母集団と標本/「同じ」と「違う」(19)
旧日債銀の粉飾決算事件について、判断が最高裁から高裁へ差し戻された。
粉飾決算事案は、あたかも「浜の真砂」のごとく絶えることがない。
当然のことながら、数が多くなってくると、統計的方法が有効になる。
須田一幸、山本達司、乙政正太編著『会計操作―その実態と識別法、株価への影響』ダイヤモンド社(0706)は、会計操作の調査に統計学を応用し、定量的な分析を試みている。
編著者らによれば、会計操作という事象に関して、多くのサンプルを用いて、普遍的な説明を試みた本邦初の著書である。
巻末に、Appendixとして統計の解説が載っている。
そこで先ず取り上げられているのが、「母集団と標本」である。
統計的な調査方法には、全数調査と標本調査がある。
全数調査は、悉皆調査ともいわれ、調査対象のすべてについてデータを入手する調査法である。
国勢調査などがこれに相当する。
標本調査は、調査対象から一部のサンプルを抜き出して、それについて統計分析を行う。
その結果に基づき、もとの調査対象の特徴を分析するわけである。
その調査対象が母集団であり、分析を行うサンプルが標本である。
全数調査は、母集団と標本が一致した調査方法ということもできる。
マーケティングなどにおける調査は、標本調査が一般的である。
それは、以下のような理由による。
①母集団全体のデータを入手することが不可能である。
②母集団全体のデータを収集するための時間とコストが、調査目的に照らして合理的でない。
選挙結果の予測なども標本調査の事例といえよう。
直接民主主義においては、選挙結果は、棄権も含め、母集団(有権者の全体)の特性を表現したものである。
これに対し、マスメディア等によって流される選挙予測は、ある限られた標本をもとにしたものである。
私などは、この予測について、「標本が本当に母集団を代表しているのだろうか?」という疑問を抱くことがしばしばある。
つまり、標本の採取に偏りがないのかどうか、という疑問である
たとえば、母集団の平均値を知ろうとする調査の場合について考えてみよう。
全数調査では、「標本=母集団」であるから、標本平均と母集団の平均値は、かならず一致する。
一方、標本調査の場合には、標本の採り方によって平均値のデータが変動する。
その標本変動は、下図のように、一定の確率的な分布をしている。
母集団から標本が無作為抽出されていれば、標本分布を使って母集団の性質を推論することの妥当性が、一定の確率で保証される。
つまり、標本調査は、確率概念によって説明されるものである。 たとえば、「95%の確率で、母集団の平均値はある一定の範囲にある」などというような形での主張となる。
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