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2009年12月17日 (木)

「天皇の政治利用反対」という錦の御旗

12月15日に、天皇陛下が、中国の習近平国家副主席と会見した。
習氏は、胡錦濤現主席の後を継ぐ人物と目されているが、中国のことだからこれから何が起きるか予測不能である。
しかし、中国の国家的要人であることは間違いないようだ。
この会見の日程の調整をめぐって、論議が紛糾している。

民主党政権が、「30日ルール」を破って無理矢理日程調整したのではないか?
天皇の政治利用に相当するのではないか?
あるいは、中国に媚びる朝貢外交ではないのか?
逆に、宮内庁は政権交代して、政治主導になったことに適応していないのではないか?

どうやら、世論は鳩山内閣を操縦しているように見える小沢幹事長の剛腕(というよりも傲慢)ぶりに対する批判が多数派のようである。
私も、小沢幹事長の挙動について、いささか不遜の度が過ぎるように感じるのは事実である。
しかし、小沢氏や鳩山総理に対する反発も、感情論が先行しているのではなかろうか。
例えば、「週刊文春091224」号の特集記事は、『小沢も鳩山は天皇陛下に土下座して謝れ』と銘打たれている。
これでは、「天皇の政治利用反対」を錦の御旗として振りかざしているのではないか、という気がする。

もう少し冷静に問題の所在を探ってみよう。
もちろん、私には現時点で論点を俯瞰できる知見も、また特別の情報があるわけでもない。
しかし、ごく図式的にいえば、天皇制に対する共同幻想が、基層の部分で分裂しつつあるのではなかろうか。
多くの国民の、小沢氏等に対する反発は、2000年の伝統ともいうべき共同幻想に基づくものだろう。
極論すれば、「天皇は神聖不可侵」である。

一方、戦後民主主義の申し子とでもいうべき現在の民主党の執行部は、天皇制に対して、よりプラグマティックな構えではなかろうか。
それは明治維新時の薩長の志士たちのようでもあり、昭和前期の石原莞爾らのように、である。
要するに、天皇は「玉」である、という位置付けである。

今回の天皇陛下と習副主席との会見は、客観的に見れば、中国の政治的思惑と、民主党の政治的思惑との落着点である。
現在の日本国憲法では、冒頭で天皇について、次のように規定している。

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
つまり、現在の日本の「国体」は「象徴天皇制」である。
しかし、この「象徴天皇制」というものが、いささか分かりづらい。
そして、「国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要」とする、とある。
責任は内閣にあるのである。
そして「国事」については、次のように規定されている。
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
……
9.外国の大使及び公使を接受すること。
10.儀式を行ふこと。
今回の論議の現象的な問題点としては、第一に「30日(1カ月)ルール)」と呼ばれるルールをめぐる問題がある。
私は、今回の問題が起きるまで「30日ルール」というものの存在を知らなかった。
それは、次のようなことである。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20091214-575796.html

外国要人が天皇陛下との会見を希望する場合に、1カ月前までの正式申請を求める日本政府の慣例。公務多忙な平価の日程調整を円滑に行うのが目的で、1995年に文書で定められた。特に2004年以降は、前年に平価が前立腺がんの摘出手術を受けられたこともあり、厳格に守るよう徹底してきたとされる。

問題は、このようなルールが存在したとして、その運用に関してのルールが明確でなかった、ということではなかろうか?
このルールを運用するのは宮内庁なのか、その上位機関として内閣があるのか?
何でもかんでもルール化すればいい、というものではないとは思うが、これは最終的な判断を誰が行うかという職務分掌を明確化すればいい問題だと思う。

第二は、中国副主席との会見は憲法に規定する国事行為ではないので、「内閣の助言と承認を必要とする」という憲法の規定を持ち出すのは筋違いである、という点である。
確かに、天皇の国事行為は限定列挙されていて、「外国の大使及び公使を接受すること」は挙げられているが、「要人」について規定されてはいない。
そして、要人との接受などは、「公的行為」という区分けになるらしい。

小沢氏が憲法について認識不足であるかのような批判がある。
しかし、天皇の公的な活動について、国事行為か公的行為かを論じることは、余りにも文言に囚われたもの言いではないだろうか。
小沢氏の発言は、言葉の表面的な解釈からすれば、誤解である。
しかし、法の精神ということを考えた場合、「国事行為」と「公的行為」を厳密に区分して考えることが妥当であろうか。
私は、外国要人との接受についても、「内閣の助言と承認を必要とする」という国事行為に関する規定は準用すべきではないかと思う。

第三は、今回の会見が、「天皇の政治利用」に相当するか否か、という点である。
これにはさらに2つの側面がある
1つは、会見自体が「天皇の政治利用」なのか否かという問題であり、もう1つは「30日ルール」との関係で政治利用なのか否かという問題である。
後者については、「30日ルール」についての「運用のルール」の問題なので、これについては、ルールを明確化するということで決着するだろう。

前者についてはどうか?
私は、日本国憲法の第一章が「天皇」となっている以上、国事行為であるか公的行為であるかを問わず、公人としての天皇の行為は、政治的効果を持つものだと思う。
そもそも、今回のようなことが問題化すること自体が政治的効果の反映ではないだろうか。
だから、天皇の公的な行為については、「内閣の助言と承認を必要とする」ということを原則だとすべきだと考える。

羽毛田長官は、皇太子にさえ苦言を辞さない人と言われる。
だとしたら、「30日ルール」を守るべきだと考えたのならば、職を賭してでもそうすべきだったのではないだろうか。
私は、小沢幹事長の傲慢さに組する気持ちはないが、「天皇の政治利用反対」を錦の御旗とする人たちもいささか感情論が先行しているように思う。

問題は、「象徴天皇制」をどう捉えるか、というところにあるように思う。
私たちは、戦後と呼ばれる時間を、巧妙に問題を先送りして曖昧に過ごしてきたのではないだろうか。
それも限界に近づいているように感じる。
2010年は、天皇制と憲法について、大いに論議が起きてくる年のような予感がする。

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コメント

お久しぶりです

近頃、日本の首相は小沢さん?って感じの動きが目立ちますね。
鳩山首相にも小沢幹事長のような「凄み」?があればいいのかと思いますが・・「友愛」だけでは優し過ぎるような・・・。
30日ルールなんてあったんですね。私も今回初めて知りました。

P.S. こちらは大雪で、寒くて死にそ〜です
・・・そちらは今朝からなんだか心配ですね・・・。

投稿: RYOKO | 2009年12月18日 (金) 14時38分

本当にお久しぶり!
コメント有り難うございます。
朝から(夜から?)大揺れ。日本の国全体もそういう感じですが……。
いつか、一緒に雪景色を見ながら熱燗で……
なんて日があるでしょうか?

投稿: 管理人 | 2009年12月19日 (土) 03時06分

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