「卑弥呼=天照大神」説の否定(2)n代違う天皇の時間差の推定
安本美典氏は、『新考邪馬台国への道-科学が解いた古代の謎』筑摩書房(7706)において、歴代の天皇の在位年数のデータから平均値と標準偏差を算出している。
つまり、第31代用明天皇から大正天皇までの98天皇の平均在位年数は14年であり、用明天皇から第49代光仁天皇(奈良時代の最後)までの平均在位年数は約10年である。
安本氏は、用明天皇から光仁天皇までの値を、古代の天皇の一般的な在位年数と標準偏差とすれば、2人の天皇の時間的距離を、平均在位年数にその間の代数nを掛けることによって求められる、としている。
そして、平均値と実際の時間とは当然差異がある。
推定する時のこの差異は誤差であり、標準偏差から計算できる。
安本氏は、用明天皇から光仁天皇までの平均在位年数と標準偏差を用いて、n代違いの天皇の時期の推計値と誤差の幅を、95%、99%の信頼度という形で、表のように算出している。
これをグラフ化すると、次図のようになる。
1代前の場合には、平均在位年数の10.35年に、±16.27年の幅をみておけば、95%くらいの確からしさ(つまり、100回のうちの95回くらい)でその範囲に収まる、ということである。
用明天皇の即位年を正しいものとして、その10代前の雄略天皇の即位年を推定する場合には、95%の信頼度だと、52.06~154.94年前、99%の信頼度だと、35.78~171.22年前ということになる。
安本氏は、雄略天皇の実際の即位年は不明であるが、雄略天皇が通説通り「倭王武」であるとすれば、478年に宋へ使いを出したことが『宋書』に記されている。
用明天皇の即位年を通説通り、西暦585年とすれば、雄略天皇の推計即位年は、95%の信頼度で、430.06年~532.94年であるが、上記の宋への使いからして、即位年がこの範囲において即位していることはほぼ確実である、としている。
即位年の推定値は、481±51.44年(95%信頼度)として表わされるが、481年は上記の478年ときわめて接近した値ということになる。
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