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2009年11月29日 (日)

卑弥呼と天照大御神/「同じ」と「違う」(14)

『魏志倭人伝』が記載する卑弥呼は、果たして『記紀』に登場する人物の誰かと同一人物か?
卑弥呼の比定者についてはさまざまな論議があるが、その有力な説として、「卑弥呼=天照大神」説がある。
金田弘之『軍事からみた邪馬台の軌跡』国書刊行会(9903)の、両者の死の状況等に関する検証については既に触れた。
2009年11月27日 (金):卑弥呼の死(8)「天の岩戸隠れ」との関係

金田氏は、「死の状況」以外に、「弟」「部族」「習俗・地名」などの視点から、卑弥呼と天照大神の比較検討を行っている。
1.弟
『古事記』は、「天照大神が岩戸隠れをしたのは、弟の須佐男命の乱暴が原因である」と記載している。
この記述を、金田氏は、天照大神が弟との戦いに敗北して死亡したことを示している、と解釈する。
『魏志倭人伝』は、卑弥呼について、以下のように記述している。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm

鬼道につかえ、よく衆をまどわす。年はすでに長大であるが、夫壻(おっと・むこ)はない。
男弟があって、佐(たす)けて国を治めている。

卑弥呼には弟がいて、、国の政治を助けていたわけである。
金田氏は、卑弥呼は狗奴国との戦争失敗の責任を負わされて、この弟によって殺されたのかもしれない、と推測する。

倭の女王、卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(男王の音を、誤り写したか)とは、まえまえから不和であった。

この部分について、金田氏は、「不和」を「仲たがい」の意味ではないか、としている。
つまり、かつては良く知っていた者同士の争い、同族(兄弟)の争いではないか、ということである。
卑弥呼と卑弥弓呼は、共に当時の倭音を漢音に置き換えたものであるが、文字の構成が良く似ている。
須佐男命と同じように、卑弥弓呼は卑弥呼の弟であったのかもしれない。
弟に敗北した結果、殺害されたのではないか、というのが金田氏の推測である。
卑弥呼と天照大神には、共に「弟」が存在し、この「弟」が政治的あるいは軍事的な影響力を行使していた、という共通性がある。

2.部族
『古事記』の天の岩戸隠れの記述は、天照大神が死んで国中が乱れ、部族同士で争いを始め、死者が出た。
天照大神が再び擁立されると、争いがおさまって、世の中が明るくなった、と解釈可能である。
つまり、「太陽を崇拝する女王(巫女)としての力を再び取り戻した」ことを示すものだろう。

金田氏は、天照大神は死んだと考えるので、再び現れたのは別の神(女王)であったとする。
八百万の神(部族の首領)が集まって協議をした結果、あらたな神(女王)を擁立したのであろう。
一方、『魏志倭人伝』の記述は以下の通りである。

あらためて男王をたてたが、国中は不服であった。こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺し (あっ)た。
(倭人たちは)また卑弥呼の宗女(一族の娘、世つぎの娘)の壱与(台与。『梁書』『北史』には、台与[臺與]とある)なるもの、年十三をたてて王とした。国中はついに定まった。

『古事記』の「八百万の神(部族の首領」と、『魏志倭人伝』の邪馬台国連合の30か国(部族の首長)が同一の意味であったと考えれば、内容はほとんど一致している。

3.習俗・地名
『古事記』は、「困った八百万の神は天の安の河の河上の堅石をとり……天の香山の真男鹿の肩骨をぬきこれを焼いて占った」と記述している。
つまり、世の中が内乱状態に陥って、困った部族の首長たちが天の安の河原に集まって神だのみをした……天の香山の鹿の骨を焼いて占いを行ったわけである。

一方、『魏志倭人伝』には、以下のような記述がある。

その(風)俗に、挙事行来(事を行ない、行き来すること、することはなんでもあまさずすべて)云為(ものを言うこと・行うこと)するところがあれば、すなわち骨をやいてトする。そして吉凶をうらなう。

つまり、3世紀の倭では、困ったときやもめごとを解決する場合には、動物の骨を焼いて吉凶を占っていたのであり、この点でも、『古事記』の記述と『魏志倭人伝』の記述は一致している。

『古事記』の描く「安」や「香山」という地名は、どこを指しているのだろうか?
筑後川中流域の福岡県朝倉郡に「夜須町」という地名がある。
この夜須町から弥生時代の土器が出土し、線刻の鹿の絵が見られた。
夜須町の西方約8kmのところ(筑紫市)に、天拝山という山がある。
朝倉町の高山には、戦国時代に「香山城」があった。
また、『万葉集』では、香久山を「高山」と書き、「カグヤマ」と読む例がある。
つまり、「高山」を「カグヤマ」と読んだ可能性があり、『古事記』の「香山」は朝倉町の高山を指していたのではないか。

金田氏は、卑弥呼と天照大神を表のように対比させ、天照大神と卑弥呼が同一人物であるとする仮説は肯定できるものである、としている。
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