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2009年11月21日 (土)

卑弥呼の死(2)水野祐氏の解説

「卑弥呼以て死す」の書き方がやや唐突であると書いたが、『魏志倭人伝』の詳細な評釈書である水野祐『評釈・魏志倭人伝 』雄山閣(8703)(新装版(0412))は、「前文からこの文に接続するのに何か途中の文章が欠落しているようで、文脈がスムーズにつづかない」としている。
水野祐氏は、有名な古代王朝三交代説を唱え、戦後の古代史や天皇制研究に大きな影響を与えた人である。
ちなみに、三王朝は、崇神、仁徳、継体の各王朝であり、天皇は万世一系ではない、ということである。
2008年5月10日 (土):三王朝交替論

『魏志倭人伝』では、女王国と狗奴国との抗争に関連して、郡使張政らが来て調停にあたり、檄をもって告諭したとあるが、その告諭によってどういう結果になったのかが存在せず、いきなり「卑弥呼の死」が述べられている。
それをどう解するべきか?
水野氏は、卑弥呼の死について、次の2つの考え方があり得るとする。
1.卑弥呼の死は直接この告諭につながるものである
2.前段の文章と「卑弥呼以て死す」とは因果関係はなく、別の文である

つまり「卑弥呼以死大作冢」を、「卑弥呼死するを以て、大いに冢を作る」と訓じれば、「卑弥呼が死んだので、大いに卑弥呼の墓を作った」ということになるが、「卑弥呼以て死す。大いなる冢を作る」と訓じれば、卑弥呼は告諭を受けたことで死んだという意味になる。
また、前記したように、「以」を「すでに」と訓じる内藤湖南(虎次郎)のような説もある。

水野氏は、「卑弥呼死するを以て、大いに冢を作る」説である。
檄の内容については一切不明であるが、水野氏は、『漢書』の類似用例から類推して、次のようなものであっただろうとしている。

魏は属国同志がみだりに事をかまえ私闘を演じ、干戈をとって互いの主権を侵犯することを禁じている。しかるにいま女王国と狗奴国とは、ともに天子に朝献した服属国であるにかかわらず、ほしいままに干戈をとって交戦し、わが禁令を破った行動にでている。誠に許しがたいことである。速かに戦を納め、互いに和睦し、即時停戦した上、おのおのの主権を侵すことなく旧態にもどせ。もしこの命に従わず、なお戦争を継続するならば、攻撃する者を魏は敵国として断乎として征伐の師をさしむけるであろう。

告諭の結果については本文には記載がないが、水野氏は、魏が黄幢(将軍旗)を下したことは、きわめて有効だった。
もし、張政に反抗すれば、それは魏に対して戦いを挑むことになる。
女王は「親魏倭王」であるから、狗奴国もただ女王国を相手にするのではなく、背後に控える魏をも相手とすることになる。
そのため、強勢で有利に作戦を展開していた狗奴国も、和睦に応じる方が得策だと判断することになって、檄文による張政の調停策は成功した。

告諭を受けて、狗奴国と女王国の間の停戦が成立したことは、卑弥呼が交戦中に死んだのではなく、告諭を受理して、停戦に踏み切り、狗奴国王も承諾して停戦が死んだことを意味している。
つまり、卑弥呼は和平が訪れたときに死んだのである。
水野氏は、次のようにいう。

卑弥呼は決して檄を受け、告諭を受けたために死んだのでも、まだ抗戦中に死んだのでもなく、また一部にいわれているように、卑弥呼が狗奴国との交戦中に、巫として女王国軍の先頭に立って指揮をしていて戦死をしたというのでもない。卑弥呼は決して戦場などには出ず、ひたすら宮殿内の斎場において戦勝の祈念に余念なく、激しい業をつづけて敵国伏滅の祈りを捧げていたはずである。卑弥呼は老齢であったが、女王として連合体の守護にあたる巫王としては、彼女の全能力をあげて敵国を撃滅して自国を防衛する全責任を負わされているのであるから、激しい荒業をつづけて祈願をつづけていたのである。そして和平が成立した。卑弥呼もホッとした。その時にそれまでの疲労が出て、過労の老巫はそのために安堵して死んだか、あるいは戦勝を得られなかった責任をとって自ら死の道を選んだのであろうと思う。

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