卑弥呼の死(6)敗戦責任と皆既日食
井沢元彦氏は、『逆転の日本史』などのシリーズで、歴史の見方に新しい視点を提供している作家である。
『猿丸幻視行』講談社文庫(新装版・0712)や『隠された帝―天智天皇暗殺事件』祥伝社文庫(9702)については、既に触れたことがある。
2008年7月22日 (火):偶然か? それとも…④幻視する人々
2008年5月16日 (金):「日本国」誕生
井沢氏は、『逆転の日本史(1)古代黎明編』小学館文庫(9712)において、「卑弥呼の死」について、松本清張の敗戦責任による他殺説と皆既日食とを結びつけた解説をしている。
井沢氏は、日本の歴史学の三大欠陥として、次の3つを挙げる。
1.史料至上主義だが、当たり前のことは史料に残りにくい
2.歴史における言霊の影響の過小評価
3.呪術的側面の無視ないし軽視
井沢氏は、「卑弥呼の死」は、呪術的側面を評価すべき代表例であるとする。
呪術的側面とは、言い換えれば怨霊信仰の側面である。
例えば、『記紀』の神話に登場するオオクニヌシである。
井沢氏は、オオクニヌシあるいはその有力なモデルは実在したはずだ、という。
それは大和朝廷に抵抗した先住民族の王でる。
大和朝廷は、これを滅ぼしたために、この人物の怨霊を恐れた。
あるいは、祭祀を絶やすことによって怨霊化することを恐れた。
それが、天皇の宮殿の御所や国教の神殿である東大寺よりも、オオクニヌシを祀る出雲大社が「大きな」建物である理由である。
井沢氏は、「卑弥呼の死」が、狗奴国との戦いに敗れたことによる敗戦責任であるとする松本清張説を是とする。
古代人の考え方によれば、天災も基金も疫病も、すべて王者の責任である。
天災が王者の責任であるから、まして戦争などの人災については当然責任を問われる。
現人神である卑弥呼は、戦争の敗北責任を取らされて「処刑」された。
つまり、王者の不徳であり、「祭祀者としての王の霊力の衰えが敗戦を招いた」という考え方である。
卑弥呼が敗戦責任を問われたのは、おそらくは致命的と思われるほどの大敗北を喫したためであろう。
それは単なる小戦闘における敗北ということではないはずである。
邪馬台国の屋台骨をゆるがしかねない大敗北であったと考えられる。
井沢氏は、元東京大学理学部教授の斎藤国治氏の古天文学の成果を引用する。
斎藤氏は、『記紀』神話における天照大御神の岩戸隠れが、皆既日食のことではないか、と考えた。
天照大御神は、その名前が示すように「太陽神」である。
つまり、彼女が姿を隠すと世の中は急に真っ暗になってしまう。
斎藤氏は、天照大御神の岩戸隠れの神話が、皆既日食のことではないかという仮説を立て、日本の古代における皆既日食の事例を探索した。
その結果、248年9月5日に皆既日食があったことを見出した。
井沢氏は、卑弥呼は、人の名前ではなく、王者の称号なのだろうとする。
王者については、その本名をみだりに口にしないはずだからである。
卑弥呼については、その字は意味がない。「ヒミコ」(に近い)音に意味がある。
おそらくは「日御子」か「日巫女」の音を中国人が聞いて、卑弥呼と表現したのだろう。
「日御子」であれば、太陽神そのものの化身、「日巫女」であれば太陽神に仕える巫女だった。
両方の意味に解釈できるということは、両方の意味を兼ね備えていたと考えるのが妥当なのではないか。
つまり、天照大御神の岩戸隠れが、皆既日食がモデルだとすると、それは邪馬台国の女王が死んだ年と一致する。
しかも、『魏志倭人伝』は、卑弥呼の死後、壱与(台与)という女性が跡を継いだとしている。
「岩戸隠れ」が、天照大御神の死と若い女王がその跡を継いだことを、天照大御神の復活という形え神話にしたのではないか。
大和朝廷の成立における最も重要な神話は、3世紀の邪馬台国において実際に起こった事件を投影していることになる。
つまり邪馬台国は大和朝廷の源流であり、天照大御神のモデルは卑弥呼である、ということになる。
それでは、卑弥呼はなぜ殺されたのか?
井沢氏は、松本清張の敗戦責任説と斎藤国治氏の日食現象を結びつけて、それが共に卑弥呼の責任とされたのではないか、とする。
つまり、皆既日食のようなことが起きるのは、卑弥呼の心がけが悪いからで、だから狗奴国との戦争にも負けたのではないか。
空前の大敗北を喫した邪馬台国の人々によって、役に立たなくなった女王は殺された。
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