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2010年4月18日 (日)

闘病記・中間報告(4)初動対応と救急車の是非

脳卒中は、発症後、時間が経過するにつれて重症化する(木村彰男監修『図解 脳卒中のリハビリと生活』主婦と生活社(0805)。
だから、不幸にして脳卒中の発症を認識したら、なるべく早く治療を受けることが重要である。
早ければ早いほど、脳のダメージは少なくて済み、救命や後遺症の軽減を図ることができる。

従って、一刻も早く救急車の世話になるべきである、というのが一般的な考え方であろう。
しかし、私たちくらいの世代には、多分に、私用(?)で救急車を呼ぶことをはばかる気持ちがあるのではなかろうか。
私自身、発症時に、そもそも自分が脳梗塞に襲われているという認識もなかったが(ずいぶんとノーテンキな話だ)、自分が立ち上がることができなかったにも拘わらず、救急車を呼ぶという発想がなかった。
また、実際に携帯電話をかけるまで、自分が発話が困難な状態にあるとも思わなかった。
頭の中では、正常な発話をしていたからである。

その日、妻が仕事で外出していて、連絡がつきにくい状況であることが頭にあった。
そこで、結婚して隣の市に住んでいる娘に、先ず電話しようと思った。
何が幸いするかわからない、と言うべきであろう。
それが、結果として、致命的なダメージを避けることに繋がったのだ。
もし、妻が容易に連絡できる状態であれば、妻に迎えに来るように依頼したことだろう。
そして、妻はおそらく自分で迎えに来たであろう。
その結果、診察を受けるのが、相当遅れたと思われる。
家で一緒にいたとしても、おそらくは救急車を呼ばないで、自分たちだけで何とかしようと考えたことだっただろう。

実際、私の知人は、脳梗塞の発作の後、奥さんの運転する車で病院に行った。
外来患者として順番待ちをしている間に、決定的な時間が徒過していったのではないか、と思われる。
結果的に、寝たきりの状態になり、意思表示もままならない闘病生活を経て亡くなった。
もちろん、速やかな治療を受けていたとしても、結果は分からないのではあるが、救急患者の扱いを受けていたら、ひょっとして違う結果だったのではないか、という気持ちを拭いさることができない。

私の場合は、辛うじて娘に事情を説明することができ、大体の様子を察知した娘の判断で救急車を手配した。
救急車で搬送されたため、順番待ちをすることもなく、直ちにMRIなどによって、症状の程度を判断することができ、集中治療室にて血栓溶解などの措置を受けることができた(らしい)。
血栓溶解は、発症3時間以内であれば効果的であるという。

私の正確な発症時刻は分からない。
しかし、朝の9時頃は、自分で運転していたので、未だ発症していないと思われる。
9時30分頃、パソコンのマウスが妙に重く感じられたことを覚えている。
私が多少の医学的知識があったら、当然脳の異変を疑うであろう。
しかしその時は、コードがどこかに引っかかっているのかな、と思い、机の周りを注意してみたりして、特段の異常がないことを確かめ、「おかしいな、気のせいかな」などと、未だ深刻に考えなかった。
その直後のことである、歩行しようとして倒れたのは。
およそ9時40分頃である。
自力で立ち上がろうと試みて、どうしても立てないことを自覚して、娘に電話したのが10時前後のはずである。
なにぶん、自分が普段通りに発話できないことを知り、気が動転していたので、正確性には自信がないが、通話記録からしてもおおよそ以上のようである。

10時半頃には病院に運ばれ、12時頃には血栓溶解措置を受けたのではないだろうか。
とすれば、発症後2時間半程度であり、ぎりぎりの時間であったことになる。
もし、家族が自力で病院に連れていこうとしたら、治療開始までに、ゆうに3時間は超えていたであろう。
だから救急車の威力は大きい、と思う。

しかし、救急車で運ばれればいい、というものでもないという意見がある。
栗本慎一郎『脳梗塞になったらあなたはどうする』たちばな出版(第1刷0105/第7刷0903)には、以下のようにある。

救急車は呼ばないこと。救急車の隊員は、これはきっと脳梗塞だからA病院がいいと分かっていても、そういう判断をしてはいけないことになっている。そしてあらかじめ場所ごとに決まっている救急病院に貴方を運び込むことしか出来ないのである。

私の場合は、(私の空耳でなければ)、「脳の異常の可能性があるから、そういう検査ができる病院に運びます」と救急隊員が言っていた。
明らかに、栗本氏の上記の記載とは異なる。
わが救急隊員は、自分に許された裁量の範囲を守らなかったのだろうか?
それとも、救急隊員の服務規程は、地方自治体によって異なるのだろうか?
あるいは、栗本氏が原稿を書いた時点から制度の改変等があって、救急隊員が一定の範囲で裁量できるようになったのか?
はたまた、私の症状が誤解のないほど、典型的なものだったのだろうか?

いずれなのかは分からないが、私は、救急隊員の判断に感謝している。
もし、あらかじめ定められていた病院が別にあって、そこにMRIなどの診断機器がなかったら、ダメージがどの程度であったのか?
想像もしたくないことである。

私の体験からは、脳卒中の疑いがあると思ったら、迷わず救急車の世話になるべきである。

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コメント

少しずつ快方に向かわれておられることに感動しております。
生きていることを意識させて頂いているブログが、切れ目なく続けられるように早く回復されますことを祈っております。

投稿: 成田哲也 | 2010年4月20日 (火) 20時25分

成田哲也様

有り難うございます。
お蔭様にて、徐々にではありますが回復しつつあります。もとよりどこまで回復できるかは分かりませんが、「リハビリは裏切らない」という言葉を頼りに努力したいと思っています。

投稿: 管理人 | 2010年4月25日 (日) 09時43分

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