枕詞と被枕詞(その3)/「同じ」と「違う」(12)
藤村由加『人麻呂の暗号』新潮社(8901)に、『万葉集』の代表的歌人別の枕詞使用状況調査結果の表が掲載されている。 用いられている枕詞の種類数をみると、柿本人麻呂が圧倒的に多い。
柿本人麻呂の出自や人生については謎が多いが、藤村さんたちが言うように、枕詞が中国、朝鮮、日本の言語の関連で形成されたものとすれば、柿本人麻呂は、まさにそういう言語状況の中で、際立った才能の持ち主だった、ということになる。
柿本人麻呂の有名な近江荒都歌を見てみよう(日本古典文学大系、岩波書店(5705)。
2009年8月30日 (日):近江遷都へのとまどい感
近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本朝臣人麿の作る歌 (万葉集1-29)
玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 夷にはあれど 石走る 淡海の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処と言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも
冒頭の「玉襷」について、上掲書に解説がある。
「玉襷」は、「畝」や「畝火」あるいは「懸ける」に係る枕詞である。
しかし、どうしてか?
しかし、「手次」「田次」がどうしてタスキになるのか?
藤村さんたちは『説文解字』を参照してみた。
次のような辞典である(Wikipedia(最終更新 2009年9月30日 (水))。
説文解字(せつもんかいじ ピンイン:Shuōwén Jiězì)は、最古の部首別漢字字典。略して説文ともいう。
後漢の許慎(きょしん)の作で和帝のとき(紀元100年/永元12)に成立。叙1篇、本文14篇。所載の小篆の見出し字9353字、重文1163字。漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを「象形・指事・会意・形声・転注・仮借」の6種(六書;りくしょ)に分けて解説し、字の本義を記す。
部首の立て方は造字の理論に従っているが、陰陽五行の理念に基づく面が強く、現今の漢字字典における形状を主体とした部首の立て方とは幾分様相が異なる。成立の当時、甲骨文字が知られていなかったため、漢字の本義を俗説や五行説等に基づく牽強付会で解説している部分もあるが、19世紀に至るまで漢字研究の「聖典」的地位を占め、その説は絶対視されてきた。新たな研究成果でその誤謬は修正されつつも、現在でもその価値は減じていない。
そして、「挂は縣なり」「五十畝を畦となす」という言葉を見つける。
縣と挂、畝と畦が同意であるということであり、共に「圭」という字を含んでいる。
「圭」は、天子が諸侯に領土を授けた印として持たせた玉器のことだという。
「枕詞=被枕詞」のルールを援用すると、「玉手次」「玉田次」と挂・畦の間に次のような関係があることが分かってくる。 つまり、「挂」と「畦」の字形を分解したものが、「玉手次」「玉田次」ということである。
「枕詞=被枕詞」という基本的なルールは、漢字の同音・同義の関係に基づいているわけである。
藤村さんたちは、さらに枕詞に関する探究を深め『枕詞千年の謎』新潮社 (9208)(後に『枕詞の暗号』と改題して新潮文庫化)を上梓している。
その締め括りの部分が枕詞に関する総括になっている。
国語の修辞の一つとして、記紀、特に万葉集において、最も多彩に生き生きと用いられた枕詞ではあったが、その多くがいつの頃からか語義不詳となっていった。易が非科学的な迷信として、排斥されていったことと決して無縁ではなかっただろう。人々の中から易の意味が消滅していったとき、枕詞もまたおのずとその意味を失っていったのである。
今、呪的のひと言で片付けられている枕詞も、最も呪的な存在ともいえる神代紀の神々の姿も、易本来の思想の奥行のなかに、その姿を復元できるにちがいない。
枕詞の旅の終わりは、神々の物語への旅の始まりになりそうである。
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