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2009年11月24日 (火)

卑弥呼の死(5)日食との関係

今年の7月22日、日本の陸地では46年ぶりとなる皆既日食が観察された。
トカラ列島など、皆既日食が可能な南の島に大勢の人が押し掛けた記憶は、まだ鮮明である。
私の生活圏では天候があまり良くなく、観測できなかったが、TVの映像を通じて皆既日食を体感することはできた。
090722
写真は、http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4585051236/nifty0b5-nif1-22/ref=nosim

卑弥呼の死は皆既日食と関係があるのではないか、とする説がある。
すでに何回か取り上げているが、 安本美典氏は、現在もっとも活動的な邪馬台国論者といっていいだろう。
「邪馬台国の会」を主宰し、「季刊邪馬台国」の責任編集者である。
もっとも先鋭な反畿内説論者であり、また、数理歴史学という新しい歴史方法論の開拓者でもある。
2008年11月16日 (日):安本美典氏の『数理歴史学』
2008年12月 1日 (月):邪馬台国に憑かれた人…②安本美典と「神話伝承」論
2008年12月27日 (土):珍説・奇説の邪馬台国…⑩「甘木」説(安本美典)

安本氏の基本的なスタンスは、北九州の甘木・朝倉にあった邪馬台国が東遷して、大和朝廷となった、とするものである。
そして、その東遷の伝承が、神武東征の神話のもとになった。
また、卑弥呼の事跡は、記紀神話の中の天照大御神に投影されている。
実在する天皇の台数と在位期間から天照大御神の年代を推理統計的に推測すると、ちょうど『魏志倭人伝』に記載されている卑弥呼の年代に重なる、というのが安本氏の推論のベースである。

そして、安本氏は、卑弥呼の死の前後の西暦247年と248年に、2年つづけて、北九州の上を、ほぼ皆既日食といえる日食が通りすぎており、それが天照大御神の天の岩屋隠れ伝承と関係している、としている。
現代ではコンピュータによるシミュレーションによって、古代の天文現象も再現できるらしい。
安本氏の説を踏まえて、黒岩徹「皆既日蝕が明かす卑弥呼の正体」と題する文章が雑誌「正論09年12月号」に掲載されている。
黒岩氏は、NPO法人日本パラオ協会の理事長を務められており、パラオ共和国との親善に尽力されている人である。

シミュレーションによれば、西暦247年3月24日、北九州地方において皆既日食が起きた。
この日蝕は夕刻に起きて、真黒になった太陽が東シナ海水平線下に沈んでいくというものであった。
約1年半後の248年9月5日、今度は太陽が真黒のまま東の空に昇り、ダイヤモンドリング現象の後、急速に世界が明るくなっていく、という日食が起きた。
247248_2図は、安本美典『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』勉誠出版(0306)。(左が247年、右が248年)。

なお、248年については、奈良県の飛鳥地域でも皆既日食となるが、247年は部分日食だったとされる。
天の岩屋の伝承が日食の神話化ではないか、ということは、江戸時代の儒学者・荻生徂徠も指摘しているという。
すでに、哲学者の和辻哲郎は、1920年刊の『日本古代文化』において、『記紀』と『魏志倭人伝』の記述の一致について、指摘している。
和辻は、天の岩屋事件以前の天照大御神を卑弥呼に、天の岩屋事件以後の天照大御神を卑弥呼の宗女の台与になぞらえている。
言い換えれば、天の岩屋事件は、卑弥呼の死を意味しているということである。

また、白鳥庫吉は、近代の邪馬台国論争の発端ともなった1910(明治43)年に発表した「倭女王卑弥呼考」の中で、『古事記』『日本書紀』の伝える天照大御神は、『魏志倭人伝』の記す卑弥呼の反映であり、天照大御神がいたと伝えられる高天の原は、邪馬台国の反映なのではないか、とする考えを示している。
白鳥庫吉は、邪馬台国=北九州筑後山門説である。
畿内大和に存在した大和朝廷の伝える神話上の事跡が、北九州に存在した邪馬台国についての事実と酷似しているとする白鳥の所説は、大和朝廷の原勢力が北九州にあり、それがのちに畿内に移動したことを示唆しており、安本氏は、のちに和辻哲郎が唱えた邪馬台国東遷説の萌芽がみられると指摘している。

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