纏向遺跡と建物跡の復元
纏向遺跡の位置は次の通りである。
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-afd4.html
畿内説論者が卑弥呼の墓ではないかとする箸墓古墳も、纏向遺跡に含まれている。
2009年5月29日 (金):箸墓は卑弥呼の墓か?
また、周辺には、三輪山、大神神社をはじめとして、古代史上重要な遺跡が群集している。
邪馬台国が存在したとされる3世紀ごろにおいて、わが国の政治権力が存在した一級の地域であることは疑いえない。
しかしながら、ここが邪馬台国だったと結論づけるのは早計であろうし、箸墓が卑弥呼の墓とも断定できないと思われる。
いわゆる『魏志倭人伝』には、次のような記載がある。
http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。鬼道に事え、能く衆を惑わす。年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む。王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。
今回確認された建物跡が、この「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」に相当するのではないか、ということである。
ちなみに、黒田龍二・神戸大学大学院准教授による建物群の復元模型は、下図の通りである。
(日本経済新聞11月11日掲載。)
黒田准教授は、図の建物(入母屋造り)の高さを約10メートルと想定している。
果たして、『魏志倭人伝』の伝える卑弥呼の宮室はこのようなものだったのだろうか?
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
「日本古代史」カテゴリの記事
- 沼津市が「高尾山古墳」保存の最終案/やまとの謎(122)(2017.12.24)
- 薬師寺論争と年輪年代法/やまとの謎(117)(2016.12.28)
- 半世紀前に出土木簡からペルシャ人情報/やまとの謎(116)(2016.10.07)
- 天皇制の始まりを告げる儀式の跡か?/天皇の歴史(9)(2016.10.05)
- 国石・ヒスイの古代における流通/やまとの謎(115)(2016.09.28)
「邪馬台国」カテゴリの記事
- 「壹・臺」論争は決着したのか?/やまとの謎(96)(2014.08.25)
- 邪馬台国と金印/やまとの謎(72)(2012.12.20)
- 邪馬台国所在地問題の陥穽/やまとの謎(70)(2012.12.13)
- 魏使の行程のアポリアとしての「水行十日陸行一月」/邪馬台国所在地論(2012.12.07)
- 「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ(2012.11.20)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント