「卑弥呼=天照大神」説の否定論(1)天皇の在位年数
『魏志倭人伝』に描かれた「卑弥呼」像と、『記紀』の「天照(御)大神像」とには、類似した要素が多いことは事実だろう。
しかし、問題は、3世紀中ごろに死んだと想定される「卑弥呼」が、神武天皇より5代前とされる「天照大神」と、年代的に重ならないのではないか、ということである。
この問題に、数理統計学という斬新な手法で「解」を与えたのが、安本美典氏であった。
2009年11月26日 (木):卑弥呼の死(7)天照大御神の年代観
ところが、この安本氏の推論とその結論は、謬論であるとする人がいる。
坂田隆『卑弥呼をコンピュータで探る-安本美典説の崩壊』青弓社(8511)は、タイトルが示しているように、コンピュータによる推論によって、安本美典氏の説を全面的に否定したものである。
巻末に坂田氏が用いたコンピュータ・プログラムが掲載されている。
坂田氏は、京都大学の工学研究科の修士課程を修了後、仏教大学文学部史学科で学士号を取得した人で、履歴的にも数理的な推論は得意であると自負している。
坂田氏は、史学界においては正統的な研究者としては位置づけられていないのであろうが、日本古代史における有数の論客として多くの著書を出されている。
邪馬台国の位置論に関する坂田氏の推論についてレビューしたことがある。
2009年1月 6日 (火):珍説・奇説の邪馬台国・補遺…⑥「田川郡・京都郡」説(坂田隆)
坂田氏の安本説非定の論理をみてみよう。
坂田氏が問題にしているのは、安本氏の年代論である。
安本氏は、邪馬台国論に関して数多くの著書を出されているが、坂田氏が対象としているのは、先ずは『新考邪馬台国への道-科学が解いた古代の謎』筑摩書房(7706)である。
安本氏は、天皇の平均在位年数を検証し、ある天皇の即位の年代を、天皇の「代」の数から推論するという方法を採用した。
もちろん、天皇の在位年数は、個々の天皇によってまちまりである。
下図は、用明天皇から大正天皇までの在位年数をグラフ化したものである。
即位や退位の時期などが、歴史的な事実として信頼できるのは用明天皇の頃から以後であろうという前提である。
グラフではあまり明確な傾向は読み取れないが、安本氏は、時代別に天皇の在位年数を平均し、あるいは世紀別に平均して、時代を遡るに従い、天皇の平均在位年数は短くなるという傾向を発見した。
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