闘病記・中間報告(6)/退院(1)
5月29日(土)に、リハビリ病院を退院しました。
昨年の12月23日に、救急病院に入院して以来、約160日になります。
発症当初は、まったく想定外の事態に狼狽してしまい、情動も不安定でしたが、家族を始め、多くの方々に励ましていただき、何とか退院の日を迎えることができました。
取り急ぎ御礼申し上げます。
転院当初はずいぶん長い間のことになるんだなあ、と覚悟を決めざるを得ませんでしたが、過ぎてしまえばアッという間の出来事のように思います。
まさに「夢幻」の如くなり、という感じです。
しかし貴重な時間を費やしたのは事実ですから、この経験をムダにせず、いささかなりとも今後の「湧源性」の発現に役立てるようにしなければならない、と思いを新たにしています。
もちろん、退院と言っても元通りになったわけではなく、これから後も、外来の患者としてリハビリを続けることになります。
どこまで回復できるかは分かりませんが、今現在は、確実に改善途上であることを実感していますので、「倦まず弛まず」を実践したいと思っています。
もっとも、「倦まず弛まず」は、私が一番苦手としていることですから、気を引き締め直して取り組むことが必要なことも理解しています。
リハビリの過程は、典型的な学習過程です。
できることを積み重ねながら、次第に、できなかったことをできるようにする。
日々の効果は、具体的には実感できないものです。
しかしながら、ピクリともしなかった右足が、いつしか2足歩行が可能なまでに回復しました。
足に比べると、手の回復はずっと緩やかです。
手の筋肉すなわち動きが、足よりもずっと繊細であることの反映ですが、手も少しずつですが回復しています。
学習一般がそうであるように、リハビリには、プラトー(plateau:高原)と呼ばれる時期があります。
いわゆる足踏み状態です。
弁証法でいう「量質転化」に相当するものでしょうが、新しい動きの質を獲得するためには、一定の量の繰り返し練習が必要というわけです。
プラトーの時期をいかに我慢するかは、リハビリに限らず学習上の重要なポイントです。
これからもプラトーの時期はあるでしょうが、「リハビリは裏切らない」を信じて努力を続けるつもりです。
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