卑弥呼の死(7)天照大御神の年代観
卑弥呼が『記紀』に描かれている女性の誰に相当するか、ということは古くから考えられてきた問題である。
『日本書紀』において、神功皇后紀に魏志の文章が引用されている。
http://www.j-texts.com/jodai/shoki9.html
四十年。魏志云。正始元年。遣建忠校尉梯携等、奉詔書・印綬。詣倭国也。
四十三年。魏志云。正始四年倭王復遣使大夫伊声者・掖耶約等八人上献。
つまり、『日本書紀』の編纂者たちは、神功皇后を『魏志倭人伝』に見える倭王とみなしたのではないか、ということになり、「卑弥呼=神功皇后」と考えられていた。
一方で、『魏志倭人伝』に描かれた卑弥呼と、『記紀』に描かれた天照大御神の姿がきわめて類似していることが、白鳥庫吉や和辻哲郎などによって指摘されていた。
問題は、辛酉(紀元前660)年に即位したとされる神武天皇との系譜関係からして、年代観が合わないことであった。 系図は、Wikipedia(最終更新 2009年11月18日 (水))。
この問題に、推測統計学の手法によって、鮮やかな解を与えたのが安本美典氏であった。
安本氏は、ある人物の活躍した時期やある事件のおきた年代を知ることができれば、他の文献や考古学上の成果などと比較検討することができるので、「年代」についての枠組みを設定することが、古代史を考える場合の根本である、とする。
安本氏は、『倭王卑弥呼と天照大御神伝承』勉誠出版(0306)において、明治年間の那珂通世の行った年代論を評価しつつ、那珂とは異なる自身の年代論を展開している。
そのポイントは、以下のようである。
1.古代の年代を考える場合は、「王」の平均在位年数が重要な手がかりとなる。
2.「王」の平均在位年数は、中国、西欧、わが国のいずれも、古代にさかのぼるにつれて短くなる傾向がある。
3.「王」の在位年数の統計的な取り扱いとして、推測統計学を用いる(那珂の時代は、記述統計学の段階)。
安本氏は、世界の王の在位年数を調べ、以下のような結論を導いた。
1.時代をさかのぼるにつれて、平均在位年数が短くなる傾向がかなりはっきりみられる。
2.1~4世紀の平均在位年数は、全世界的にみておよそ10年である。
3.17~20世紀の平均在位年数は、全世界的にみておよそ20年である。
4.つまり、2000年近くのあいだに平均在位年数は2倍に伸びている。
日本の場合、1~4世紀の王の平均在位年数は不明であるが、天皇が存在したとした場合、平均在位年数はほぼ10年と考えるのが妥当であるとしている。
それは、同時代の中国や西洋の王の平均在位年数(断面データ的、共時的)な検討からも、時系列データ的(通時的)な検討からも帰結できる。
『記紀』は、神武天皇の5代前が天照大御神であるとしている。
安本氏は、上記の視点から、神武天皇の時代を270~300年と推定し、その5代前として、天照大御神の時代を、220~250年ごろになるとして、卑弥呼の時代とまさに重なり合うことを示した。
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