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2009年10月 8日 (木)

光ファイバーの発明と特許問題

西澤潤一氏が東北大学に入学したのは、昭和20(1945)年4月のことで、その年に、西澤氏の父上が東北大学の工学部長に就任されたということである。
西澤潤一『独創は闘いにあり』プレジデント社(8603)

西澤氏は当初数学を専攻しようと考えていたが、父上の「成績の良くない者が理学部に行ってもつぶしがきかないから、工学部へ進め」という言葉に従い、工学部電気工学科に入学した。
工学部に入った西澤氏に大きな影響を与えた言葉があった。

私が小学校の時に,親父も東北大学工学部でしたので,机の上に工学部で出しております親睦雑誌が転がっていました。ひょいと見たら,うちに時々お見えになって,その後九州にお帰りになった前田孝矩先生のお書きになった文章が出ておりました。
その題目が「工とは何か」というのです。読んでみますと,「工」の上の横一本棒は天が人間に与えてくれた自然および自然現象である。下の横一本棒は地の上の社会と人を表す。つまり,われわれ工学者というのは,天が与えてくれた自然とか自然現象を十分に活用して,地の上の人と社会に幸せをもたらすべきであるということが書いてありました。他のことはみな忘れても,これだけは覚えていたわけですが,たまたま私が学士院賞を頂戴した折,私の直接の指導教官ではなかったのですが,松平先生という方がお祝いに来てくださいまして,「西澤の仕事は工業の工の字をまさに具体的にしたような仕事だ」と言われたのが大変うれしゅうございました。

西澤氏は、“工”の精神を、「森羅万象のなかから社会が必要とするものを組み立て、つくりだし、役立てていくことが私たちの仕事なのだ。それが社会に対する責務でもある。」(上掲書)と表現している。
独創技術とは、社会が必要とするものを創造するもので、真に社会が必要とし、社会をよくしていくものでなければ独創技術とは呼べない、という信念である。

上掲書には、今年のノーベル物理学賞授賞対象となった光ファイバーについての、西澤氏に係わるエピソードが載っている。
西澤氏は、ガラス繊維の中心部から周辺部へいくにつれて、徐々に屈折率が小さくなるようにすれば、光が全反射の理屈で中心部に集束されるような形で遠くまで届くだろうと考え、内部に屈折率分布をもった集束型グラスファイバーを、光伝送線路として特許出願した。
昭和39(1964)年11月12日と日付が明記されている。

この特許出願に対して、特許庁は、「書式が整っていない、明細が不備だ」などの理由で却下し書類を戻してきた。
申請しなおしてもまた却下される。
さらに書類を整えなおして申請して、やっと公告になったら、異議申し立てがある。
ベル研究所の特許に書いてあるというのであるが、アメリカの原本を取り寄せてみると、書いてない。
それでも却下ということで、二十数回も繰り返したという。

拒絶査定ということで、審判に持ち込むと、地方裁判所は門前払いである。
高等裁判所の判断を仰ぐと、原審差し戻しとなった。
すなわち、特許庁の却下理由は妥当ではないという判断が示されたわけであるが、特許庁はふたたび拒否の姿勢をとった。
そして、昭和59(1984)年暮れに期限切れを迎え、光ファイバーに関する西澤氏の特許はお蔵入りということになってしまった。

一方で、昭和43(1968)年には、日本板硝子と日本電気の共同開発になる集束型グラスファイバーが、繊維部門で特許として認められたという報道があった。
特許庁の判断は、西澤氏の出願は「不均一な光学材料」という表現であり、「ガラスは均一な光学材料だから」という理由で拒絶し、「ガラス繊維」はガラスではなく繊維だからOKだということらしい。
理由にもならない理由というのが西澤氏の言い分である。
言い換えれば、発明の本質的な評価基準である「新規性と進歩性」においてではなく、表現上の問題で拒絶されたということになる。
2007年10月23日 (火):選句の基準…③新規性と進歩性

なおかつ、アメリカでは、コーニング・グラス・ワークスという会社が昭和45(1965)年にクラッド(周辺)型グラスファイバーの開発に成功し、全世界的に光通信の研究開発になだれ込んでいくという状況になる。
そして、光ファイバーの特許をめぐって、日本企業を震撼させる事件が、1987年に起きる。
コーニング社が、住友電工USAを相手に争っていた特許侵害訴訟で、住友電工側が全面敗訴の判決が下りたのである。
住友電工は、コーニング社に対し和解金約33億円を払い、アメリカからの撤退を余儀なくされた。

光ファイバー技術について、高橋啓三という人のサイトでは、以下のように解説されている。
http://homepage2.nifty.com/tkeizo/book120925-j.html

一人は、のちに東北大学総長を務め、「光ファイバの生みの親」とも呼ばれる西澤潤一だ。昭和三十九年(一九六四年)、当時、東北大学電気通信研究所の教授であった西澤は、断続した光の符号によって通信をおこなうための収集性光ファイバの開発に成功し、特許を申請し  た。これは、光ファイバによって大容量の光通信が可能であることを世界ではじめてあきらかにした、まさに大発明であった。しかし、特許申請の手続き上の不備から、西澤の特許は認められなかった。もう一人は、のちに香港中文大学学長を務め、「光ファイバの育ての親」とも呼ばれる、中国人のチャールズ・カオ(Charls Kao)である。
スタンダード通信ケーブル社の主任研究員であったカオは、ガラスに含まれる重金属類を取り除くとガラスにおける光の吸収損失が少なくなることを発見した。これは、光ファバーの実用化の鍵であった。低損失の材料開発を可能にした点で、画期的だ。カオはそn研究成果を、アメリカ電気電子技術者協会(IEEE)の学会誌一九九六年七月号に発表。『光表面伝送電体ファイバ』と題する論文で、低損失の光ファイバの製造法を報告した。さらに論文の結び手、屈折率の高いコアと屈折率の低いクラッドという、今日の光ファイバの構造を提案している。

つまり、今年のノーベル賞は、「生みの親」には与えられず、「育ての親」に与えられた、ということである。

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