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2010年4月25日 (日)

「恐竜の脳」の話(1)最近の政局をめぐって

リハビリ病院における私の主治医は、西大條学(ニシオオエダマナブ)というドクターである。
西大條先生の書かれた本に、『「恐竜の脳」で生きる/野生への回帰が人を強くする』太陽企画出版(9310)がある。
将棋の米長邦雄氏との対論「勝負と国家と脳と人生」(掲載誌不明)のコピーを頂き、簡単に読後の感想を述べ、他にも読んでみたいのだが……、と申し出たところ、上掲書をプレゼントされた。

「まえがき」から、同書の意図と思われるところを引用すると、以下の通りである。

 人間の脳は単純にいうと新しい脳(新皮質、つまり人間の脳)と古い脳(脳幹、旧皮質、つまり恐竜や爬虫類、哺乳類の脳)の二つに分けることができます。
 現在のような、世界経済が歴史的に大きく変化する時代は、新しい脳で編みだされた経済学では限界があり、古い脳の働きを考慮に入れなければ何もみえてこないという考えを示したのです。
 そして、それは経済だけではなく、政治、文化、家族、健康など人間のすべての営みについて問い直さなければならない問題でもあります。というのも、近代文明は、理性や知性を司る新しい脳を追求することによって、今日のような進歩した社会を作りだし、物質的には恵まれた反面、人々は心の豊かさを失い、ストレスの洪水の中で溺れかかっているという状況を作りだしたからです。
 これは、新しい脳に偏り過ぎた結果です。いま必要なのは、これまでないがしろにしてきた古い脳を見直すことなのです。

93年10月という発行時点からして、本書が書かれたのは、バブル崩壊後、「そのうち回復するさ」とタカを括っていた経済状況が、どうも意外と深刻なものらしい、と皆が本気でalternativeな道を求め始めた頃といえよう。
本書は、それに答えようとする試みと言ってよい。
もちろん、近代文明の行き詰まりを打開しようという試みは、本書もそうしているように、地球史的なパースペクティブを踏まえることが求められる。
いわば、人の生涯を越えるテーマであって、誰にも正解か否かを確認することができないものである。
にもかかわらず、問題の存在に気づいた人は、真剣に考えざるを得ない。
提示されるのは、すべて「仮説」に過ぎないが、説得的(論理的整合性、科学的裏付け、感情を揺り動かす力など)で、具体的(日々の生き方の指針になるような)なものが望まれる。

「恐竜の脳」の理屈は、最近の政局を考える上のヒントになりそうである。
去年の総選挙で、国民は長年の自民党政治に終止符を打つ選択をした。
それからほぼ8ヶ月が経ったが、圧倒的な期待の下に誕生した民主党政権は、いまや末期的様相である。
その原因は、やっぱり鳩山総理と小沢幹事長という二枚看板をめぐる「政治とカネ」の問題が大きいであろう。
たしかに、この問題はまったく説明不足のままである。
むしろ、説明ができないまま、と言うべきであろうか。
私も、「政治とカネ」の問題はクリヤーにすべきであるとは思う。
しかし、ここでは西大條学ドクターの「恐竜の脳」の話を援用して考えてみよう。

現在の民主党は、比較的開明的な思考の持ち主から、古い自民党の体質を引き継いでいるメンバーまで、まさに混成集団である。
混成は、政権奪取の不可避の条件であった。
すなわち多数派の形成が必要条件であり、そのためには小異を捨てて大同に就かなければならないからである。
すなわち混成集団の誕生である。

さまざまな思考と態度が存在する中で、世論的には、小沢一郎氏に不人気が集中しているようである。
この点でも、鳩山総理は存在感が薄い。すなわち政治家としての迫力に欠ける。
ワシントンで開かれた核セキュリティ・サミットに際し、オバマ米大統領とわずか10分程度の非公式会談しか持てなかったことについて、ワシントン・ポスト紙が、「哀れでますます愚かな日本の首相」と報じたと伝えられている。
核の問題は、唯一の被爆国である日本が、特にリーダーシップを発揮すべきテーマである。
国辱ものと言うべきこの表現に対し、4月21日の谷垣自民党総裁との党首討論の際に、みずから「私は愚かな首相かもしれない……」と追認してしまう。
まさに宇宙人。常人には理解不能である。
討論相手の谷垣氏も、絶句ということだったようである。

しかし、民主党の危機の本質は、違うところにあると思う。
すなわち、開明的に見える人たちの方が、本当は危ういのではないか。
総選挙で民主党に投票した人の多く、いわゆる無党派層は、「新しい脳」にシンパシーを感じているように思われる。
民主党の大勢もまた、「新しい脳」で占められている。
鳩山総理自身が計数工学の出身(東京大学工学部、専修大学助教授等)であるが、菅副総理兼財務相大臣(東京工大理学部)、平野官房長官(中央大学理工学部)、川端文部科学大臣(京都大学工学部)なども、出身は理科系である。
今までにない理系に強い内閣と言われたこともあった。
すなわち「新しい脳」dominantな体制である。
そして、そうである限り、本質的に現在の状況には耐え得ないのではないか。
現在の危機は、技術文明にしろ、金融にしろ、数理のみで成果を追求してきた結果である。
リーマンショックもトヨタのリコール問題も、根っ子はそこにあるのではないか。

混迷する民主党に対して、自民党も混乱を極めている。
私は、基本的には、自民党は森喜朗氏の内閣で終わっていたと思う。
小泉純一郎という狂い咲きした徒花の残照で、安倍、福田、麻生と引き継いだが、もはやそれまでであった。

先日、与謝野馨氏や平沼赳夫氏らによって「たちあがれ日本」という新党が結成された。
石原慎太郎東京都知事らも加わって、なかなか賑やかである。
「文藝春秋1005」に、与謝野馨氏と新党の幹事長に就いた園田博之氏が連名で、『「たちあがれ日本」結党宣言』という一文を寄せている。

日本を没落の道へ導こうとしている民主党政権を打倒するため、我々は自由民主党を離党して、新党「たちあがれ日本」を結成することを決めた。閉塞した日本を再び活気のある国に再生させ、国民が安心して生活できる国にするためには、我々には新しい旗を掲げてこの国の危機を救う使命があると確信したからだ。

その意気やよし、というべきであろうか。
あるいは、「恐竜の脳」の本能的危機感の現れというべきであろうか。
しかし、中心になっているメンバーに、日本の国の再生を託したいと思う人は、ごく限られた層に過ぎないだろう。

この他にも、山田宏杉並区長を党首とする「日本創新党」、橋下徹大阪府知事を代表とする「大阪維新の会」、舛添要一前厚生労働相を党首とする「新党改革」など、新党運動が、まさに雨後の筍の如く簇生しつつある。
いずれかが、本当に日本の国の再生を担うことになるのであろうか?
あるいは、それは未だ姿形を見せていないのであろうか?
いずれにせよ、「古い脳:恐竜の脳、哺乳類の脳」と「新しい脳:人間の脳」のバランスがとれたものであることが必要条件となるだろう。

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