないだろうか。
一般に、現役で活躍中の人は、政治家になることを選ばないであろう。
本業と政治家が両立するほど甘くないことをわきまえているからである。
結果として、「昔の名前で出ています」のような人が多くなる。
庄野真代さんや岡崎友紀さんは、芸能オンチの私でも名前を知っている。
しかし、私は彼女らに国政を託す気にはなれない。
多くの有権者が同じ感覚ではないか。

当選した谷亮子さんは、実績も知名度も抜群であり、さすが貫禄である。
しかし、「次のオリンピックでも金を目指す」という発言には批判もある。
果たして、国会議員と現役の選手の両立を図れるのか?
プラス子育ても?
如何にスーパーウーマンといえども難しい、というのが常識というものであろう。
女優業からの引退を表明している三原じゅん子さん(自民党)が、妙に清々しく感じられる。

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